自分には夫くらいダメなパートナーが必要だったんだろうなぁと思う。


多分けっこう根深い自己愛の傷が私にはあって、それを克服するには困難から逃げずに向き合う必要があった。


もし夫が困難にしっかり向き合うタイプだったら、私はそれに依存して自己愛の傷を抱えたまま生きることになったと思うんだよね。


でも幸か不幸か夫は困難をなかったことにして逃げ、押し付けてくるタイプだった。


息子の吃音も難病も全部丸投げされたからな。


でも、そのおかげで私は否が応でも困難に向き合い、弱さも含めたありのままの姿を受容することを学ぶことができた。


自己愛の傷って悲しみでもあるんだけど、物凄い恥の感情っていうかな、羞恥心や情けなさ、惨めさみたいなものだったりする。これは感じてみて始めて分かった。


傷があると、これらに恐怖を感じて無意識に避けるようになるのよ。

そうすると精神的に未熟な状態が続いてしまう。


私の場合もずっと避けて表面上上手くやっていたんだけど、見捨てられ不安から自己犠牲してしまうことが多かった。これが私なりの避け方。


夫はなかったことにして逃げるタイプだから、自己犠牲的な私が全てを背負うことになり、結果的に自分の傷に何度もさらされ、克服できたんだよね。


夫をダメな人と納得した時、「私は惨めな負け犬だ」という猛烈な羞恥心を感じたんだけど、それでも今まで向き合ってきたことに比べたら、大したことのない感情だと思った。


困難に向き合い、しっかり感じながら対処することで、私の心の耐性が上がっていたのだ。


夫ほどのダメな人でなければ、こうはならなかったと思う。


結果として、私は心の耐性が上がり、夫は低いままになった。夫は私が「やるタイプ」だったから成長する機会を逃した。でもそれは夫の責任だ。


今、夫と私には大きな距離ができてしまった。夫は私と離れなければ、一生このままだと思う。でも、それは私の問題ではない。


この未熟な夫をATMとして側に置くか切るかは、私の方の都合で決めようと思う。