吉見百穴のすぐ近くには「松山城跡」があります。
「松山城」といえば、なんといっても愛媛県松山市の城跡が有名で、ほかにも岡山県に備中松山城があったのですが、ここ埼玉県には武蔵松山城がありました。
室町・戦国期に上杉・北条氏の間で攻防が繰り広げられた城ですが、慶長六年に廃城となったそうです。
以後、復興されることなく、近代・現代になっても再建されることなく、遺構が発掘調査されるのみでした。
とはいえ、貴重な遺産なので発掘の調査がまとめられ、吉見百穴の資料展示室に松山城跡の資料などが置かれています。私はその資料をいただきました。
(※ところで私のブログ記事を私《石川鏡介》以外の者がサイトに利用しているようですが、如何なものかと思います。或る旅関係の「まとめサイト」で私の記事をそっくりそのまま利用している「悪質な」サイトがあると、匿名の方から指摘を受けました。私に対して無断で行っていることです。「石川という人のブログを紹介させていただいています」というような一文を添えることもないようです。なぜ勝手に利用するのか理解に苦しみますね。)