柳井にっぽん晴れ街道協議会ウォーキング | 三浦清隆のブログ

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4月6日(土) 週間天気予報では雨マークが出てましたが、3日前から晴れに変わりました。

このポスターはJR岩徳線の周防花岡駅に貼ってあったので撮りました。

今回が3度目の鉄道車両の移動を見せるイベントです。かなり多くの鉄道ファンの方が来られるのではないでしょうか?


ところで、今回はJR柳井駅に9時集合。

柳井市観光協会の女性2名が対応されています。早速、保険料の¥100を払い本日の資料を頂きました。

今日は、「絵はがきの撮影地を訪ねる」約4㎞のウォーキングです。午前中で終了するので昼食はありません。

今回も柳井にっぽん晴れ街道協議会の事務局長の岸田さんの案内で周ります。

9時10分頃、男女3名ずつ計6名の参加者でスタートします。

絵はがきと言うのですが、写真から作られた物です。明治期には宛名面には通信欄が無かったそうで、時代と共に通信欄が1/3から1/2へと変わっていったそうです。


先ず、柳井駅の絵はがきは大正時代の物で、柳井駅は明治30年(1897)9月25日に山陽鉄道が広島〜徳山間が開通時に開設されました。当時は、柳井津駅となっていました。昭和4年(1929)4月20日に柳井駅と改称されて現在に至っています。

絵はがきにある駅前のガス灯を模して、駅前通り(麗都路通り)に街路灯が立っています。

柳井川に架かる本橋は柳井津駅が出来た後に架かったそうです。

旧周防銀行、当時の原型は残っていますが、多少の変更があります。今は道路から離れてますが、元々は道路沿いにあったそうです。

ここから白壁通りに入る。小瀬上関往還でもあるここを抜けて、一度柳井市観光協会に寄ってトイレ休憩をします。


休憩後、柳井高等女学校跡を見て行きます。

以前、柳井川の橋めぐりの時に訪れています。明治40年代から昭和20年代まで女学校がありました。その後、山口県立柳井女子高等学校と、男子校の山口県立柳井高等学校が統合され、跡地は現在、柳井文化福祉会館となっています。


次に、柳井商業学校です。大正9年に創立された学校で、昭和19年に工業科を併置し柳井商工高等学校となり、昭和47年に商工が分離されて山口県立柳井商業高等学校になったが、34年ぶりに再び統合されて現在、山口県立柳井商工高等学校となっています。

跡地に複合図書館「みどりが丘図書館」が建設されています。跡地全体を「翠が丘防災運動公園」として、図書館、駐車場、防災公園、弓道場が整備されています。図書館は今年7月の開館予定となっています。


ここから少し高台へと登ります。弥山権現まで登るのはちょっときついので、途中から市街地を見ます。

高台のお寺を見ながら、街中へと降りて行きます。

松陽館が大正14年に開館しました。ここでは松竹作品が上映されていました。今は寂れた飲み屋になっています。


柳井天満宮(菅原神社)へと入ります。

この鳥居は、大正5年(1916)に境内が拡張され、神門が建てられたことで、新市通りから境内の東側に移設されたそうです。

その後、岡の上公園に遷宮の計画もあったのですが、昭和51年(1976)に改修されて赤く塗られています。

また、この新市通り(旧小瀬上関往還)では、毎年4月18日〜25日天神春祭りがあり、大名行列などでとても盛況であったそうです。現在は4月25日だけになったようです。


最後に、凌波館を見て行きます。

井伏鱒二の作品「柳井のお大師山」」に登場する割烹旅館です。


今回は約3時間と短いコースでしたが、昔の絵はがきから活気のあった時代が窺い知ることが出来ました。



因みに、4月2日(火)に仕事中、スチール製の棚が倒れて、右手小指を解放骨折して只今休職中です。

完治に2ヶ月かかりそうです。