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アホノミクスの終焉

 基本的に私は、いわゆるアベノミクスは、当初からどうしようもないくらい実に馬鹿げた経済政策だ思ってきたのだが、
今頃になってから、その馬鹿さかげんを証明するかのように、

安倍首相のブレーンとしてアベノミクスを強力に推進してきた経済政策の「専門家」たちの言い訳けがましい発言に出くわして、
正直、憮然とした気持ちである。

 

 (以下、12月14日朝日新聞「波聞風聞」からの引用)

 

(アベノミクスの理論的支柱といえば、浜田宏一エール大学名誉教授だが、)
その当人が突然「量的金融緩和が効かなくなっている」と言い始め、
「学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」
(日本経済新聞11月15日付インタビュー)
と白旗を掲げたのだから、関係者は驚いたに違いない。
教祖が突然「信仰をやめる」と言い出したに等しい。
‥‥‥
日本銀行でリフレ(アベノミクスの根拠となった経済理論)を推進してきた岩田規久男副総裁らも事実上の転向を余儀なくされた。
9月の政策決定会合で、お金の量の拡大に必ずしもこだわらない新政策への変更に反対票を投じなかったのだ。
当人たちは現状をどう総括しているのだろうか。
浜田氏に取材を申し入れたが、残念ながら回答は得られなかった。

 

(引用終わり)

 

何のことはない。
2013年3月8日の私のブログはアベノミクスの結末の一種の「予言」みたいになっている。
アベノミクスが実に馬鹿馬鹿しい経済政策だと思ってきた理由については、
2013年2月12日のブログに書いている通りである。
この時は、アベノミクスのことをアベコベミクスとかムガベノミクスとかあだ名をつけて、
さんざんにこきおろしているのだが、
後からアホノミクスという言葉を思いついて、
これを自分のブログで使おうかと思ってネットを検索してみたら、
既に経済学者の浜矩子さんが使っておられたので、
使うのを遠慮した(笑)

 

そう、アベノミクスは間違いなくアホノミクスそのものだ!

 

安倍の経済政策は表現こそ変えているが、実は小泉の経済政策と全く同様の単なる「円安誘導政策」に過ぎない。
早い話がアベノミクスは特別な経済政策ではなくて、小泉の経済政策の単なる焼き直しに過ぎない。
おそらく小泉政権のブレーンである竹中平蔵さんが、安倍政権のブレーンとして再登場しても
アベノミクスと全く同じ政策をとっていたものと思う。
私自身の2012年11月3日のブログでは、「金融緩和論者」の中心人物を竹中平蔵さんと見て
アベノミクスが始まる前から、「金融緩和論」の馬鹿さかげんをこきおろしているが、
そのときに述べた「金融緩和論」批判は、アベノミクス批判にもそのまま当てはまる。

 

ただ評判がいいとは言えない竹中平蔵さんではなくて、
「経済学」の霊験あらたかそうな浜田宏一さんという「教祖」様をかつぎあげることで、
さも成功しそうな雰囲気づくりを最初につくりあげたことこそが、
アベノミクスの当初の「成功」につながったわけだ。

 

アベノミクスの当初の成功の原因

 成功するかもしれないという期待感。早い話が「期待感」そのものが経済を活性化させた。

「経済」の現場の中でも、アベノミクスの理論家たちが信奉する「貨幣数量説(マネタリズム)」を最も証明してみせてくれるのが「証券市場」である。
カネをつぎこめばつぎこむほど証券の価格は経済の実体とは関係ないインフレーションを引き起こしてリフレ派の理論の正しさを「証券市場」の中だけは証明してくれている(笑)
しかし「証券市場」の活性化は「期待感」という経済活性化の強力なツールを提供してくれる。
もともと「外国人投資家」のアベノミクスへの「期待感」からの日本株の「買い」からアベノミクスの「好調」も始まっている。
 この「期待感」というツールは実際の「金融緩和」以上に効果があるので、日本銀行の黒田総裁もたびたび記者会見という手段を通じて、これを「乱用」している。

