叡福寺について | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 叡福寺について、より詳しく書きましょう。

 別名を「太子寺」「御廟寺」ともいい、また「石川寺」「磯長寺」ともいわれます。

 宗派は真言宗で、単立寺院。と、「神仏霊場巡拝の道」の公式ガイドブック『神仏霊場巡拝の道公式ガイドブック 神と仏の道を歩く』(集英社新書ヴィジュアル版)に書かれています。単立寺院とは、つまり、どこか別に本山があってその派に属しているわけではない、ということ。

 いかにも、特別な歴史がある、という感じです。

 ウィキペディアでは「太子宗」の本山と書かれています。

 公式ガイドが発行された時より後になって「太子宗」を名乗ったのでしょうか?

 同じく聖徳太子ゆかりの奈良県の法隆寺は「聖徳宗」と名乗っていますし、同じく大阪府の四天王寺は「和宗」を名乗っていますが、そのどちらかに属しているわけではなく、別に「太子宗」を名乗ったということですね。太子宗ではなかったら「叡福宗」とか「磯長宗」とか「石川宗」とかを名乗ったかもしれませんね。

 本尊は聖如意輪観世音菩薩です。聖徳太子は如意輪観音の化身ともいう伝説があるようなので、なるほどと頷けますね。

 所在地は大阪府南河内郡太子町太子二一四六番地。

 最寄り駅は、すでに紹介しましたように、近鉄線長野線の喜志駅または近鉄南大阪線の上ノ太子駅。

 ガイドブック『神仏霊場巡拝の道公式ガイドブック 神と仏の道を歩く』(集英社新書ヴィジュアル版)には「太子の墓前に営まれた寺である」と書かれてありますが、御廟と叡福寺が全く別にあるというのではなく、境内の奥に御廟があります。四国霊場巡拝者にとっては八十一番札所・白峯寺の崇徳上皇御廟を連想するかもしれません。

 力道山が「日本プロレスの父」などとよく言われますが、聖徳太子は「日本仏教の父」といも言って良い存在(じゃあ母は誰だ?)ですね。ですから歴代天皇だけでなく、日本の仏教史に名を残すような高僧たちも叡福寺を訪れています。

 歴代天皇でいえば、ガイドブック『神仏霊場巡拝の道公式ガイドブック 神と仏の道を歩く』に記されている御方でいえば嵯峨天皇や一条天皇がここを訪れた施物を納進したとのこと。

 同じガイドブックに記されている、日本仏教上の高僧でいえば空海(弘法大師)、良忍(融通念仏宗の祖)、親鸞、一遍、日蓮らが参篭したという。

 

 「神仏霊場巡拝の道」の霊場であり全体の五七番、大阪府の一六番であるとは既に述べましたが、他には、

 「新西国三十三箇所」の八番札所と九番札所の間の客番、

 「仏塔古寺十八尊」の二番札所、

 「河内西国霊場」の二十一番札所、

 「聖徳太子遺跡霊場」の六番札所、

 「西山国師霊場」の十五番札所、

 「河内飛鳥古社寺霊場」の十五番札所、

 となっております。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

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