一歩踏み込んで人を喜ばせる
「気付く人」になるにはどうしたら良いのか?
「凡事徹底」の鍵山秀三郎さんによると
1つ目は「微差、あるいは僅差の二つをいつも追究し続けること」 とのことだったが、
2つ目は?というと、「人を喜ばすこと」だという。
「微差、僅差の追究」よりもむしろこちらの方が大事ともおっしゃっている。
絶えず人を喜ばせる気持ちで物事をやる、人生を送る、毎日を送る、
これを1年間続けるだけで、本当に人が変わるくらいに
「気付く人」に変わってしまうのだそうだ。
たしかに。。
「絶えず」「毎日」ってところが、
ボクみたいな凡人にはなかなかマネ出来ないんだが。。
「凡事徹底」の文中、
「尊徳翁遺訓(寺田清一著)」に書かれている教えが紹介されている。
二宮尊徳が若いときに、自分のささやかな田畑を耕そうとしたら
クワが壊れてしまったので、隣のおじさんにクワを借りようとした。
ところが、隣のおじさんも、
いま自分の畑を耕して菜の種を蒔こうとしているところだから、
それが終わってからでないと貸せないと言う。
普通の人なら、「じゃあ終わったら貸してください」というところだが、
そこは尊徳翁、さすがに言うことが違う。
「私が代わってその畑を耕しましょう。菜の種も出してください。
私がそれを蒔いて上げます。」
畑を耕してもらい、種蒔きまでしてもらった隣のおじさんは
「これから以後はクワに限らず、何でも困ったものがあったら言ってきなさい。
何でも用立ててあげる。」と言ってくれたそうだ。
やるなぁ、尊徳翁。
サービス業の本質を突いてるような気がする。。これって提案型営業?
というか、もう人間の根源とか人の幸せとか、なんかそういう次元の話だな~。
「ああそうですかぁ、、、じゃあまた後で貸してください。」
で終わる人が圧倒的に多い中(自分もその一人)、
尊徳翁のように、自然に一歩踏み込んで人を喜ばすことを繰り返すことで、
後々大きな差になって表れるのだろう。
「凡事徹底」の鍵山秀三郎さんによると
1つ目は「微差、あるいは僅差の二つをいつも追究し続けること」 とのことだったが、
2つ目は?というと、「人を喜ばすこと」だという。
「微差、僅差の追究」よりもむしろこちらの方が大事ともおっしゃっている。
絶えず人を喜ばせる気持ちで物事をやる、人生を送る、毎日を送る、
これを1年間続けるだけで、本当に人が変わるくらいに
「気付く人」に変わってしまうのだそうだ。
たしかに。。
「絶えず」「毎日」ってところが、
ボクみたいな凡人にはなかなかマネ出来ないんだが。。
「凡事徹底」の文中、
「尊徳翁遺訓(寺田清一著)」に書かれている教えが紹介されている。
二宮尊徳が若いときに、自分のささやかな田畑を耕そうとしたら
クワが壊れてしまったので、隣のおじさんにクワを借りようとした。
ところが、隣のおじさんも、
いま自分の畑を耕して菜の種を蒔こうとしているところだから、
それが終わってからでないと貸せないと言う。
普通の人なら、「じゃあ終わったら貸してください」というところだが、
そこは尊徳翁、さすがに言うことが違う。
「私が代わってその畑を耕しましょう。菜の種も出してください。
私がそれを蒔いて上げます。」
畑を耕してもらい、種蒔きまでしてもらった隣のおじさんは
「これから以後はクワに限らず、何でも困ったものがあったら言ってきなさい。
何でも用立ててあげる。」と言ってくれたそうだ。
やるなぁ、尊徳翁。
サービス業の本質を突いてるような気がする。。これって提案型営業?
というか、もう人間の根源とか人の幸せとか、なんかそういう次元の話だな~。
「ああそうですかぁ、、、じゃあまた後で貸してください。」
で終わる人が圧倒的に多い中(自分もその一人)、
尊徳翁のように、自然に一歩踏み込んで人を喜ばすことを繰り返すことで、
後々大きな差になって表れるのだろう。