関東三十六不動霊場第三十三番・大聖院(高塚不動尊)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 関東三十六不動霊場の第三十三番は大聖院です。正式には妙高山大聖院、通称を高塚不動尊といい、宗派は真言宗智山派、所在地は千葉県南房総市千倉町大川八一七番地で、最寄駅は内房線の千倉駅です。

 ここは関東三十六不動霊場の中でも一、二を争う、交通の便の悪い所のように思えます。千倉駅からバスが出ている(七浦小学校前というバス停で降りて四百メートル)のですが、距離にして六キロから七キロくらいあり、バスの本数が分からないのでは計画の立てようがありません。駅からバスを利用する、ということでは一番の大山不動や二番の大雄山最乗寺も同じですが、これらは知名度が高く、その山へ行くこと自体を目的としたバスが走っているのですから、便利な印象があります。二十九番の洞昌院は秩父鉄道の野上駅から千二百メートルの距離で、三十二番の最上寺は内房線の大貫駅から千三百メートルの距離ですが、歩くのにそれほど苦労はしません。大聖院の場合は歩いたら相当な時間がかかります。バスで行かないとどうにもならないと思いました。

 そのバスの発車時刻が分からないのでは不安なのと、この大聖院へ行った日は大聖院だけでなく三十四番や三十五番にも行きたいと思っていたので、交通費がかかるのは覚悟して、千葉駅から特急に乗り、館山駅からタクシーで大聖院へ向かったのでした。

 案の定、タクシーでもかなりの時間がかかり、タクシー代もかかりました。また、タクシーの運転手も、私が「高塚不動尊へ行きたいのですが」と言ったら、よく分からない様子で、そのタクシー会社の人と無線で連絡を取り合って確認する、という状態でした。

 房総半島の南端の野島崎から五キロほど離れたところにあるお寺で、背後には「高塚山」と呼ばれる山があり、海岸に沿うようにはしる国道四一〇号線(通称房総フラワーライン)から少し北の高塚山の方へ細い道を入って行きます。タクシーの運転手が一度間違えたほど、分かりにくくて狭い道でした。

 天平年間(西暦七二九年から七六六年)に良弁僧正が建てたお堂が始まりで、本尊の不動明王像も良弁僧正が造ったと言われています。

 この不動明王像には面白い伝説があり、或る時、心の邪な修行僧が良弁僧正作の不動明王像を盗み出した。村人は必死になって不動明王像を探した。すると、伊豆の国で尊像を見つけた。盗み出した修行僧が小堂に安置して開帳していたのだ。安房の村人は「此れは我々の物だ!」と尊像を取り返そうとした。ところが、あと少しのところで盗僧が抱え、そのまま伊豆の海に飛び込んで、とうとう行方不明になってしまった。

 それからどれくらいの月日が経ったろうか。嘉応元年(西暦一一六九年)のことだという。安房の海岸の波打ち際に光り輝く木像があり、村人たちが近づいてよく観ると、それは良弁僧正作の不動明王像だった。そこで村人たちは、尊像の帰還を長年祈り続けた甲斐があった、と、おおいに喜び、高塚山の山上にお堂を建てて、そこに安置した。

 この山上に建てられたお堂が昭和初期に高塚山の火災で焼失し、その後、昭和三十七年になって、山の中腹に移され再建された。それこそが現在の奥ノ院だというわけです。

 奥ノ院は本堂の東側からずっと登っていった先にあります。また、本堂の西側から裏手に出て石段を登った先には、「不動堂」があります。不動霊場巡りとしてはまずこの不動堂に行ってお参りします。また、本堂よりずっと前に「前不動」という石の不動明王像があります。山に登れない参拝者の為に便宜を図ったというものです。

 「不動堂」へ行く石段と、「不動堂」を写真に撮りました。

(2013年9月12日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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