 

 何よりもアベノミクスの表面的な好調を支えてきたものは、経済の動向の偶然的な変化だった。

はっきり言ってしまえば、アベノミクスの直接的な成果は「円安」ができるかどうかにかかっていた。
日本は中国みたいに直接為替の操作ができないので、

「経済学」の理論に従ってやっきになってインフレ誘導による間接的な円安誘導をはかろうというのが最重要課題であったことは、

これまでの数々の浜田宏一さんの発言から明らかなことだ。
ただうまい具合にアベノミクス開始時に、

原発停止による燃料費の高騰と中国の日本叩きによる輸出の急減という当時の事情に助けられて、

たいした努力もせずに「円安」誘導ができてしまったわけで、

その結果としての輸出大企業を中心とした「好業績」が現出した。
しかしながら、輸出が増えたわけではない「好業績」の中身というものは、

はっきり言ってほとんどが円安による外貨建て資産の収益の急増だったのではないか、

とも思う。
この頃は、アベノミクスの推進者たちはさかんに「成果」を強調していたものだが、

4年たってもたいした「成果」が出ないことがはっきりした現在では、

推進者たちはアベノミクスの不調の原因を「経済情勢の変化」に責任転嫁している(笑)

 

 さてアベノミクスの現状にたちかえろう。

 

 2014年10月20日の私のブログでは、アベノミクスを太平洋戦争になぞらえていたのだが、実際、「敗色濃厚」のアベノミクスの現状は昭和18年初頭の日本軍の状況みたいだ。
黒田総裁率いる日本銀行は当時の日本海軍の首脳部にも例えられる。
はっきり言って当初の黒田日銀のアベノミクスの戦略は「短期決戦」による決着だったはずだ。
「短期決戦」の失敗は当然のことながら、もはや展望の見えぬ事態の「泥沼化」となる。
当初のもくろみでは「短期決戦」の「終戦処理」にあたるのが「消費税増税」だったが、こちらのほうの予定も大きく狂ってしまった。
アベノミクスの「出口戦略」を考えなければならない日本銀行としては、

安倍政権のやらかした「消費税増税」の延期などもってのほかの話しのはずだが、
「出口戦略」など全く考えているようには思われない安部政権にとっては、

見かけだおしの経済的繁栄を国民にアピールし続けなければならないことのほうが重要で、あとは野となれ山となれ、責任は全て日本銀行がとります、

ということになっているのだろう。
日本銀行の「マイナス金利政策」は日本海軍の「い号作戦」のようなものなのだが、

このあとに続く事態は、日本銀行の山本五十六である黒田東彦総裁の「討ち死に」ということになるのかもしれない。
ただ「開戦」の立役者が「戦死」しても、「戦争」そのものが止められないのは、

太平洋戦争もアベノミクスも同じことで、

どう終わらせたらよいのか、誰も見当つけられないものと思う。

 

 アベノミクスにとっては「証券市場」の堅調こそは、是が非とも死守しなければならない「絶対国防圏」でもあるので、

国債にせよ株式市場にせよ日本銀行のカネが「買い支え」のためにとんでもない金額で使われている。

 今はトランプ相場の神風が吹いてはいるが、何でも「相場」のネタにしたがる「市場」の条件反射みたいなものだから、あまり目先の状況に振り回されないほうがよい。

 少し前までは株式市場について、こんなことが書かれていた。

 

(以下引用)

 

