「降りてくる人、殆どごスマホ見てるなぁ……」
地下鉄の乗り換え駅の長い長いエスカレーター。すれ違う人はスマホずっと見てる。
振り返ると学生時代、そして就職してすぐの頃は、みんな地下鉄で何をしていたのかな?新聞やら文庫本を読んでる人が多かったと思う。書類をひろげる人もいたっけな。
それにしても手に持つものが変わるだけで、相変わらずみんな何か考えているのか、それとも考えていないのか、それともわからないけれども、一向に頭を休ませようとしない。考える考えないは別にして、視覚を使っているわけだから、その分脳みそが使ってるような気がするので、頭は疲れるのではないかと思うが。
ただ自分も何となく何かしないといけないような気がして、落ち着かない。何もしない無為が許せない。
高校生の頃、当時は土曜日は半ドンで、午前中の後のホームルームが終わった後に、先生から「受験も控えた君たちは、今日、明日という時間を無為に過ごしてはならない」と言ってた。「そう言われてもなぁ」とは思ってはいたが、その後の自分の学生時代、社会人生活を振り返っていると、やはり何もしない事は把握というような考え方が根付いている。
何をしないことが良いことか悪いことなのか、そうそう、自分には何もしないで、一体どれぐらい過ごせるのか、そしてその後どうなるのか、そもそもやはり何をするにせよ、何もにもしないにせよ、その「成果」を求めてしまうところが考え方として間違っているんだろうと思う。
どうせ答えのない話ではあるので、いつこの答え合わせができるか分からないけど、少なくとも、何もしないことを一方的にに「悪いこと」と決めつけるのはやめとくるかな。
