" 化学者・高峰譲吉の生涯 さくら、さくら "
監督 市川徹
出演 加藤雅也 *高峰譲吉
国分佐智子 *高峰順
松方弘樹 *渋沢栄一
あらすじ、ネタバレ御免
病院に運ばれる急患
緊急手術
血圧低下 エピネフリン投与
看護師佐智子は首を傾げる
エピネフリン?
何故アドレナリンと言わない?
アドレナリンは
高峰譲吉が1901年に牛の副腎から発見し
世界で初めて結晶化に成功した
一方
同じ物質をジョン・ジェイコブ・エイベルが
羊の副腎から抽出しエピネフリンと命名した
高峰譲吉は1854年(江戸252/266年)
加賀藩典医の長男として越中高岡に生まれる
高岡・国泰寺
高峰譲吉はタカジアスターゼも発見した
金沢・石川門
譲吉の父は加賀藩主の命を受け金沢に引っ越す
金沢・黒門前緑地(高峰家跡)
金沢・高峰家
1862 譲吉・8歳 金沢の藩校、明倫館に入学
1865 長崎留学、英語を学ぶ
1868 京都の兵学塾、大阪の緒方塾にまなぷ
1869 大阪医学校に入学 応用科学を専攻
1874年
工部省工学寮に第一期生として入学
1879年
譲吉・25歳
化学科を首席で卒業
1880年
英国グラスゴー大学へ3年間留学
1883・明治十六年
譲吉・29歳
帰国
農商務省に入省 工務局で実験に没頭
実用実利 儲かる化学を実践
譲吉の妹 佐智子の祖母
横浜の医者に嫁ぐ
譲吉は大蔵省の役人益田孝(35)と出会う
親交を深める
1884年
譲吉・30歳
米国ルイジアナ州ニューオリンズで開かれた
万国工業博覧会に事務官として派遣される
キャロラインと出会う
キャロラインの親は没落しかけた金持ち
譲吉の研究に出資 立ち直りを賭ける
譲吉は燐鉱石を10t購入
1886・明治十九年
第一国立銀行頭取 渋沢栄一(46歳)
益田孝は譲吉・32歳を紹介
譲吉は燐酸肥料の必要性を力説
浅野総一郎(浅野セメント社長38歳)は譲吉を支持
譲吉は東京人造肥料會社を設立
酒の防腐剤も開発
専売特許局局長代理になる
1887・明治二十年
産業視察の為米国に渡る
キャロラインと結婚
帰国
キャロライン妊娠
1888・明治二十一年
キャロライン(23歳)出産
1889・明治二十二年
キャロライン第二子出産
1890・明治二十三年
渡米
ピオリア ウイスキー・トラスト社に就職
麦芽を使わず麹によるウイスキー醸造法を発明
1893
譲吉・39歳
昔気質のウイスキー職人の反感を買う
研究所を放火され全焼
シカゴに移住
1894
譲吉・40歳
麹菌からジアスターゼの抽出に成功
タカジアスターゼと命名
1895
米国大手製薬会社と製造販売契約を結ぶ
ニューヨークに移住
1899年
日本でタカジアスターゼ販売の為、三共を設立
上中啓三(23歳)が助手になる
1901・明治三十四年
譲吉・47歳
牛の副腎に含まれるホルモンの結晶化に成功
アドレナリンと命名
1904年(明治37年)
日露戦争勃発
1919・大正八年
ニューヨーク郊外・松楓殿
譲吉・65歳
米国に桜を植える
1922年
譲吉・68歳
ニューヨークにて病死
さくら は
ほぼ 関係ない
サムライは
全く関係ない
アドレナリン
タカジアスターゼ
を実用化した化学者の話
人生
九転十起
いやいや
もっと転ぶ
2010年 日本映画 133分
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