 日本株は開店休業ですよ__10月に入ってから日経平均株価はジリ高基調を続け、1万7000円台の水準を回復したにもかかわらず、日本株関係者の間からは、こんな嘆き節が漏れてきます。
というのも、株価水準こそ上がったものの、肝心の売買が盛り上がっていないためです。
‥‥
 市場関係者が閑散市場の元凶と口をそろえるのが、日本銀行による株の(ETFの形式での)大量購入です。
購入額を年間6兆円ペースに引き上げた夏場以降、株価は上向きましたが、売買代金はかえって減る一方です。
 個人投資家は株価が割安になったら買う「逆張り」傾向がありますが、株価に割安感が出る前に日銀が買ってしまうので、個人投資家が買いたくなる水準まで下がりません。
 また、日銀は個別企業の業績動向とは関係なく、相場が下がったら時価総額に応じて株を買っていきます。
そのため、業績と株価水準を分析しながら中長期で投資を検討する機関投資家は株価の適正水準を判断できなくなり、日本株を敬遠するようになりました。
 企業業績の後退感が強まる中で、日銀が株を買い支えていることが、市場に安心感をもたらしていることは確かです。
 ただそれと引き換えに、日本の株式市場はその機能を低下させ、勢いを失ってしまっています。

 (「会社四季報プロ500」編集部)

 

(引用終わり)

 

アベノミクスについては、ほとんど末期的症状だと思うほうが自然だろう。

 

対露交渉で発揮する安倍首相の無能ぶり!

12月5日昼の政府・与党連絡会議でロシアとの北方領土問題について安倍首相は
「1回の会談で解決できるような簡単な問題ではないが、‥‥
プーチン大統領との信頼関係をもとに着実に一歩一歩前進させていきたい」
と述べた、とのこと。

安倍本人もご承知の通り、よほどのどんでん返しでもない限り、
安倍・プーチン会談には何の期待もしないほうがよい。
大山鳴動ネズミ1ぴきが関の山ではないか。
今回の同席者も成果を針小棒大に誇張するメディア対策の専門家なのだろうか(笑)。

実は2013年2月23日のブログを書いた段階では、私は
安倍首相とプーチン大統領との直接会談の実現による
北方領土問題交渉での大きな成果が出ることを期待していた。

それは2013年2月21日の森・プーチン会談の内容に大きな期待感をもったからだ。

 3年前の2月21日、安倍首相の特使としてモスクワ・クレムリンにおいて
森喜朗元首相はプーチン次期大統領(当時)と会談を行い、
領土問題においては次のようなことが話し合われた(外務省HP参照)。

(1) 2001年のイルクーツク声明の重要性を強調し、
  また領土問題を最終的に解決するためには、
  安倍総理とプーチン大統領が決断することが必要。

(2) プーチンは以前からロシア・中国間の領土問題を解決したやり方、
  すなわち紛争地を折半して国境を確定する方式を日本との間でも望んでいた。
  森元総理がプーチン言うところの「引き分け」の趣旨についてただしたところ、
  プーチンは「引き分け」とは勝ち負けなしの解決、
  双方受け入れ可能な解決を意味すると述べた。
  そのような解決をめざすべく両国首脳から両国外務省に指示を出す必要がある、
  ということで、森とプーチンは一致した。

 つまりこの2013年2月の段階では、
安倍本人がプーチンと同様の「引き分け」を決断することで、
2013年中に一気に領土問題は解決の道筋ができていたように思う。

政権の内部を見てみても
麻生太郎副総理や安倍のブレーンである谷内正太郎内閣官房参与(当時)、
この人達は過去の発言からも知られるとおり、北方領土については、
プーチンと同様の「引き分け」戦略を支持した経歴を持っている。

ただ問題なのは安倍本人が「引き分け」について明確な判断をした例が、
この段階でもそのあとの3年半の間でも全く目につかないことだ。
安倍もその支持者の多くと同じいわゆる「四島一括返還論者」なのだろう。
はっきり言って「北方領土」はほったらかしにして
「日露経済交流」で成果をあげようというのが、安倍の思惑だ。

2013年2月の段階では、プーチンは安倍を「決断のできる人」として
高く評価していただろうが、
森・プーチン会談の後を受けて4月29日に行われたモスクワ・クレムリンでの
安倍・プーチンの日露首脳会談では、プーチンは安倍にいたく失望しただろうことは
想像にかたくない。

