誰かが「こうしたい!」って言ったことに対して反対する人がいる。
そこに愛はあるのかい?って思う。
私は基本的に法に触れることや、他人や自分を傷つけること以外は反対しない。
子供に対してもそうかな。
なぜ反対しないのかと言うと、そういう気持ちになった経緯や感情の変遷は、その人にしか分からないから。
それを全くわかっていない自分が、頭から否定するのは申し訳ない気持ちになる。
それに、もし万が一その人が思い通りにできなくて、事故かなにかで明日亡くなってしまったら、罪悪感で地獄の苦しみを味わうと思う。
だから子供に対してもかなり自由にさせてる。
私達世代の常識なんてものは、もう古いんだよね。古くて時代に合っていない。それを1番の価値観とするのは謙虚さが足りないと思ってしまうわ。
親子とはいえ別人格で、何を快と感じ何を不快と感じるかは本人にしか分からないし、親がそれをコントロールできるわけでもないもの。
私は子供がフリーターになりたいって言ったら受け入れる。働きたくないと言ったら、健康そうなら家に3万円入れれば好きにしていいと言い、体調不良や病んでいる様子があったら普通に休ませるかな。
「普通が1番。大学生だったらサークル入ってアルバイトして恋愛して。卒業したら大企業じゃなくていいから就職してしっかり働き結婚する。本当に普通が1番。」
と言ってる人がいたんだけど、「普通」のレベルが高すぎる(^_^;)
人は本来もっとデコボコしてるものだと思うわ。
「社会の普通」に合わせすぎなくても、幸せに生きられると思う。
そして、その人にとっての幸せはその人にしか分からない。
私は子供達にはありのままでいてほしい。自分の感覚を信じて変わらないでいてほしい。そのままでいてほしい。
それが愛ってものじゃない?と思う今日この頃なんだよね。