四国霊場第六十九番札所・観音寺(かんのんじ)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 

 四国八十八ヶ所の第六十九番札所は観音寺(かんのんじ)といいます。正式には七宝山(しっぽうざん)観音寺といい、宗派は六十八番札所の神恵院と同様、真言宗大覚寺派で、本尊は聖観世音菩薩、開基は日証上人、所在地は香川県観音寺市(かんおんじし)八幡町一の二の七、最寄駅はJR四国の予讃線の観音寺駅です。

 お寺の名称は「かんのんじ」であり、自治体の名称は「かんおんじし」です。誤字ではありません。このあたり、不思議なもので、かんのん寺という大きな、由緒あるお寺があるということにちなんで市の名称をお寺の名から採ったことには間違いないのですが、それだったら「かんのんじし」といえばいいようなものを「かんおんじし」と言っているのです。地元の人は詳しく知っているのかもしれませんが、私はそのあたりよく存じないので謎だと書くしかありません。

 なんにせよ、市の名称がお寺の名に由来する、というのは、そんなによくあることではありません。日本中に、本山クラスの大寺院はありますが、そこがそのまま市の名称になっているということは珍しいです。真っ先に思い浮かぶのは東京都の国分寺市で、これはいうまでもなく武蔵の国分寺にちなんでいます。あとは香川県善通寺市です。そのほかに何があるかというと、思い浮かびません。それだけめずらしいことであり、地元にとってはとても大切な存在だと言えるのではないでしょうか。

 縁起は六十八番札所の神恵院と一緒です。琴弾八幡宮の別当寺として建てられ、当初は神宮寺宝光院と呼ばれました。神恵院が八幡神の本地仏とされる阿弥陀如来をまつったのに対して、こちらは観世音菩薩をまつりました。

 八幡神の正体については諸説あって、大陸から来た神だとか朝鮮半島経由の渡来の神だとか、海の神だとか言われますが、通常、応神天皇だといわれます。あの、敷地の規模では世界最大だといわれる墓「仁徳天皇陵」の仁徳天皇の父親です。

 琴弾八幡宮の祭神は、応神天皇と、神功皇后と、玉依姫の三神だということです。神功皇后は応神天皇の母です。

 弘法大師がこの地を訪れた時、琴弾八幡創建にまつわる伝説にある「宇佐八幡大明神が乗ってきた舟」を弘法大師がを「神功皇后ゆかりの舟である」としてまつり、神功皇后を観音の化身とみなして観世音菩薩を本尊とした。そして奈良の興福寺にならって「中金堂」「東金堂」「西金堂」などを建て、七堂伽藍を造営し、中金堂には聖観世音菩薩像を刻んで安置した。そして七種の宝を埋めて山号を「七宝山」とし、「観音寺」と改めた。それが六十九番札所観音寺の始まりというわけです。

 さきに神恵院のところで述べたような経緯(いきさつで)観音寺の境内に神恵院が移されて、同一の境内に札所が二つ、という奇妙なことになりました。そして現在、二つの札所の納経を一つの納経所が受け付けています。

 この前の旅で私は、先に八幡宮を参詣し、神社の裏手に出て展望台へ行き、銭形砂絵を見下ろしてから札所へ向かいました。山から札所へ降りるかたちで、通路は観音寺本堂の上にある薬師堂や心経殿のほうへつながっていました。

 こちらに本堂は昔ながらの建物です。

(2013年5月31日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


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