もう一度、2013年4月29日の日露首脳会談の内容をふりかえってみよう。

外務省のHPを見てもわかるとおり、このときの日露共同声明の内容は、
こっけいなくらい内容というものが無い。

あたりさわりのない事しか言えない安倍に対して、
たぶんプーチンもかなりイライラした表情を見せていたのではないか?
この時以来、北方領土についての前向きな発言はプーチンの口からは
一切出なくなった。

プーチンにして見れば、国内の原則論者からの批判を覚悟の上で、
日本との間で領土問題での妥協点を探ろうとしていたのだが、
安倍にはそんな覚悟も決断力も無くて、
安倍の強力な支持者である「四島一括返還論者」達に
見捨てられるのが怖くて
その場しのぎの首脳会談しかできなかったのが、実情だろう。

このときの安倍の首脳会談の時の同席者を見てみれば、
安倍は北方領土問題を本気で解決する気がなかったのは一目瞭然だ。
このときの首脳会談に麻生副総理か谷内官房参与を同席させていれば、
安倍は本気に領土問題解決にとりくんでいると思えただろう。

まずは世耕弘成官房副長官、
この人は自民党のメディア対策専門家のイメージが強くて、
無内容な日露共同声明をさも内容があるかのように見せかけるために
同席させたのではないか。

残る同席者3人はいずれも外務省の関係者だが、
「引き分け」論者と目される人物は一人もいない。

原田親仁駐露大使(当時)はもとからの「四島一括返還論者」と目されており、
斎木昭隆外務審議官(当時)は対中・対韓での強気発言が注目されたことはあっても、
対露交渉で活躍したという話は聞いたことがないし、
上月豊久欧州局長(当時)は外務省内の勢力争いの中を巧みに渡り歩いて
「要領の上月」「茶坊主上月」と陰口をたたかれてきた存在で、
強力な信念のもとで行動するような人物ではないように思う。

はっきり言って、2013年4月の首脳会談以降の外務省の同席3人の動きを見れば、
安倍が本気で北方領土問題解決をする気が全く無いと断言できるように思う。
安倍がはっきり「引き分け」論の立場にたたないかぎり、
北方領土問題解決は、実現不可能なたわごとにすぎない。

あらためてさきほどの3人の現在の立場を検証してみよう。

もっとも能力がありそうに見える斎木昭隆氏は2016年6月に外務省事務次官を最後に
外務省を退任し、当事者ではなくなっている。
もちろん元からそんなに深く対露交渉にも関わってきたようにも思えない。

残る2人については、次のとおりだ。
いずれも今でも対露交渉の中心人物で有り続けている。

原田親仁氏は2016年1月22日に政府代表・日露関係担当大使に就任し、
上月豊久氏は2015年11月19日にロシア駐箚特命全権大使に就任している。
そして斎木事務次官の後任は、杉山晋輔氏となっている。

ところでこのブログを見ている人は、
原田親仁氏、上月豊久氏、杉山晋輔氏の3人について。
一度、佐藤優さんや天木直人さんなどの著作を参考にしながら
どんな人物なのか、徹底的に調べてほしい。
もちろんネット上でもかなりのことが検索できる。

対露交渉の中心人物にこのような人たちをすえている
安倍首相ははっきり言ってバカではないのかとつくづく思う。
ほとんど救いようがない。
ロシア側も北方領土問題では、
本気で日本と交渉する気など全くないだろう。

もっとも北方領土の問題が解決に近付いていたのは、
鈴木宗男さんが外務省の実権を握っていた時代だ。
外務省の中でも2島返還を優先する実質「引き分け」論者が
かなりの勢力を持っていたように思う。

鈴木宗男さんが失脚した後は、
「引き分け」論者の中心人物とみなされていた外務省の東郷和彦さんは
外務省の内外から激しい批判にさらされ、
ネット上でも「売国奴」やら「朝鮮人子孫」などと異常な攻撃にさらされ、
2002年には外務省から追い出されてしまった。

