おはようございます☀️

集団行動でみんな同じことするというのが異常に嫌いなのと、流行っている?と聞いてしまうと一気に覚めてしまう、あまのじゃく【まるメガネ】です。


今日は『思い出が価値に変わる』ことについて。

時代だな〜って思った光景。
7〜8人の中学生位の女の子の集団がキャッキャキャッキャ楽しそうにはしているから観察。
色々なポーズやメンバーで場所を変えて写真や動画を撮りまくる。
1時間近くやっているから違和感でしかない。

SNSにのせる画像だと思うけど、そんなにいる?というのと同時に、これが今の遊び方なんだなぁ〜って思った。
友達と同じ空間で遊んだという記録を供給する。
それが友達と遊んだという思い出になる。


SNSの普及で承認欲求が高まり、共感?を得る為に必死に情報をとるし発信する!
共通の情報を知っていなければ仲間の輪から追い出される構図。

集団が同じ目線で繋がっているということが安心と思っているのかな?


繋がっていることに安心感を得てしまうと、同じでなければ不安になる。
自分の行動が監視されているような気がして、完全に繋がるって普通に考えたら怖いね。


ただ、若い子達は繋がっている環境が当たり前だから何も思わない。

みんなが同じ目線で、同じような体験をして生きていく場合、恐ろしいことが起こる。
みんな同じだから、代わりは誰でもできるってこと。
集団で合わないと思ったら切り捨てて同じような価値観の人を加える。
その繰り返しだね。




前置きは長くなったけど、
経験や体験=思い出 となる。

現在お金の消費動機はこの【思い出】に対して!
誰かの影響で憧れて、同じ場所や同じモノを体験して思い出にする。


現在影響力があると言う人はたくさんいるみたいだけど、今、影響力がある人が発信した情報を吸収してアップデートしていく人達が増えれば自ずと今、影響力がある人はあっという間に過去の人になる。


そういう意味では、影響力がある人は
どんな体験をしているか?という思い出がその人の価値になっていくよね。
常に体験をアップデートし続けないと、今持っているその体験には価値がなくなる。


価値観が合わなくなるのは、まさに経験や体験で得た思い出の価値が、時間が経つにつれてずれていくからだと思う。


例えば、
中学の時は地域の限られた人だけのコミュニティで思い出を共有する。
高校になったらコミュニティの範囲は広がるから思い出の幅や種類はかわる。
さらに大学になれば全国から人が集まるから吸収できる情報量が大幅にかわる。

結果たった10年でも中学までは同じような価値観を持っていたとしても大きく変わるってこと。


吸収する情報量によって経験や体験の質は変わる!

【経験や体験=思い出】の質が高ければ影響力をもつような人になる。
まさに思い出が価値に変わっているってこと。


全てのことに入れるけど、
影響力を持っている人に共通しているのは、唯一無二の経験や体験を持ってきている人!!!


これは全てのことに言えることだね!



時間を使って経験や体験をして思い出を作るのであれば、質を上げた方が得ってこと!
多くの人が経験、体験出来る思い出は、共有という財産は残ったとしても、そこには価値はないということ。


誰も、行ったことがない所にいく。
誰も、やったことがないことをやってみる。
誰も、やりたくないことをしてみる。


その経験、体験が質の高い思い出となり、結果価値となる!!!


新たな挑戦は価値を生む!

ってこと。


それは、大きいことではなく小さいことでも一緒。

自分は毎日続けてブログを書く。
それは毎日考えるという習慣という体験を得て、
これを続けることで新たな価値が生まれる。



そう信じて、毎日考えるwww
数年後、この毎日続けてえたという事はきっと自分の財産になる気しかないね。