四国霊場会公認先達は四国霊場の良さを人々に伝え、より多くの人を四国霊場に導き、霊場の由来や境内各所の案内をしたり道中の案内をするのが主な務めです。
私も四国霊場会公認先達のはしくれですので、四国霊場の良さをを伝え、名所案内をするつもりで書いています。
第八十一番札所・白峯寺についてだけでなく各札所について過去にも詳しくご説明させていただきましたが、より強調しておきたいことや、重複しても構わないから説明しておこうと思う事なども書いています。
白峯寺について特に強調しておきたいのは、こちらへ行ったら崇徳上皇の御陵や御廟所にも行ってみてほしいという事です。
四国霊場の中には、境内が狭くて本堂と大師堂以外には特に見どころが、という札所も、なきにしもあらずですが、白峯寺は境内が広く見どころも多いのに、単なる信仰にとどまらず日本史上でも日本文学上でも忘れてはならない場所もあるのです。
それが崇徳上皇の御廟所である「頓証寺殿」と、御陵「白峯御陵」です。
崇徳上皇については、日本史に詳しい人だけでなく、歴史ドラマに詳しい人でもよくご存じのことと思われます。
「平清盛」がNHKの大河ドラマで、松山ケンイチさん主演で放送された時、井浦新さんが崇徳上皇を演じていました。
崇徳上皇側と後白河天皇(在位当時はこのような呼び方をしなかったのですが)側が争った「保元の乱」は名場面でした。
ただドラマ上の名場面というだけでなく、保元の乱からの時代の流れは日本の歴史が大きく変わる大変換点であり、まさに激動の時代の始まりでした。
NHK大河ドラマはいつもそうですが、このドラマも、放送ごとに、物語の舞台となった土地を特集して歴史や言い伝えを映像やナレーションで伝えるコーナーがあって放送しました。崇徳上皇が保元の乱で敗れて讃岐に配流となってからの回で、白峯寺を中心とした地域が詳しく紹介されました。
それをみて白峯寺やその周辺を訪れた人は多いと思います。
「平清盛」だけでなく、NHK大河ドラマでは、古くは「新・平家物語」が昭和四十七年に放送されましたね。
古典文学でいえば「平家物語」に平氏の盛衰が描かれるわけですが、この時代を考えるうえで崇徳上皇の存在は大きいです。そして、怨霊伝説も非常に重要なものでしょう。
崇徳上皇の怨霊伝説は、江戸時代に上田秋成が「雨月物語」で描きました。
「雨月物語も日本文学史上の名作です。
つまり、「平家物語」「雨月物語」という日本文学史上極めて重要な作品を考えるうえで重要な場所が白峯寺度ということです。
そして、「雨月物語」の、「白峯」では崇徳上皇(の怨霊)と西行法師とが描かれていますが、これを知らなくても、平安末期の歌人・西行法師について知る者は西行が讃岐に行ったことも知っています。白峯や善通寺周辺は西行が訪れたといわれています。
「平家物語」研究者や「西行」研究者、「雨月物語」研究者には是非、白峯寺を訪れていただきたいものですが、それだけでなく、「平家物語」を読んだ人、「西行」の歌集が好きな人、西行という人の一生に興味がある人、「雨月物語」を読んだことがある人などにも、是非、白峯寺を訪れていただきたい。
いや、もっといえば、大河ドラマなどの歴史ドラマファンや、「新・平家物語」等の歴史小説の読者にも、一度は訪れていただきたいものです。
「四国八十八か所を巡るのはたいへんだ。でも、平安末期には興味がある」とか、「あの時代を描いた文学作品を読みました」という人には、せめて白峯寺や天皇寺、屋島寺、長尾寺などに行っていただきたい。
新型コロナウィルスなどの感染症の流行が収まったときに、ぜひ行っていただきたい。
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