熊本PTA裁判に関連して『AERA』(2014.08.04号)にコメント  -学校・教委の責任- | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

熊本PTA裁判に関連して『AERA』(2014.08.04号)にコメント  -学校・教委の責任-

7月28日発売の『AERA』に「PTA問題第5弾 会費の不明朗な使い道」と題する記事が掲載されました。

その号の広告です

前エントリで触れた熊本PTA裁判でも会費の扱いが問題にされていることから、今回の『AERA』の記事でもこの裁判に言及しています。

7月の上旬、アエラ記者の三宮千賀子さんの取材を受けました。
まず、今回の裁判の意義について問われました。
「PTAが任意加入の団体であることは、ここ数年、いろいろな方の努力によりかなり周知されてきたが、PTAの問題が司法の場で取り上げられることによって、周知の流れが決定的なものになるはずだ」とお答えしました。

そして、そのことに関連して記者の三宮さんから「“強制加入ではない”ことが皆の知るところになり、意思の確認がきちんと取られるようになれば、それでPTA問題は解決するのだろうか? 『同調圧力』の存在は無視できないのではないか。」といったことを尋ねられました。
それについての拙回答が、記事の中で以下のように紹介されました。

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 ただ、保護者に実質的な意思確認をして任意加入を徹底しても「先生や周囲の親から変な目で見られるから、任意でも結局は入るしかない」(奈良市の44歳の専業主婦)というのが、大部分の保護者の本音だろう。そうした状況の一因について、加藤教授はこう訴える。
「保護者にとって、学校の意向は絶対だと感じるもの。校長をはじめとする学校側がPTAを“便利な存在”として黙認して利用し続けていることも、PTAを強制的な加入にしてしまっている原因ではないでしょうか。」
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「同調圧力」の原因にはいくつもの側面があるとは思いますが、教委や学校の責任は大変重いと思っています。
これまで、教委や学校は「親ならPTAに入って当然」とのスタンスを取り続けてきました。
この学校・教委のスタンスが改められることなしには、PTA問題が解決することは難しいと思われます。


PTA問題における学校・教委の責任については、以前に以下の拙エントリで論じました。
・憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2)

そのエントリ中の
「3.教委の言い分(その2) 『親なら参加してしかるべし』」
と、
「4.PTA問題の核心にあるもの ― 法に基づかない規範意識、及び学校の『しくみ』が保護者の選択の自由を奪う」
をご参照いただければ幸いです。

なお、PTA第一弾の「横暴すぎるPTA役員選び 切迫早産なのに免除されない」(2014.03.03号)でも拙コメントが紹介されています。それについてのエントリは、こちら


(共感した他の方のコメント)
今回の『AERA』の記事の結末部分は、「一度リセットしては」という見出しが立てられ、昨年PTA会長を務めた専業主婦の方の以下のコメントで結ばれています。
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「任意加入が徹底され、会員も会費も集まらず、PTAが成り立たなくなってしまったら、悲しい。でもやりたくない人を無理やり引き入れる弊害のほうが大きいと悟って、一度リセットしてみるという発想も必要な時代なのかも。誰かがやらねばと思う半面、理不尽なことも多々ありましたから。
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ちなみに、『AERA』のPTA記事の第2弾、「必要? 不要? PTA」(2014.04.07号)の末尾は、PTA組織の必要性を問う、杉並区の公務員女性の次のことばて結ばれています。
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「PTAでなくても保護者会などで学校と保護者はつなぐことはできる。PTA行事には本来、学校がやるべきものも含まれており、無理やり仕事を作っているように感じます。無報酬で強制的に運営しないと義務教育は成り立たないのか。『そもそも論』を問いたいです」
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これも、非常に鋭いところを突いていると思います。
学校・教委、そして文科省には、義務教育の運営主体として、この真摯な問いに答える説明責任があるはずです。