大洲方面へ | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 四国霊場第四十八番札所からの逆打ちといいながら、なんで四十六番札所の後に第四十四番へ行き、四十五番を後回しにしたかというと、通ってみたい道があったからです。

 さかのぼること二十三年前、西暦でいうと一九九九年の、七の月ではなくて八月。私は四国一周の旅に出まして、一番札所から始め、いろいろ経緯ありまして、ある区間は歩き、ある区間はタクシー、ある区間はバスや列車で移動し、第四十四番札所・大宝寺まで来ました。

 そこで他の参詣者のクルマに乗せていただき、岩屋寺まで行き、岩屋寺からは歩きで移動することにしたのですが、岩屋寺から順打ちで次の浄瑠璃寺までは距離が長すぎる。

 当時、松山市から高知市、または高知市から松山市へ直接行くバスがありまして、松山市から高知市へ行く場合、久万高原町から当時の美川村を経由して愛媛県と高知県との境の山岳地帯を行き、面河川に沿って仁淀村、佐川町など経由して高知市街へ向かったのでした。現在は高速道路で行くのですが。

 この路線バスをあてにして、当時の美川村役場のほうまで歩いて行き、ちょうそそこで松山行きのバスが来たので乗り込んだのでした。

 その時に歩いたルートをそのままレンタカーでたどってみて、当時の記憶をよみがえらせてみよう、と思ったのでした。

 そして、当時バスに乗車した地点からは国道三十三号線と三八〇号線で大洲方面へ向かおうとしたのです。

 逆打ちならば、第四四番札所はすでに行ったので次の目的地は第四三番札所の明石寺です。その明石寺への道の途中に内子や大洲があり、大洲には別格二十霊場のひとつ「十夜ヶ橋」があります。

 今でこそ交通の便が良くなり、高速道路ができて、大宝寺や岩屋寺から明石寺行くにしろ、明石寺から大宝寺方面へ行くにしろ、高速道路を使うクルマ遍路が多くなりましたが、高速道路ができなかった時代はクルマ遍路も大洲・内子経由の国道を通ったわけです。また、歩き遍路へすべて歩きだという人ならば、やはりこの道を通るのです。

 であれば、昔の人や現代の歩き遍路さんたちが通る道をたとえクルマであっても通って、どんな道のりなのか経験しておくのもわるくないだろう、と思ったのです。

 いや、悪くないというより、先達としては、歩きでも経験すべきですが諸事情でそれが難しいので今はクルマで経験しておかないと、と思ったのです。

 それで、実際に所要時間がどれくらいかしるのも、後々、参考になるはずです。

 

 そうして山の中の、町らしい町もほとんどないばかりか人家も稀な淋しい街道をえんえんと進み、いったいいつまで進んだら大洲の街に出るんだ、と疲れ切ったころ、やっと大洲の街の入り、いつのまにか別格霊場の十夜ヶ橋の前に出たのです。、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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