" 愛と死をみつめて "
監督 斎藤武市
原作 大島みち子
出演 吉永小百合 *大島みちこ
浜田光夫 *まこと
笠智衆
あらすじ、ネタバレ御免
信州寮に暮らす信州出身の大学生まこと
みちこからの手紙を読む
私の事は忘れて下さい
*
*
浪人中のまことは怪我で入院
同じく入院中のみちこと出会う
みちこは病人とは思えぬほど元気
2人は親しくなる
*
みちこは高校を卒業し希望の同志社大学に合格したが
1学期が終わると大阪大學医學部附属病院に4度目の入院
まことは3年振りに左目に眼帯をしたみちこに会う
2人は2年間文通を続けて来た
まことはみちこを故郷信州 に連れて行くきたい
まことの故郷は駒ヶ岳の近く
信州は 良い所 山が綺麗 空気が上手い
9月
2学期が始まり みちこは退学を決める
主治医から回復の見込みが低いと聞かされる
どのくらい生きられるか分からない
*
10月
東京の信州寮に暮らすまことはみちこからの手紙を読む
私の事は忘れて下さい
まことは大阪へ行きみちこに会う
僕は別れないぞ〜
みちこの父智衆とまことは主治医から説明を受ける
みちこの軟骨肉腫は 鼻と口の境に生じた
それが 次第に発展して 鼻の周辺の骨を侵した
このまま肉腫が発展すると大脳を侵す
放射線治療に期待したが功を奏せず
みちこの命を守るためには
左目の下の既に侵されている骨と
その周辺を大きく取り去るより方法はない
手術を行うと 顔の左半分がなくなる
手術を行った場合の5年生存率は15%〜20%
軟骨肉腫は発症すると ほとんど人が5年で死ぬ
みちこは発症して既に5年経っている
父智衆もまことも 手術を希望
みちこは手術を決心
父智衆 兵庫県に帰る
みちこの病室は個室
面会者用のベッドもある
まことは5泊し
2年間 会わない約束をし東京に帰り文通を続ける
みちこの手術の日 まことは信州に帰る
みちこの手術は無事終わる
左の鼻筋に添って唇まで切り 左の上顎を目まで切除した
整形手術の予定が半年伸び
退院は来年の6月の予定
入院が長引いたので
家計の負担を減らす為 4人部屋に移る
右目の下に転移
2月4日
みちこは21歳になる
翌日 2度目の手術
思わしくないので途中で中止
みちこは退院したらまことと彼の故郷 信州に行きたい
5月26日
突然 父智衆が来る
夜の大阪の町をタクシーでドライブ
テーブルクロスを刺繍しまことに送る
みちこは 激しい頭痛に襲われる
右目も霞む
みちこは個室に戻る
まことが来る
みちこは衰弱著しい
まことの誕生日8月8日はもうすぐ
まことはみちこに信州の駒ヶ岳の写真を見せる
信州で駒ヶ岳と言えば 木曽駒か甲斐駒か
これ本当に駒ヶ岳か?
写真を見ながら空想山登り
この頃 登山中は 水はあまり飲まない方がいい が通説
今は 喉が乾いてなくても水は飲め が通説
みちこの目が霞む
まことは帰る
昭和38年8月7日
みちこ 御他界
終
本人の手記がベストセラーになり
テレビドラマ化されて
歌も作られてヒットして
今でも覚えている
まこ〜 甘えてばかりでごめんね〜
みこは とっても幸せなの〜
1964年の事だけど
だとすると 僕は3歳
1969年にもテレビドラマ化されてるから
僕が見たのは 多分そっち “若きいのちの日記”
風邪で小学校を休み家で寝てた時に見て
この世には
死に至る怖〜い病気があると知り
本当に怖かったのを覚えている
映画は最初のテレビドラマ化から
5ヶ月後に公開され
日活創業以来の最大のヒットになった
軟骨肉腫の5年生存率は
2022では 70〜80%
治療の原則は外科的切除
化学療法 放射線治療の有効性は確立されていない
1964年 日本映画 117分
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