その後の外務省はまさに「四島一括返還論者」の天下だ。

原田親仁氏は東郷和彦氏追い出しを実行した側にいたわけで、
当然、「四島一括返還論者」ともみなされているわけだ。
問題なのは、堅い信念のもとに「四島一括返還論」を主張し、
その前提のもとにたとえ戦争という手段に訴えてでも
「四島一括返還」を実現すべきだなどと主張でもしていれば、
それなりの敬意を原田氏にはらえるのだが、
この人物はロシアにいるときも、対露外交の中心にいるときも、
あたりさわりのない発言しかしていないことでは、
安倍首相と全く同様の姑息さしか感じられない人物だ。

原田氏はロシア駐在の外交官だった時代に
「ルーブル委員会」なる組織を使って「不正蓄財」にはげんでいた、
という話が佐藤優さんから伝えられているし、
2009年9月16日に国会へ提出された鈴木宗男さんの質問主意書にも
とりあげられている、という。

原田氏といい上月氏といい杉山氏といい、
外務省では保身と蓄財にきゅうきゅうとしている人物が
出世もし日本外交の中心人物ともなっているイメージだ。

最初に述べたとおり、
2013年4月の段階で安倍が何の決断もしなかったことこそが、
安倍の対露外交の最大の失敗だ。

もし北方領土問題解決に何らかの進展が望めるとしたら、
日ソ共同宣言(1956年)・イルクーツク声明(2001年)の主旨にしたがって
プーチンに歯舞(ハボマイ)・色丹(シコタン)の2島の返還をせまり、
見返りに択捉(エトロフ)島に対するロシアの主権を認めることでプーチンの顔をたて、
国後(クナシリ)島については主権の帰属を棚上げにして日露の共同管理地にするか、
あるいは中露の領土問題解決のときのように国後島を半々に折半するか、
という形での決着でしかありえない。

領土問題の決着について
プーチンが安倍に期待したものは上記のような形でしかあり得ないのであって、
プーチンは択捉島の主権確定という成果をもって国内の反対派を抑え込むことができ、
安倍にも同じような強力なリーダーシップを発揮してもらうことで、
北方領土問題を一気に解決に導くのがプーチンの戦略だったと思う。

ところが結果は笑うべき2013年4月の日露首脳会談!
いったい何のための特使としての森の派遣だったのか?
私はこの時から安倍のことを無能な総理大臣だと思っている。

プーチンはロシアの外務省に指示を出せるが、
安倍は日本の外務省から指示を出されているのである。

何せ安倍は自分の頭でろくに考えももせずに、
何でも「専門家」に任せることがすきなようだ。
経済は経済の「専門家」に、外交は外交の「専門家」に任せるのが安倍の流儀で、
この「専門家」なるものの資質については、
全く深く考えようともしていない。
自分にとって耳触りの良い発言をする人物だけが
安倍にとっての「専門家」であるわけだ。

2013年から2016年にかけては、
ウクライナ・クリミア問題からトランプ米大統領の選出に至るまで、
日露関係にも大きな影響を与える国際関係の出来事が続出したが、
安倍がクリミア問題に関してロシアに対して宥和的な態度をとったことで、
表面上は安倍・プーチン関係は親密さが続いているように見える。
そしてその表面的な友好関係を針小棒大に誇張して
「経済」をエサにすれば、「領土問題」も解決に向かうがごとき
バカバカしい流言を安倍の周囲が撒き散らしている。
そもそも日本側が「経済」と「領土」をセットで考えていても、
ロシア側にとっては「経済」と「領土」は別次元の問題だ。
日本側のアホさかげんを手玉にロシアが食い逃げをはかることは目に見えている。

プーチンは安倍の期待もむなしく領土問題については日本側に何の言質も与えないだろう。
表面的な親密さも、ただ単にプーチンが適当に安倍をあしらっているにすぎない。
2013年4月の段階で安倍の対露外交は完全に終わってるのだよ。
安倍が首相をやめることでしか、領土問題の新たな進展は望めない。

