雪のチラつく焼山寺(四国霊場第十二番札所)へ | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 四国霊場第十三番札所・大日寺や徳島市一宮神社の前のバス停に戻りました。

 神山町方面行きのバスが来る時間が近づいてきました。

 目的地は四国霊場第十二番札所・焼山寺。

 焼山寺の門前まで行くほど便利ではありません。神山町役場や城西高校神山分校の方までは行きます。そこから約七キロ近くも歩くことになります。しかも平地ではなく険しい山の道を。

 ほぼ予定通りにバスが来ました。本数は少ないですが、乗客も少ないです。

 大日寺じたい山と山に挟まれた地形(北に鮎喰川があるものの)に建っていますが、その辺りはまだちょっとばかり平地があります。が、神山町に入った途端、平地はほとんどなくなり山ばかりの景色となります。

 神山町に入って少し進むと、空模様がおかしくなりました。

 天石門別八倉比売神社や阿波史跡公園を歩いた時や、国分寺、常楽寺、大日寺まで歩いたときは晴天でした。それがいつの間にか空が灰色となり、もっと色が濃くなりました。

 「まさか雪でも?」

 と思っていたら、本当に雪が降りだしました。

 平成三十一年一月のことです。

 一月に四国山地の中に入れば、雪が降ってもおかしくない。なんら不思議はないのですが、平野部が晴天でしかも底冷えなどしていなかっただけに、ちょっと驚きました。

 実際は、さほど驚くようなことではないのかも知れません。京都や奈良などの近畿地方の盆地でも、晴天なのに風に乗って風花みたいに雪が舞うことが冬にはよくあります。四国でも山地ならば日本海側の湿った空気が中国山地を抜けて四国に運ばれ、険しい山地にぶつかって雪を降らすということもある。四国山地の方が山が高く険しいですから、雪雲も発生しやすく、空気も冷たくなっているでしょう。

 ただ、平地からちょっと山間部に入っただけでこうも違うのか、と驚きがありました。

 ここで、また、「邪馬台国=徳島地方説」を思い出しました。

 もしも女王・卑弥呼が阿波にいたとして、平地には男の王が民を統治していて、現在の神山町辺りの山間部(悲願寺か上一宮大粟神社のあたりか)に卑弥呼がいたとしましょう。平地からちょっと山間部に入るだけで空気が冷たくなり、風が吹き荒れ、雪が舞いだしたら、古代人は何か神秘的なものを感じたかもしれません。

 女王・卑弥呼がいる場所だからこそ俗人を寄せ付けないのだ、とか、近づきと風が吹き、平地では降らない雪が舞うのは神の仕業だ、とか、そのように感じたかもしれませんね。

 平地より空気が澄んでいるのは、そこが霊域だから。空気が冷たいのは聖なる場所だから。そのように考えたとしてもおかしくないですし、昔の人の考え方としては当然だったかもしれません。

 焼山寺は夏でも涼しいですから、神山町あたりは麓の人々にとって特別な場所と感じたかもしれません。卑弥呼のカリスマ性も弥増したことでしょう。

 そのように、バスに乗りながら考えを巡らしました。

 そうしているうちに神山町の中心部に来ました。役場の近くで、道路沿いにタクシー会社の事務所を見かけました。

 雪がチラついている中、七キロ近くも歩くのはちょっと辛い。しかもずっと登りです。

 ここは、お金がかかるがタクシーを利用したほうがよかろう、と思い、すぐにバスから降りました。

 そしてタクシー会社に行き、焼山寺まで乗せていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

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