空也谷(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 

 四国八十八ヶ所の第四十九番札所の浄土寺は、天平勝宝年間(西暦七四九年から七五七年)、孝謙天皇の勅願により建立されました。開基は恵明上人という方で、行基菩薩作の釈迦如来像を安置したとのことです。

 このお寺で有名なのは踊り念仏で有名な空也上人の像があることです。その像は重要文化財になっています。京都の六波羅蜜寺にある空也上人像とほぼ同じものだと言われています。歴史の教科書などにも登場する、有名な、鹿の角をついた痩せた念仏聖の像で、口から六体の仏像を出しているものです。

 この口から六体というのは非常に意味の深いもので、「六字名号」と言われるように「南無阿弥陀仏」の六文字の名号を表しているのと、空也上人の説く念仏の教えそのものが仏と一体になった有り難い教えであり有り難いことばである、念仏による極楽往生こそが救いの道である、ということを示しているのではないでしょうか。

 この空也上人の時代、今の松山の道後温泉を中心とした地域は、念仏の教えを広めるにあたって、とても重要な場所だったのでしょう。空也上人は天徳年間(西暦九五七年から九六一年)に、三年間滞在していたといわれています。

 寺の付近には「空也谷」と呼ばれる場所があります。「谷」という言葉のイメージから高い山々に囲まれた深い谷を想像しますが、周囲の山はそれほど高くありません。ただ、私が住んでいる関東の場合で考えてみますと、鎌倉などのちょっとした山に囲まれた土地でも「谷(やつ)」とか「谷戸」と言われるところが幾つもありますから、そのような場所でも谷と呼んでいいわけです。四国松山の、空也上人ゆかりの浄土寺の近くの谷は、空也上人が修行した場所だとも言われ、「空也谷」と名付けられたわけですが、土地の人々が空也上人の遺徳を讃えて、空也上人の教えを伝えながら名付けたのだと思われます。実際、浄土寺には浄土宗の開祖の法然上人(円光大師)や二世の聖光上人、三世の良忠上人の像がある(朱鷺書房『四国八十八所遍路 愛媛・香川編』参照)ということですから、この地域では念仏往生の教えがかなり浸透し、さかんに念仏が唱えられていたのでしょう(もっとも法然上人の教えが盛んだったのはこの地に限ったことではありませんが)。

(2013年4月27日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


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