原発事故とともに「安全確実」な「投資先」も消えてしまった。 | なんとなくダベりたい。

原発事故とともに「安全確実」な「投資先」も消えてしまった。

証券営業に携わる人なら誰でもよく心得ていることだと思うが、

今回の原発事故が起こるまでは、電力会社の株式は安全確実 に収益を上げていて 、「投資家」に損をさせることの無い、いわゆる「資産株」 の代表格であった。

ケイ線だけしか見ないようなバクチ打ちばっかりで「投資家」のほとんど見当たらなかった昔の株式市場でも、

ROEを一番の目安にバランスシートや様々な市場の動向に心配りする「投資家」が幅をきかす今の株式市場でも、

常に変わらず安全確実な収益をもたらしてくれた電力会社の株式は、

金が有り余っているにもかかわらず、リスクをとるのは嫌だといって、「安全確実」な運用を心がけている日本の金持ちや金融機関にとっては、
日本国債と並ぶ実に有り難い運用先だったのだが、それも今は昔の話。

「投資減税」は続けてくれる上に、国家が率先して原子力技術の海外売り込みを後押ししてくれるという、思いもよらず金持ちに優しい民主党政権に安心したのもつかの間、

原発事故が金持ち達の信仰を一身に集める霊験あらたかな「電力株」の御利益を台無しにしてしまった。

「安全確実」な「電力株」の次には、
どこに投資したら良いのだろう(T_T)

JALだって墜落しちゃったし(ToT)

まぁ、私に言わせれば、脳味噌使わずに「安全確実」に資産を運用しようと考えるほうがおかしいのであって、

東電の株主や金融機関の「責任」は免れるものではない、と考える。

「投資」にも「金融」にもリスクはつきものであるのが世界の常識だろう。

これまで東電で美味しい思いをしてきた分、それをチャラにするようなきついツケが株主や金融機関に回ってきたとしても、甘受しなければならないことが、国が全ての責任を負う「共産主義」国家ではないはずなのだから、当然のことだろう。

脳味噌を使わなくても「安全確実」な収益が上がる電力会社の存在自体が、

どぎつい自由競争が建て前の新自由主義が横行する小泉改革の下にあっても、

実に摩訶不思議な異色の存在であったわけだが、

「国策」の大好きな自民党の大御所様が「原子力技術」は「強盛大国」の証しとおっしゃるものだから、さすがの小泉さんも電力業界には手を出しかねたものかどうか、そこの所は知らない。

「強盛大国」は北朝鮮支配層が大好きな言葉だが、似たような言葉を使っていたような気がするので、流用させていただいた。

そんな言葉は使った覚えは無いと怒られそうな気もするので、どうか、その部分は、物忘れのひどい年寄りの妄言ということで平にご容赦願いたい。

「強制大国」と言わないだけ、ましだと思っていただきたい。

保安院だか不安院だか知らないけれど、天下り先や娘さんの就職先まで面倒みていただいているというウワサまで流れている仲睦まじく見える経産省と東電だが、

ついこの間までは、激しくやり合っていたらしい。

やり合っていただけに、今は仲睦まじいのかもしれない。

いや、別に下ネタではないので、変な想像はしないでいただきたい。
(もっとも、変な想像をしてしまったのは、私のほうかもしれないが。)

95年の電気事業法の改正以降、電力業界もご多分に漏れず自由化の波にさらされることになったのだが、電力会社は原則自由化は認めつつも徹底的に抵抗しまくったらしい。

この頃は「日本の電気料金の高さが産業競争力を損なわせているとの判断から、経産省が電力自由化の旗を振って」いた(5月18日朝日)。

中でも01~02年の総合資源エネルギー調査会での議論が、経産省と電力会社のバトルの場となったわけだが、発電会社と送電会社の分離が、電力自由化のためには決定的に重要な措置という認識があったにも関わらず、「発電、送電、小売りの一貫体制」こそ「責任ある電力供給」という電力会社側の主張が勝ちを制して、最終的には経産省側が分離案を取り下げたという。

その結果として「経産省」もお役人の人生設計の「計算省」に成り果て、東電も企業努力よりは政治努力で収益を上げる会社になって、両者とも仲睦まじくなったというわけだ。

原発事故によって「一貫体制」のほうに不安が出てきてしまったことが実に皮肉なことで、経産省から東電へ天下る「一貫体制」まで打撃を受けてしまった。

可哀想な元資源エネルギー庁長官石田徹さんは原発事故によって東電という再就職先を失い人生設計の「計算」が狂ってしまった。

折しも菅政権は発電送電会社分離案を検討すべきという考えを示した。

これは実に歓迎すべきことのように思う。

電力会社の独占体制が続く限り、
自分達や株主や金融機関やお世話になってる政治家の利益を第一義に考えている電力会社は、事故の賠償の重荷もそのまま消費者に転嫁するだけで済むので、賠償額の巨大さにもかかわらずお気楽なものだが、
送電部門を別会社に分離されてしまっては、電気料金の天井知らずの値上げは、新規の電気事業者の参入を続々と招くことになり、結果として原子力発電からのエネルギーシフトにも好結果をもたらすことになる。

はっきり言って原子力技術を担う巨大会社を国策の中心に据えるような発想は、開発独裁の貧乏国家の発想であって、創意工夫に富んだ小さな事業者が続々と輩出してくるような経済環境を作ることこそ真に日本の国益になることではないかと思っている。

都市部での太陽光発電、山間部での小規模水力発電、電力供給の不安定を克服するための蓄電技術の進歩、‥‥。

原子力発電には賠償も含めたとんでもないコストがかかると思い知らされた今、逆に小規模発電事業と原発からのエネルギーシフトにとっては黎明の時代を迎えているということではないか。