最後に一言述べておきたいが、
北方領土問題についてはもっとも最も建設的な提言をしているのが、
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授の岩下明裕氏だと
私は思っている。
岩下氏の著作、中公新書の「北方領土問題」は、
北方領土問題に関心のある全ての人が読むべき名著であると思っている。

択捉島の主権をロシアに認めるぐらいの大英断をくだすことでしか
北方領土問題解決への糸口が見えてこないと私が先に述べたことも、
岩下明裕氏の述べたことを下敷きにした発言だ。

ところが、この岩下氏についても産経新聞の「正論」を根城にした
自称「愛国者」の連中が「国賊」だの「売国奴」だのの罵詈暴言を浴びせているらしい。

はっきり言おう。
真剣に「国益」を考えている研究者に向かって
「愛国者」をかたらった「四島一括返還論者」どもの吐く暴言は
そのままこの連中におかえしすべきである。
ほとんどゴロツキまがいの自称「愛国者」の連中こそが、
正真正銘の「売国奴」であり「国賊」であり、
日本の安全保障に対する最大の「癌」ともいうべきだろう。

戦後70年のアヘッ談話ホンネ

8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。
今は遠い過去だから忘れたいと思っても、いつまでもうるさい連中につきまとわれて
過ぎ去った歴史に思いをいたすことを強制されます。
 政治は権力の行使ですから、歴史から未来への知恵を学ばなくても、
やりたい放題のことができるはずなのですが、
せっかく総理大臣になってもやりたいこともできず、
本音ではないことばかり言わされています。
 政治は自分に都合のいい歴史的事実にだけ謙虚でなければなりません。
敵対国が喜ぶような歴史的事実や、
国際情勢がよく見えていないところからくる外交的チョンボによって
政治がゆがめられるようなことは決してあってはならない、
このことも私の強い信念であります。
 ですから談話の作成にあたっては、19世紀構想懇談会を開いて、
私と一定の認識を共有できる有識者のみなさまの意見だけをもとにして、
どうやってホンネをごまかしつつ国民をだまくらかすかを真剣に検討してまいりました。
 歯切れの悪い提言ではありますが、ホンネもところどころに入れることができましたし、
何よりもコッケイコッカーとか騒ぎ立てるウコクケイ(右国系)の皆様方からも、
「裏切り者」扱いされぬよう「私」という主語を徹底的に隠すようにしております。
国の内外から袋だたきにあわぬよう自民党伝統の「失言」から教訓をくみ取り、
今後の目指すべき道を展望したいと思います。
             (以上、記者がいないところでのホンネ発言)

エッ、何、19世紀構想懇談会ではなくて、21世紀構想懇談会だって!!?
これまで「富国強兵」の主張ばかり主張してきたものだから、
ついつい脳みそが明治時代になってたよ。
それにしても、北岡伸一さんを21世紀構想懇談会の中心人物にすえたのは大間違いだった。
あの人は私の主張に都合の悪い歴史的事実にもとても詳しいものだから、
言いたいことの言えない欲求不満のたまるような「談話」になってしまったよ。
 もっとバカな「有識者」で懇談会を固めればよかったのだが、
バカな「有識者」では「有識者」を集めたことにならないからね。
北岡伸一さんといい、長谷部恭男さんといい、
頭のいいやつにはろくな奴がいないな。
全然、私のために働いてくれてないじゃないか!
エッ、これオフレコじゃなかったの?
             (以上、まだまだ続く記者がいないところでのホンネ発言)

