子ノ権現(天龍寺)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

  武蔵野三十三観音霊場の第三十二番札所・天龍寺は、別名を「子ノ権現(ねのごんげん)」といいます。それはこの天龍寺を開創したのが「子ノ聖(ねのひじり)」という聖僧で、あまりに偉かったため「権現」として祀られ、「子ノ権現社」というものが建てられたことによります。

 寺伝によると、子ノ聖は天長九年(西暦八三二年)に生まれました。それが子年(ねどし)で、しかも生まれた日が子月子日で、しかも子の刻の誕生という子(ねずみ)に縁のある子供で、幼少の頃から秀才ぶりを発揮していたのだろうか、「生来才智するどく仏教に通じ」と「略縁起」にも書かれています。出羽の羽黒山で修行をして徳を積んだが霊感を得て、武蔵国吾野の山に光を感じ、山頂に草庵を建てて、十一面観音像を安置した。その後、弟子の恵聖聖人が子ノ聖を大権現として崇め、堂宇を建立し、子ノ権現社を建てた。その別当寺として天龍寺が建てられ、此処が子ノ聖と十一面観音をまつる寺院となったというわけです。

 子ノ聖はこの山を終焉の地とし、未来の世まで衆生を守ろうという誓いを立てた。特に、足腰を病む者が一心に祈ったら効果があるようにしよう、と言った、とのこと。その訳は、子ノ聖が子ノ山を訪れた時、魔物が山にいて聖が住むのを妨害しようとし、火をつけた。その火で腰や足をいためた為、人々が足や腰で悩むことがないように、と誓願したということです。

 この言い伝えがあるために、「子ノ権現」は長く「足腰守護の神仏」として信仰されてきたのです。

 いわゆる子ノ聖を祀る「権現さま」と天龍寺の本尊の十一面観音像とは別の建物に安置されていましたが、現在では共に本堂に安置されています。本堂は昭和五十八年に再建されたものです。

 この本堂の再建時には、多くの篤信者が寄進を行いました。本堂の裏側の壁には、その寄進者の名前がたくさん刻まれています。




 私は大学卒業数年後にゼミの教授や後輩、大学院生などと泊りがけで、天龍寺で勉強会を行ないましたが、平成二十年の五月にも訪れました。それはこの年が子年で「子ノ権現」のご開帳の年だったからです。

 本堂の前に巨大なワラジが奉納されているのは、足腰に御利益があるとされている為、昔から参拝者が履物を奉納して願掛けしていた、ということを示しています。この境内の巨大なワラジは鉄のワラジで、日本一の鉄ワラジといわれています(ワラジは通常「草鞋」と書きますが草ではなく鉄製とあっては「草の字」を使うわけにもいかないのでカタカナ表記します)。

(2011年10月29日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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