神峯神社本殿裏の燈明巌 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 不思議な伝説があります。

 神峯神社の本殿の裏に「燈明巌」という岩が存在し、世の中に何か異変があるときはその岩が光るというのです。

 実際、大地震が起きた時に光ったとか、政変が起こった時に光ったとか、世界大戦の時に光ったとか。

 政変や世界大戦はともかく、大地震の時はプレートの動きや地殻での何らかのエネルギーがこの辺りの地盤に影響を及ぼし、電気的なエネルギーの作用によって岩を光らすのでしょうか。

 科学的に調査したわけではありませんが、そのようなことは考えられます。

 光だけならば、ヒカリゴケみたいなものが云々と仮説を立てたくなりますが、天変地異との因果関係は考えられないでしょう。

 大地震の時などに人が予知夢を見るとか、動物が異常行動を起こす(ナマズが暴れるとか動物がやたらと落ち着かなくなるとか)などは地底の異常が電気的信号となって伝わり感覚の鋭い動物が反応するからだ、などと言われたりしますから、この岩に何か特殊なものがあって前兆として光を放つこともあるのかな、と思ったりします。

 嘘だとか、迷信だとかでは済まない、不思議なことが世の中にはあると思います。

 地震の時だけではなく、火山の噴火などの前兆もありそうです。四国に火山が有るか無いかにかかわりなく、日本列島の活火山の大規模な噴火ならば、その途方もないエネルギーが地殻に伝わり、燈明巌に伝わり、微妙な振動で岩の中の何らかの鉱石(石英みたいなもの?)が光を放ったようにみえる、ということがあるかも知れません。

 はるか昔の、古代の人々がその不思議な光を見た。それで「巌が光るなんて、奇怪な。何か大変なことが起こるのでは?」と囁きあった。それから間もなく、大地震が起こった。人々は「あの光りが地震を知らせたんじゃ!」と恐れおののいた。

 それからさらに何十年か経ち、また光った。人々は昔の話を思い出した。すると、また大地震が起こった。「やはり」と恐れ、震え上がった。

 またさらに何十年か経った。岩が光った。やはりまた世の中に異変が起こった。

 と、このようにして、話が伝わったのかも知れません。

 巌は世の異変を知らせてくれる聖なる巌として崇められるようになったのでしょう。

 それでこの山自体が聖なる山となり、神が祀られるようになり、お寺も建てられるようになったのではないでしょうか。

 つまり、何もない所に神功皇后が訪れ戦勝祈願をし、神社になったというのが初めではなく、すでに土地の人々から信仰されている聖なる巌があり、それは異変から人々を守る「守り神」として考えられ、伝説が神功皇后のもとへも伝わり、祈願に訪れた、と考えるべきなのかもしれません。

 古代人の自然崇拝や巨石信仰などを考えると、そういう順序で神社の成り立ちを考えるほうが自然だからです。

 さて、そんな不思議な伝説のある巌はそんなものなのか。

 本殿のすぐ裏らしいので、この機会に行ってみよう、と思いました。

 本殿裏、向かって右奥にありました。

 岩肌としては特別巨大と言う程ではないですが、単独の岩としては大きいと言えます。岩肌は白いです。

 本殿右裏から少しだけ斜面を登ると岩のすぐ近くに行けます。

 滑らかな岩肌ではなく、凹みもあります。

 なんとなく不思議な感じがします。

 五來重さんの『四国遍路の寺 下巻』(角川ソフィア文庫)の神峯神社についての記述では、

 「世の中に異変があると、大晦日にこの岩が光を放つのだそうです」

 と書かれています。

 五來さんは、ここで修行者が火をたいたから岩が光ったように見えたんだ、と考えておられるようです。

 五來さんが『四国遍路の寺』の上下巻で特に強調しておられるのが、「海の神に火をささげる」という古代人の信仰の在り方と四国霊場の関係です。

 大昔から、海の神に対して聖なる火をささげる、という考え方があって、その火を海の神が喜ぶのだと考えた。海からの恵みに感謝したり、海上交通の安全を祈願したり、嵐や津波などの難とか赤潮などの害が無いようにと、人々が海の神に祈った。その為に火をたいた、と考えられるのです。

 それが遍路修行者にも受け継がれ、海の見えるところで(特に高台とか高い山の上で)火をたいた。そういうことが行われたのが四国霊場の奥の院だ、というのが五來さんの主張です。

 海が見える場所で、ということは、当然、海からも火が見えるということです。火をたく。それが海の神の供養にもなりますが、実用的な意味もあったでしょう。すなわち、「灯台」のかわりになる、ということです。

 嵐の時や夜の闇で、陸地を探す。そうしているうちに、火らしき光がみえた。神峯神社の岩の前で修行者が火を焚いているということが分かったならば、「ああ、あの方向が神峯の山のあるところだ」となったでしょう。

 五來さんの説では、神峯に限ったことではないようですから、室戸岬でも足摺岬でも横浪半島でも、阿波の薬王寺付近でも、瀬戸内海沿岸でも、そのようなことがあったでしょう。

 燈明巌の場合、岩肌が白い(ほとんどの岩は白いものですが)のでその前で火を焚けば巌が光ったようにもみえたでしょう。

 ただ、その説で考えていくと、大地震などの異変との因果関係は分かりにくくなりますが。

 ひとつ考えられるとすれば、大昔、霊的能力といいますか、予知能力的なものを持った人がいて、異変を感じた時にそれを知らせる為、または津波が来ないように海の神を鎮めようと火を焚いた。その伝説が残って、「異変の前には光る」となった、ということです。

 このように、古代からの伝説や古代人の信仰について考えを巡らすのは面白いものです。

 

 

 

 

 

 

 

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