" DER UNTERGANG "
Untergang = 沈むこと、破滅
監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ als Adolf Hitler
アレクサンドラ・マリア・ララ als Traudel Junge
コリンナ・ハルフォーフ als Magda Goebbels
ウルリッヒ・マテス als Joseph Goebbels
ユリアーネ・ケーラー als Eva Braun
ハイノ・フェルヒ als Albert Speer
クリスチャン・ベルケル als Prof. Ernst-Günther Schenck
マティアス・ハビッヒ als Prof. Werner Haase
トーマス・クレッチマン als Hermann Fegelein
アドルフ・ヒトラー
1889年、オーストリア生れ
1914年、志願兵となる
ヴィルヘルム・カイテル
1882年、バート・ガンダースハイム生れ
1901年、陸軍入隊
1935年、国防軍最高司令部総長に就任
1940年、元帥に列せられる
アルフレート・ヨードル
1890年、バイエルン生れ
1910年、陸軍入隊
1938年、国防軍最高司令部作戦部長に就任
1944年、上級大将に昇進
ヘルムート・ヴァイトリング
1891年、ハルバーシュタット生れ
1911年、陸軍入隊
1944年、大将に昇進
1945年、第56装甲軍団の指揮を執る
ローベルト・リッター・フォン・グライム
1892年、バイエルン生れ
1945年、空軍総司令官に就任、元帥に列せられる
ヘルマン・ゲーリング
1893年、バイエルン生れ
1911年、下級曹長級士官候補生に任官
1940年、国家元帥になる
ヴィルヘルム・ブルクドルフ
1895年、ヒュルステンヴァルデ生れ
1944年、陸軍人事局長兼総統副官に就任
ヨーゼフ・ゲッベルス
1897年、プロイセン生れ
1933年、宣伝省大臣に就任
ハンス・クレープス
1898年、ヘルムシュテット生れ
1914年、陸軍入隊
1945年、陸軍総司令部参謀総長に就任
ハインリヒ・ヒムラー
1900年、ミュンヘン生れ
1925年、親衛隊に入隊
1936年、警察長官に就任
ヴェルナー・ハーゼ
1900年、ケーテン生れ
1934年、軍医となる
マルティン・ボルマン
1900年、プロイセン生れ
1918年、陸軍に入隊
1933年、個人秘書兼官房長に就任
マグダ・ゲッベルス
1901年、ベルリン生れ
1930年、ヨーゼフ・ゲッベルスと結婚
1932年から1940年の間に6人の子を産む
エルンスト=ギュンター・シェンク
1904年生れ、医師
1933年、突撃隊に入隊
1940年、栄養検査官に就任
アルベルト・シュペーア
1905年、マンハイム生れ
1933年、総督官邸の改修を行なう
1937年、建設総監に任じられる
ヘルマン・フェーゲライン
1906年、バイエルン生れ
1933年、親衛隊に入隊
エヴァ・ブラウンの義弟
ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
1910年、ミュンヘン生れ
1944年、ヒトラーの主治医になる
ヴィルヘルム・モーンケ
1911年、リューベック生れ
1931年、親衛隊に入隊
1944年、少将へ昇進、総督官邸付けとなる
エヴァ・ブラウン
1912年、ミュンヘン生れ
1927年、ヒトラーと出会う
ゲルダ・クリスティアン
1913年、ベルリン生れ
1937年、ヒトラーの個人秘書に採用される
オットー・ギュンシェ
1917年、イェーナ生れ
1943年、ヒトラーの個人副官となる
ローフス・ミシュ
1917年、オポーレ生れ
1937年、親衛隊に入隊、総統官邸勤務
トラウデル・ユンゲ
1920年、ミュンヘン生れ
1942年12月
総督本部"狼の巣"、ラステンブルグ、東プロイセン
ユンゲはヒトラーの口述タイプ担当個人秘書に採用される
