" 三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実 "
監督 豊島圭介
ナレータ 東出昌大
出演 三島由紀夫
東大全共闘 木村さん
東大全共闘 芥さん
楯の会の面々
本作は1969年に行われた討論を中心とした
ドキュメンタリー映画である
***
1960年代後半
ベトナム戦争反対 大学改革を訴える大学生の反乱が
全国に広がった
1968年は 世界同時多発的に
さまざまな政治運動が起こった
パリ五月革命 プラハの春 アメリカ公民権運動
68年は“政治の季節”と呼ばれ
日本にも革命が起こるのではないかという
期待と不安を人々は抱いた
各大学には
自立した闘争を求める 全学共闘会議=全共闘が形成された
その学生らは“全共闘運動”を展開した
学生たちは学費値上げ反対や
大学施設の管理運営権などを主張しながら先鋭化
大学当局と対立した
若者たちの反乱は
反戦平和を訴える街頭闘争としても展開した
東京は学生と機動隊による 戦争状態になる
そんな状況に危惧の念を持ち 現場を偵察する小説家
三島由紀夫
1925年に生まれ
太平洋戦争のさなかに東大法学部に入学
第二次世界大戦末期に青年時代を過ごす
三島が二十歳の時
日本は敗戦を迎え
天皇は“人間宣言”をして 象徴となる
戦争で死ぬ覚悟をしていた三島は生きながらえ
大蔵省に勤務した後 作家活動に専念
肉体を鍛え 剣道は四段
自衛隊に 幾度となく体験入隊を繰り返し
戦闘機による 超音速飛行体験も行なった
三島は60年代に入ると
政治的発言を積極的に行い始め
政治色の強い作品を 次々に発表する
1968年10月
三島は右翼・民族派の 大学生からなる
私的民兵組織 “楯の会”を立ち上げる
左翼学生が唱えた共産主義革命に対抗し
楯の会は 反革命を標榜
三島は隊員たちを引き連れ
さらなる自衛隊体験入学を繰り返し
きたるべき戦いに備えた
銃を取って立ち上がれるだけの訓練を経た人間が
青年の中に 1人でも多くならなきゃいかん
楯の会の目的は
警察が新左翼の暴動を 抑えきれなくなった時の出動
なので
自衛隊体験入学は普通以上に本格的なものだった
1968年に誕生した 東大全学共闘会議=東大全共闘は
大学の根本的変革を求めて
過激な学園闘争を戦っていた
69年1月18日
安田講堂を占拠した全共闘に対して
機動隊が出動
全共闘はガレキと火炎瓶で これを迎え撃ったが
催涙弾と放水攻撃の前に敗北
安田講堂は2日で陥落した
安田講堂の陥落で
大きな打撃を受けていた 東大全共闘は
次の一手を どう打つかが問われた
駒田の東大教養学部を拠点にする木村たちは
“東大焚際委員会”を結成
大討論会を企画
1969年 春 深夜1時
三島由紀夫は 1本の電話を受け取る
相手は
旧体制変革のためには 暴力も辞さない
反体制・反権力の 急進的左翼学生 東大全共闘
“保主反動” 右翼的“天皇主義者”三島由紀夫を
討論に招きたいと言う
1969年5月13日
近代ゴリラこと三島(44歳)が呼ばれたのは
駒場にある東大教養学部の 大講堂 900番教室
1000人を越える学生が 集まる
午後2時5分 討論の幕が開く
第一章 七人の敵あり 三島の決意表明
三島は10分間のスピーチを行う
言葉というものは
まだ ここで 何ほどかの有効性が
あるか ないか
まあ 試しに 来てみた
諸君も とにかく日本の権力構造 体制の目の中に
不安をみたいに違いない
私も実は見たい
別の方向から見たいんだ
私は安心している人間が嫌いなので
私は生まれてから一度も 暴力に反対したことがない
右だろうが 左だろうが
暴力に反対したことなんか一度もない
無限定 あるいは無前提に
暴力否定という考えは
共産党の戦略に 乗るだけだと考えているんで
好かない
筋や論理はどうでいい
とにかくただ当面の秩序の維持が大切である
そんな考えが日本中に蔓延している
当面の秩序維持の為に
自民党も共産党も 手を握ろうとした
筋が立たないところで
そういうことをやられると 気持ちが悪い
自民党は もっと反動であってほしいし
共産党は もっと暴力的であってほしい のに
どっちも もたもたしている