(以下、談話本文(解説つき))
 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、
私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、
未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初の立憲政治を打ちたて、独立を守り抜きました。
(そして私はその立憲政治をぶち壊して、
日本の軍事力をアメリカの軍事力と一体化することによって、
日本をアメリカ様の「保護国」にしていただこうと思っております。)
 日露戦争は、植民地支配のもとにあった、
(日本から遠く離れた日本のことをよくは知らない、)
多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
(黄色人種が白人に戦争で勝ったからです。)
そして同時に日露戦争は朝鮮(韓国)にある日本の権益を守るために
中国の満州を戦争の舞台にして戦われました。
早い話が、日本もロシアも自分達の国土の上ではなく、よその国の領土の上で戦っておりました。
自分の家の中で他人同士が喧嘩をして家の中のモノを壊されたようなものです。
当時の多くのベトナム人やインド人にとって日本はあこがれの国であったかもしれませんが、
朝鮮(韓国)人や中国人にとってはけっこう迷惑な国だったのです。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、
それまでの植民地化にブレーキがかかりました。

もちろんブレーキのかからない国もありました。
それはわが日本です。
日本が大戦の主要な舞台となったヨーロッパから遠く離れていることをいいことに、
中国から引き上げる西洋勢力にとってかわって全中国の植民地化をわが国はもくろんだのです。
その中身がいわゆる1915年の対華21カ条要求なのですが、
これは「美しい国日本」の歴史を語る上では、そして私の信念にとっても実に都合の悪い存在です。
それの実に「侵略」的な内容につきましては、
せっかくその21か条要求が中国側の陰謀の結果であることを
「正しい歴史」を研究する人達が明らかにしてくれているにもかかわらず、
その後の日中の歴史が「日本の中国への侵略」を裏付けるものにしかならなかった上に、
当時のアメリカ様がどの国よりも激しく「反日宣伝」にこれを徹底的に利用したために、
アメリカ様を大好きな私にとってはおおっぴらに口にすることもできません。

さて話を元に戻して、第一次大戦は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。
戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本もしぶしぶ足並みをそろえました。

 私も公明党や北岡伸一さんの「侵略」に対する見解にしぶしぶ足並みをそろえています。
はっきり言ってヨーロッパが主戦場の第一次大戦は
当時の多くの日本人にとって全くの他人事だったですし、
よその国の戦争はわが国の経済を豊かにしてくれましたから、
当時の日本には、ヨーロッパの惨状を直接見聞きした一部の人以外には「平和主義者」なぞ、
いなかったのではないか?
だから「国際連盟」など糞食らえ、となるわけです。
私も「戦争を知らない子供達」ですから、
戦争を直接体験しているジジババ達が左右問わずになぜにこんなに「反戦」にこだわるのか、
全く理解できません。
ホンネでは、早くくたばってくれれば、私の思い通りの政治ができるのに、と思っています。

 歴史には多少のウソも交えた脚色が必要です。
第一次大戦以降の日本国並びに日本国民は「平和」を愛していたことにしているのですが、
そうすると現実の日本がしてきたことの事実の説明がつかなくなりますから、
ウソも交えて「物語」をでっちあげねばなりません。
それが「正しい歴史」のあり方なのです。

 ですから「物語」を対華21カ条要求から始めてしまいますと、
中国の人達の希望の星だった郭松齢軍の壊滅(1925年)に
軍・民・官ともに日本が大きく関わっていた事実など、
私の信念には都合の悪い事実もぞくぞくと出てまいりますので、
「物語」というものはいつも「世界恐慌」によって
日本経済が大打撃を受けたところから始めねばなりません。
つまり日本も「被害者」だったことを強調する必要があるわけです。

 しかし「世界恐慌」から敗戦にいたるまでの日本の歴史につきましては、
公明党や北岡伸一さんのみならず、
私のブレーンをつとめてくれている
外務省出身者、大新聞の会長、経団連幹部、著名経済学者のお歴々のほとんど全てが
私の「日本は悪くない、悪くないはずだ」という異論を認めてくれはしませんでした。
賛同してくれるのは王政復古主義者や軍事オタクばっかりです。

