岐阜城見学(2012年11月の「石川鏡介のブログ」記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

2012年11月23日 (金)

岐阜城天守閣に登る

 岐阜城の天守閣に入り、最上階まで登りました。121114_143101

 小田原城とか名古屋城などによくみられるように、天守閣の中は刀槍、甲冑、その他、武器や武具、戦国武将の書や生活用具などが展示してあって、歴史資料館という趣になっています。121114_143401

 最上階は四方を見渡せる展望台です。121114_143402

 戦国乱世に築城されたとはいっても、現代人が見ればまるで雲の上から下界を観るかのようです。もっとも、実際は雲の上ではありませんが。121114_143403

 都会の高層ビルからの眺めとはまた違う景色です。121114_143404











2012年11月22日 (木)

岐阜城

 岐阜城は標高三ニ九メートルの金華山の山頂に建てられました。121114_150602

 築城年代や築城者については二階堂氏だといわれていますが、はっきりしたことは分かっていないようです。121114_150601

 司馬遼太郎氏の小説『国盗り物語』の主人公として有名な斎藤道三が本格的な城として建て、城下町を整備した、というのは確かなようです。当時は「稲葉山城」といいました。

 その後、斎藤道三の孫の龍興の代に家臣の離反が相次ぎ、織田信長に攻められて落城し、信長が稲葉山を本拠とし、「岐阜城」と名を改めました。121114_150401

 金華山ロープウエイの辺りなどは崖が多く急斜面で、そこからみると、かなり険しい地形であることが分かります。いかにも難攻不落という感じで、攻める側がかなり難儀したと思われます。121114_142101

 しかし、守る側にとっても、水と食糧が十分にあればいいが、そうでなかったならば、かなり心細いものだったかも知れません。金華山の周囲を敵が何重にも取り囲んだなら、逃げ場がないわけですから。121114_142102

 とはいうものの、やはり、高所から下界を見下ろすわけですから、ここが交通の要衝であり地理的にも非常に重要な土地だったことを考えると、斎藤道三や織田信長がこの地から天下取りを狙ったのも分かる気がします。121114_143001





金華山ロープウエイに乗る

 安土から岐阜へクルマで移動し、岐阜城を見学しました。

 岐阜城は金華山という山の上に建てられた山城です。121114_141501

 麓から山の上まで登山道もありますが、ロープウエイもあります。金華山ロープウエイといい、中から見る景色は素晴らしいものです。121114_141502