ヒトラーの個人秘書は他にゲルダら3人
1944年1月
ドイツ軍、ソ連から撤退
8月
フランスから撤退
1945年1月30日
ソ連軍はミュンヘンを占領
4月16日
ベルリンへの総攻撃を開始
1945年4月20日、ベルリン
アドルフ・ヒトラー56歳の誕生日
ソ連軍は総督官邸まで12km地点に迫る
全省庁及び軍部署撤退の特殊指令が出る
医師であるシェンク親衛隊大佐は
国防軍の軍医として撤退を拒否
誕生日に集まったヒムラー親衛隊長官は
ヒトラーに避難と国連軍との交渉を進言
ヒトラーは避難も交渉も拒否
建築家であるシュペーア軍需大臣にドイツ再建計画を語る
作戦会議で前線にいる第9軍の撤退も拒否
反撃を指示するが作戦は支離滅裂
モーンケ親衛隊少将を官庁街防衛司令官に任命
モーンケは300万の市民の避難を進言
ヒトラーは拒否
翌日には
総督官邸も爆撃の被害を受け始める
ヒトラーらは官邸地下の塹壕陣地へ
4月23日
ヴァイトリングがベルリン防衛軍司令官に任ぜられる
ベルリンへの攻撃は激しさを増し
ソ連軍は総督官邸まで1km地点に迫る
ヒトラーのベルリン死守の命令は届かず
ヒトラーは軍解体を決意
ただし、自分は塹壕陣地に残ると断言
エヴァに避難を薦めるが・・・
4月29日
ヒムラーが英米に降伏を申し出る
ヒトラー、エヴァと結婚
4月30日
ヒトラーは拳銃にて自殺、享年56才
エヴァは青酸カリを飲み自殺、享年33才
遺言に従い
2人の遺体は焼かれる
1945年5月7日
ドイツ降伏
ゲルダ・クリスティアン
脱出に成功
1997年、デュセルドルフで死去
エルンスト=ギュンター・シェンク
ソ連に拘束
1953年、釈放
1998年、アーヘンで死去
ヴィルヘルム・モーンケ
ソ連に拘束
1955年、釈放
2001年、ダムプで死去
ヘルムート・ヴァイトリング
1955年、ソ連に拘束中死去
ヴェルナー・ハーゼ
1945年、ソ連に拘束中死去
オットー・ギュンシェ
ソ連に拘束
1956年、釈放
2003年、ボンで死去
ローベルト・フォン・グライム
1945年、ザルツブルグで自殺
アルベルト・シュペーア
1945年、フレンスブルクで逮捕
1946年、ニュンベルグ裁判で禁固20年の刑を受ける
1966年、釈放
1981年、ロンドンで死去
ヴィルヘルム・カイテル
アルフレート・ヨードル
1946年、ニュンベルグ裁判により絞首刑
ヘルマン・ゲーリング
1946年、死刑を宣告それるが執行前に刑務所内で自殺
ハインリヒ・ヒムラー
1945年、難民難民に混ざり偽名で脱出を図るが発見され自殺
マルティン・ボルマン
ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
1945年5月2日、レアター駅付近で自殺
ローフス・ミッシュ
1955年、ソ連の収容所を釈放
ベルリンで存命
トラウデル・ユンゲ
旅行者とみなされ罪を問われず
2002年
回顧録『最期の時まで‐ヒトラーの秘書が語るその人生』を出版
ミュンヘンで死去
描かれるのはヒトラーだけでなく
ヒトラーと周囲の人々多数
ヒトラー56歳の誕生日から描き始めて
自決までは11日間
邦題と合わない
映画は次の日も描いて
最期の11日間+1日
で、12日間
その間のヒトラーの錯乱とドイツの混乱を描く
主要人物多数なので
歴史に疎い僕は
誰が誰だか理解するのが大変
それでも
当時の混乱は
痛いほど伝わって来る
ヒトラーは
第三帝国の繁栄を信じるあまり
戦況の悪化を理解出来なかった
極悪人の代表とされるヒトラー
僕は誕生日が同じなので
どうしても憎めない
親しみさえ感じる
僕の中にも
闇が渦巻いている
状況しだいで
何をするか分からない
ヒトラーに従う者
ヒトラーに背く者
ヒトラーを見捨てる者
だれもが人間
2004年 ドイツ/イタリア/オーストリア映画 155分 製作費1,800万ドル
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