2012年11月23日 (金)
2012年11月22日 (木)
岐阜城
築城年代や築城者については二階堂氏だといわれていますが、はっきりしたことは分かっていないようです。
司馬遼太郎氏の小説『国盗り物語』の主人公として有名な斎藤道三が本格的な城として建て、城下町を整備した、というのは確かなようです。当時は「稲葉山城」といいました。
その後、斎藤道三の孫の龍興の代に家臣の離反が相次ぎ、織田信長に攻められて落城し、信長が稲葉山を本拠とし、「岐阜城」と名を改めました。
金華山ロープウエイの辺りなどは崖が多く急斜面で、そこからみると、かなり険しい地形であることが分かります。いかにも難攻不落という感じで、攻める側がかなり難儀したと思われます。
しかし、守る側にとっても、水と食糧が十分にあればいいが、そうでなかったならば、かなり心細いものだったかも知れません。金華山の周囲を敵が何重にも取り囲んだなら、逃げ場がないわけですから。
とはいうものの、やはり、高所から下界を見下ろすわけですから、ここが交通の要衝であり地理的にも非常に重要な土地だったことを考えると、斎藤道三や織田信長がこの地から天下取りを狙ったのも分かる気がします。