この点が私がイライラしている 1番の原因です
私は合法的に 人間を殺すということが
好きじゃない
私は死刑廃止論者では ないが
合法的に人間を殺すという立場に立って
自分がやりたいとは思っていない
非合法で
決闘の思想において 人をやれば殺人犯だから
そうなったら自分も
おまわりさんに 捕まらないうちに
自決でも何でもして 死にたいと思う
しかし
そういう時期が いつ来るかは分からないから
そういう時期に合わして 身体を鍛錬して
“近代ゴリラ”として 立派なゴリラになりたい
日本の知識人が
思想 知識の力だけで 人間の上に君臨する形が
嫌いで嫌いでたまらなかった
全学連のやったことの 全部は肯定しないけれど
日本の大正教養主義から来た 知識人の自惚れの
鼻を叩き割ったという功績は絶対に認める
東大全共闘司会 木村からの質問
他者の存在とは
サルトル“存在と無”に曰く
一番猥褻なものは 縛られた女の肉体である
エロティシズムは 他者に対してしか発動しないのに
他者は意識を持った主体であり
エロティシズムにとって 邪魔になる
これが 人間が人間に対して持っている関係の
根源的なものである
要するに
自分の想像と あまりに離れていても 萎えるし
全てが想像の範疇でも 萎える
暴力もエロティシズムと 非常に似た関係にある
で
共産主義を敵にすることに決めた
第二章 対決
全共闘が新たな議題を提示
自然対人間の関係
自然という言葉が多義的に使われている
1つは長野県にある自然
1つは東京にある丸ビルのいう自然
あるいは 生産行為の場としての自然
全共闘の討論者芥
“行動”無き“認識”は敗退ではないのか
小説家は “行動”無き“認識”の最もたるものではないか
芥は 解放区の実現を夢見たが
芥の弁論は
論破する事のみを目的とし 自分の正当化に終始し
詭弁に詭弁を積み重ねた三段論法的に煙に巻くみたいな
デマゴゴス 価値分配体系
イマージュを事物で乗り越える時 そこに空間が生まれる
論が立ったところで 観念界のお遊び
第三章 三島と天皇
昭和初年の天皇親政と
現在の直接民主主義とは
ほとんど政治概念上の区別がない
その中の共通要素は
国民の意思が 中間的な権力構造の媒介物を経ないで
国家意思と直結することを 夢見ている
今の天皇は 私の考える天皇では いらっしゃらない
そして 私の考える天皇にしたい
天皇は それほど堂々たるブルジョアじゃない
それでないからこそ 革命は難しい
人間天皇という時には
統治的天皇 権力形態としての天皇を意味している
だから 天皇に
昔の神ながらの天皇というものの
一つの流れを もう一度 再現したいと思っている
私は日本人であり 日本人の限界の中で生きる
私は戦争中に生まれた人間で
学習院高等科の卒業式で
天皇は 3時間座ったまま 微動だにしなかった
その天皇から銀時計を貰った
その時の天皇は とても立派だった
僕は論理のとおり 行動しようと思ってない
つまり意地
最終章 熱情
諸君の熱情は信じる これだけは信じる
他のものは 一切信じないとしても これだけは信じる
討論会 終わり
三島は愉快な経験だっただったと感想を述べている
討論から一年半後
1970年11月25日
三島は陸上自衛隊市ケ谷駐屯地にて
東部方面総監を人質に取り
憲法改正を主張し
1000人の自衛隊員に 決起を呼びかけた
しかし その言葉は届かなかった
三島は“天皇陛下万歳”を叫び 切腹した(享年45歳)
全共闘は闘争に敗北したが自殺はしなかった
社会の中に拡散した
性善説に立って
人間全部が善人なら
共産主義は 素晴らしい思想である
でも
性善説に立って
人間全部が善人なら
資本主義でも
金持ちは貧乏人に分け与えるので
似たことになる
人間全部が善人なら
政治すら必要ない
悪人がいるから
政治が必要になる
でも悪人が行う政治だから
社会が良くなるはずがない
本当の善人が
革命を起こして
政治を司れば
社会は良くなるが
後継者が善人とは限らないので
やがて政治は腐敗する
2020年 日本映画 108分
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