「 二百三高地 」 | 0・・映画toほげほげ

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★映画のほげほげ等、気まぐれ備忘録★

  " 二百三高地 "

 

監督 舛田利雄

音楽 山本直純

出演 仲代達矢  *乃木希典

   あおい輝彦 *雅子の知人

   夏目雅子

   丹波哲郎  *児玉源太郎

 

 

 明治37年 (1904年)

 満州(現 中国東北部) ハルビン

ロシア軍に処刑される日本人と満州人

 

  ***

 19世紀の末

 アジアは欧米列強の植民地化の餌食となっていた

 明治政府は植民地化の嵐から日本を守る防衛拠点として

 朝鮮半島の支配権を目指していた

 

 ロシアは引き続きアジアでの領土拡張を策し

 当時清国の領土であった満州に大軍を駐留させた

 その一部は朝鮮北部に侵入を始め

 日本政府の意図と真向からぶつかった

 武力による解決か 外交交渉による妥協か

 政府首脳は世界最強と言われたロシア軍との衝突を恐れ

 選ぶべき道を探しあぐねていた

   常備兵力

   日本    20万人

   ロシア 300万人 

 

戦争反対派の民間人雅子

 

枢密院議長伊藤博文は参謀本部次長児玉源太郎(52歳)に相談

 勝算はないけど五分五分

 でも放置すれば戦争にもならず植民地になる

 やるなら 今しかない

 引き分けに持ち込めば世界が仲裁に入る

 

  *

 明治37年 2月4日

御前会議で羊から狼に変貌すると決定

 

 仁川沖海戦、旅順港夜戦の後

 第一軍 仁川上陸 鴨緑江渡川 満州に進行

 第二軍 遼東半島上陸

 

 

こんなご時世でもロシアを愛する雅子

だってトルストイって凄いから

 

 開戦3ヶ月余

 日本は東洋一の軍港 旅順の難関に直面した

 ここには40隻からなるロシア東洋艦隊が

 日本軍の輸送船団を脅かし

 連合艦隊は3回に渡る港口の閉塞作戦を敢行したが

 いずれも失敗に終わった

 ロシアは本国バルト海にある主力艦隊の増援を決定し

 旅順の攻略はバルチック艦隊到着と時間を競う急に迫られた

 

 大本営幕僚会議は地上軍による

 旅順要塞早期の攻略の重要性を認め

 新たに第三軍を編成して

 軍司令官に乃木希典中将(55歳)を配した

 

 乃木と児玉は共に長州の出身で

 明治維新以来

 陸軍軍人として同じ道を歩いてきた無二の盟友

   (明治維新当時は19歳と16歳)

 

 

知人の出兵を悲しむ雅子

 

 

 五月二十六日 第二軍 金州南山占領

  戦傷者四千余名

 

 第三軍司令部は東京を出発し

 乗船の為 広島の宇品港に向かう

 

 6月1日

 第三軍司令部 宇品出港

 

知人の出兵を見送る雅子

 

 

 旅順はロシア東洋艦隊の本拠地であり

 満州全土の死命を制する鉄道の基地でもある

 ロシアは7年の歳月と巨費を投じて世界一の要塞を築いた

 中でも二龍山を中心とした松樹山 東鶏冠山の防御要塞は

 難攻不落の永久堡塁だった

 

 乃木希典と第三軍に与えられた任務は

 ここに日章旗を掲げることだった

 

 乃木第三軍は遼東半島上陸後

 前線拠点を次々と攻略し

 旅順要塞の東及び北正面の堡塁に向かい

 全軍を配置した

 

第九師団は二龍山永久堡塁を正面攻撃目標として布陣

 

 7月15日 大連

 大本営は来たるべき大作戦に備え

 満州軍総司令部の総参謀長に児玉源太郎大将を任命した

 

 8月10日

 第三軍の旅順包囲を知ったロシア東洋艦隊は

 旅順港を脱出してウラジオストックに向かおうとしたが

 待ちうけた連合艦隊に捕らえられ公海で大体戦となる

 日本海軍は圧倒的勝利を得るが

 戦艦5隻を含むロシア残存艦隊は旅順港の奥深くに隠れ

 バルチック艦隊の到着以前に旅順艦隊を撃滅しておく

 という連合艦隊の基本戦略は成功するに至らなかった

 

 

依然乃木軍司令官は旅順の正面攻撃を考えていたが

大本営からは 防備の弱い二百三高地を攻撃目標にし

そこから湾内のロシア艦隊を砲撃する案も出る 

 

 

 8月19日

 第一師団右翼隊 大頂子山攻撃失敗 第二中隊全滅

 第九師団右翼隊 龍眼北堡塁攻撃失敗 歩兵第三十六連隊 死傷大

 第一師団左翼隊 水師営南方堡塁突入失敗 第一、第三大隊全滅

 8月20日

 第九師団 第七連隊、第三十五連隊

 蟠竜山前哨堡塁に突撃

 突入失敗 第七連隊ほぼ全滅

 

