この走行会、初回開催は1990年、場所はエビスサーキット、だったっけ。
当時、R32 GT-RとNA ロードスターの登場でスポーツカーの世代交代が急速に進んでいたのであります。
ハンドリングを楽しむライトウェイトスポーツであるロードスターと、(リミッターさえ切れば)ノーマルで200km/hオーバーの世界に突っ込めるGT-Rはその筋の方々に急速に普及しますが、走るのは相変わらずの やまのなか と こーそくどーろ でありました。
550ccの丸目アルトワークスからGT-Rに乗り換えたワタクシも御多分に洩れずそんなところを走り回っておりました。
ところが時代はバブル末期。
街にも山にもクルマがあふれ、ぶっ飛ばしてるとスッゲー危ないわけです。自分の命だったり他人の命だったり免許だったりいろいろと。
その頃、サーキットといえば東の筑波、西の富士、北の菅生&仙台ハイランドといった全日本クラスのレースが開催されるフルコースがほとんどで、自分のクルマでサーキットを走るという機会はほとんどありませんでした。
しかし、ブリヂストンの「ポテンザ・ドライビング・レッスン(PDL)」や「ヤング・ドライバーズ・クリニック」、スバルが後援していた「レガシィ高速体感」といったドラテク教室的サーキットイベントの開催と、エビスサーキットや日光サーキットといった「ミニサーキット」の出現で状況は徐々に変わってきます。
PDL富士ラウンドに納車早々のGT-Rを持ち込んだワタクシは、調子に乗って暴走。初サーキットで初フェードを経験。さらに純正装着タイヤはショルダーだけボウズになり、御殿場で満タンにした燃料はあっという間に底をつき、ローターのピンホールからは細かいクラックが発生する始末。そらーもーびっくりの連続でしたわさ。
しかし、若さは馬鹿さ。
全く懲りることなく職権を濫用してそれらのイベントに参加すること数回。
サーキット走行の魅力にどっぷりと浸かってしまったワタクシは、当時隆盛を極めていたパソ通のお仲間を道連れにお誘いしてサーキット走行会を企画するに至りました。
ええ、そーです。とにかく自分が思いっきり走れる環境が欲しかったんです。
でも理由はそれだけでもなくて。
前述の通り、当時はスポーツカーに乗ったはいいが「競技もしないのにどこで走れってのよ」な状況。そのため、公道での武勇伝を耳にする機会が急速に増えていたのです。このままだと やまのなか や こーそくどーろ でみんな(自分含む)死んじまうぞ、という危機感もあったですよ。
で、 やまのなか や こーそくどーろ に代わる場所があれば、そこでガス抜きができるのではないか。あちこちのイベントで教わってきたドライビングレッスンのようなことも混ぜ込んだら、みんな(自分含む)のスキルアップにもなるんじゃなかろうか。
というわけで、エビスでの初回開催を経た後、91年以降は理論派モータージャーナリストの斎藤慎介氏に講師をお願いし、会場をできたての日光サーキットに移して当走行会は頻繁に開催されるようになったのであります。
続く。かも。