私の初めてホームとしたお山はそれはそれは盗掘の酷いところで、
希少な花も多く、
今日話せば数日後になくなっている、という位の山だった。
それは地域性なのか、人気ある山ゆえに〇〇が沢山ある山というイメージが強く
(実際には〇〇は近隣にごく普通にあるのに)
泥棒が殺到する山だった。
ある年、私はある花を懸命に探し、探し当てることが出来た。
私は当時常連だったから親しい常連に泣きながらその報告をした。
(その花は私の大好きだった故人が見ることなく終わった花だったから、
代わりに私が探そうとしたのだ)
しかし花の山として有名なその山の常連で花に詳しい人は当時は私以外にいなかった。
私の話の希少性が分からなかったのだろう、多分常連はべらべらしゃべった。
そして翌年そのエリアのその花は消失した。
こういう経験が積み重なり、
私の人間不信は増した。
私は相当に花好きだが、自分からどれだけ好きか、何を知っているか等話すことはなくなった。
しかし、時折私の想いが通じる人がいる。
めったにいないが、いるのだ。
今年コロナ禍が明けて(ということにする)某山に足繁く通っている。
そこは花好きの垂涎の的であり、私も希少な花に出会いたいと思っていた。
ひょんなことから初見で分かるはずもない様々な花を教えてもらえる機会に恵まれた。
特に、迷路のような花園で、ある花が分からなくて途方に暮れていたのだが、
訪れてきた人に尋ねるとあっさり教えてくれた。
しかもその希少種に関しては他の場所まで教えてくれる人がいた。
この山では「花好き」だと認定されれば人の心の紐も緩まるのだろうか。
そういうものなのだろうか。
私の地元の山とは全く逆で驚くばかりだった。
私は基本的に単独が多いが、同じような花好きの人と歩くのもいいものだなぁと思っている。
親切にしてくれた人にはどのようなお礼をしようか。
やっぱりホームの自生地かな。
警戒心の強い私がこうやって変わっていっている。
人間は変わるものだなぁと我ながら感慨深く思う。