 第十一師団 東鶏冠山永久堡塁に突入失敗

 第二十二連隊 ほぼ全滅

 

 

その間に 第七連隊寺島中隊が

2,900名の総員の90%の戦死者を出しながら

盤龍山前哨砲台陣地を占領

 

 乃木は総攻撃の中止を下令

 第一次総攻撃の成果は盤龍山前哨砲台陣地のみ

 

 第三軍司令部は第一次総攻撃の失敗に懲りて

 手堅く敵陣に迫る正攻法に着手すると共に

 強力な大型砲18門が内地から旅順に運ばれた

 

 10月1日

砲撃開始

 

 

知人の部下の子供の消息を心配する雅子

 

 

 10月16日

 37隻のバルチック艦隊がバルト海の軍港を出発

 日本近海到着は1月中旬の見込み

 

 艦隊の修理期間を考え

 海軍としては陸軍に今月中に旅順を落として貰いたい

 

 遼陽 満州軍総司令部

総参謀長児玉源太郎は旅順を早く落とせと下令

 

 10月26日

 乃木は第二次総攻撃に踏み切る

失敗に終わる

 

 

 11月7日

バルチック艦隊 モロッコ沖を通過

 

来月には

日本艦隊は修理のため日本に帰る

そうなれば旅順港に閉じ込めたロシア東洋艦隊は公海に出

日本から物資の海上輸送は難しくなる

 

 11月26日

第三次総攻撃開始

 まず各師団選抜の決死隊が暴挙の奇襲攻撃で壊滅

 第十一師団は東鶏冠山に突入

 第九師団は歩兵第十九連隊が主力となり

 二龍山に突入

 苦戦

 

 

知人の部下の子供の世話をする雅子

 

 

第三軍手詰まり

攻撃目標を二百三高地に転換

攻撃部隊は後から来た第七師団を主力とし

第一師団を組み入れる

 

 二百三高地

 11月28日

攻撃開始

 

 12月5日

 第二十七連隊集成第三中隊 二百三高地西南山頂占領

 第二十八連隊集成第一中隊 二百三高地東北山頂占領

 集成第二十五連隊 二百三高地中央山頂占領

 

 

小学校の先生になった雅子

 

 

 12月15日

 第三軍は正面要塞への総攻撃を再開

 第十一師団 東鶏冠山永久堡塁占領

 

 12月28日

 第九師団 二龍山永久堡塁占領

 

 明治38年 (1905年)1月1日

 ロシア軍旅順要塞司令官降伏

 

 3月10日

 第二軍及び第三軍 奉天を占領

 

 5月27日

 連合艦隊vsバルチック艦隊 開戦

 連合艦隊の一方的な圧勝 バルチック艦隊壊滅

 

 

雅子は知人の死を悲しむ

 

 

 

   

 

 

 

   明治政府っていっても

   明治維新の後 上に立ったのは 元侍たち

   元々 戦が好きなのだ

 

 

   侍日本 ここにあり   

   絶対に負けられない戦いがある

      ↑ 今時の奴は 戦争も知らないくせに

        この言葉を使い過ぎ

 

 

   うわぁうわぁ といっぱい人が死ぬ戦争にも

   それなりの義があるんだな

 

 

   甘んじて植民地になるか 殺されるか

   その覚悟がなければ

   戦争反対を主張できない

 

   魚釣島とか竹島如きの領有権で

   日本の弱腰を批判する人は

   戦争反対を主張してはいけない

 

 

   だけど

   戦争必要論を唱える政府の

   嘘にも騙されてはいけない


 

 

    ロシアは東西に長い国

    西の欧州が頭なら東のアジアは尻尾

    噛みつかれれば痛いが

    守るのに頭ほどの本腰を入れない

    日本はロシアに勝ったのではなく

    ロシアの尻尾に勝ったようなもの

 

 

 

   旅順港に逃げ込んだロシア東洋艦隊だが

   ロシア軍に戦艦を直す余力は元々なく

   二百三高地は軍事的にほぼ価値がなく

   攻撃目標を二百三高地に変更しなければ

   もっと早くロシアは降伏していたかも知れない

 

 

     その昔

     越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が

     勢力争いをした時

     真ん中に挟まれた弱国信濃が幾度も戦場になった

     朝鮮とか満州って それと同じか

 

 

 

   山は死にますか と聞かれたら

   山は生けるものではないので 死にません

   ただし

   崩れてなくなることはあります

   と おしえてあげよう

 

   春はどうですか って面倒臭い奴だな

   死なないよ 

   生けるものじゃないから

   三ヶ月もすりゃ夏になるから逝くと言えなくもないけど

   そんな悲しい声で聞かれても

   春が行ったら夏を楽しみゃいいじゃん

 

 

 

 

 

1980年 日本映画 185分 制作費670万ドル

 ブルーリボン賞 助演男優賞受賞