金山出石寺の縁起について考察 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 猟師とか漁師がなりわいとしている仕事の最中に仏像を発見して、小庵をたててその尊像をまつる。それがお寺の縁起であると、そのような寺院は幾つもあります。

 たとえば東京・浅草の金龍山浅草寺の場合、檜前浜成・竹成という兄弟が漁に出て、観音像が網にかかった、というのが始まりです。

 寺そのものの由来ではないですが、大阪府の七宝瀧寺の「犬鳴山」の場合、犬を連れた猟師が山に入り鹿を追って、弓を射ようとしたとき、大蛇が猟師を飲み込もうとして、それを犬が命がけで助けようとした、という話から「犬鳴山」の名がついたという(この話を聞いた天皇により「犬鳴山」の勅号を賜ったという)伝説があります。

 ですから、金山出石寺の話を知った時、どこかで聞いたような話だ、と思いました。

 金山出石寺の、仏像が光明を放って、とか、山が鳴動して地中から仏像が出てきて、というような話は、いかにも荒唐無稽な作り話のようにもみえますが、はたして全部作り話なのでしょうか。

 殺生という字はまさに殺して生きると書きますが、漁師とか猟師は生きるために動物を殺すのです。そうしないと食べ物が手に入らないのですが、生きているものを仕留めるのですからその動物の苦悶の表情も見えるでしょうし大量の血も見るわけですね。生きるためとはいえ、多くの命を奪うわけですから、感覚がマヒすることがあるとしても、いつかは罪の意識を感じることがあるでしょう。そして、佛の教えというものに出会うことがあったら、自分の後世とか生き物の供養のために深く仏門に帰依する、ということもあるでしょう。

 ですから、猟師が猟の途中で仏像を見て改心するということも十分あり得ます。

 金山出石寺の本尊は秘仏ですから、どのような像か自分の目で見ていないので分かりませんが、もともとは黄金の観音像だったとしたら、仏像そのものが珍しく庶民の目に触れる機会のほとんどなかったであろう養老年間では、猟師が黄金の観音像をみたら、仏像自体がとんでもない光を放っているように感じたことでしょう。

 日の光に反射して、ということも考えられます。

 また、山が鳴動して、ということですが、ちょうどその時に、それなりに大きな規模の地震が起こったとも考えられます。

 四国には幾つも活断層があり、また中央構造線などもありますから、この養老年間にそれなりの揺れがなかったとは言い切れません。震度六や七の大地震でしたら流石に記録にも残るでしょうし、そうなれば寺の縁起と自身の関連性について誰かが論じているでしょう。しかしそれがないからこそガイドブックにも書かれない。けれども、巨大地震ではなく震度四か五程度でしたら伊予の国の大洲や八幡浜あたりの揺れのことなど記録に書かれなかったのかもしれません。

 で、その程度の地震があったという前提で考えますと、ちょうど猟師が山に入って鹿を射抜こうとした瞬間に揺れが始まった。昔の人はこのことに何か偶然ではない深い意味があると考えたのではないでしょうか。

 また、想像を飛躍するわけではなくて軽く想像するだけでも、地中に仏像があったということも、なにか意味があったように思えます。例えば、金山という山が大洲・八幡浜あたりでは大きな山で、その周囲の山や谷も見渡せて、天気の良いときは石鎚山も見え、瀬戸内海も良く見える、ということから、仏教伝来当時かその少しあとくらいに、仏教信者の何者かが金山の山頂付近に観音像や地蔵菩薩像を埋め、周囲の土地や海の海上交通の守護佛としてのご利益に期待して埋めた、という想像ができます。

 もしようのような意味で山頂付近の地中に埋めたとして、その埋めた部分の地面が周囲に比べて柔らかかったとしたら、雨などで土が少し流されたりして、地震がきっかけで少々の地割れが出来て観音像・地蔵像が出現して光を放っているように感じられた。そういうことかもしれません。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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