 ですから「こうした歴代内閣の立場は、今後も、ゆるぎないものであります。」
までの談話の前半部分は言いたくも無いことを無理やり言わされているのであります。

もちろん「こうした歴代内閣の立場」は私自身の立場ではありません。

そのあとも坊ちゃま育ちの私には全く実感のわかないようなことをウダウダと言わされ続け、
帝王教育を受けてきてたいがいのことには「君子大人」として鷹揚にふるまえる私でも、
欲求不満のあまり国会の場で2度めのヤジをとばすかもしれません。

 ただ談話の最後のほうで言いたいことの一部をやっと少しだけ混ぜ込むことができました。

 うれしかったので、もう1度繰り返しましょう。
 
 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
 あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、 
 謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

私自身も戦後生まれの世代で、あの戦争には何ら関わりが無かったので、
謝罪する気持ちなど全くありません。
この場所でこの文面をいれたのは、それまでの「謝罪」の文面のうっぷんばらしです。

 「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。
 謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」

必修科目では無かった日本史の知識のまるで無い多くの若い人達には
大日本帝国の栄光の歴史をきっちりと教えることが
「過去の歴史に真正面から向き合」い、「謙虚な気持ちで、過去を受け継」ぐことになります。
もちろん愛国心を削ぐような歴史的事実はたとえ事実であっても、
それを知ることは「謙虚な気持ちで、過去を受け継」ぐことにはなりませんので、
歴史の教育の場からは徹底的に排除しなければなりません。
 私がことあるごとにNHKに圧力をかけてきたのもそのためです。

 ただ田母神俊雄さんみたいに「歴史」に深入りするあまり、
日本が始めた戦争の責任の全てを
共産主義者と中国の蒋介石総統、アメリカのルーズベルト大統領の陰謀の連携にしてしまいますと、
仮想敵国の中国よりも、アメリカのオバマ大統領や台湾の馬英九総統を怒らせてしまって、
外交的に大変なことになり、日本の国際的立場も危ういものになります。

 ですから、心情的には田母神さんに共感できる部分もありますが、
ジジ世代の党、失礼!次世代の党のような選挙の惨敗を自民党がしても困りますし、
アメリカ好きの私としても私のそばにあまり近づけたくありません。

ただコッケイコッカーと騒ぎまわっているウコクケイの皆様方は、
3歩歩けばその前の事は全て忘れるニワトリ並みの知能しか持たないと酷評されても、
私の大切な同志であることには変わりはありません。

これからも共にがんばってまいりましょう。

アレッ、談話の内容はどっかいっちゃった。

 最後にネトウヨ、別名ウコクケイの皆様にもホンネを伝えますね。

 「国家」よりも自民党の資金源になってくれる「資本家」のほうを大切にしたい私にとっては、
談話でも述べたとおり
「いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、
途上国支援を強化し、世界の更なる反映を牽引してまいります。」
私のアベノミクスで日本中にあふれかえった円は、
日本では使い道がなくて円キャリートレードによって海外にばらまかれ、
海外でもうける大企業や金持ちはますます金持ちになり、
日本国内でくすぶっている零細企業や貧乏人はますます貧乏になっていくことでしょう。
金持ちと貧乏人が対立的になれば、「国家」はたちまち崩壊しますから、
貧乏人であるにもかかわらず、「国家」との一体感を持ってくださるネトウヨの皆様は、
経済の知識や国際情勢に実にうといという欠点はありますが、
「資本家」の友であり、私の大切な支持基盤でもあり、
一見、味方のふりをしている公明党やインテリどもよりもはるかに信頼に足る相手です。

戦前の高橋是清蔵相の財政政策のように海外への投資を禁止して、
円の取引を中国のように「国家」の厳重な管理下におき、
国内にあふれかえったお金を全部軍事力の強化につぎこめば、
ウコクケイの皆様方が大喜びするような軍事強国にすぐにでも日本は生まれ変わるのですが、
そんな経済に通じた立派な主張をされているウコクケイの方はいらっしゃるのでしょうか?
「いかなる国の恣意にも左右されない」私の経済政策は、
もっぱら「国家」の繁栄よりも「資本」の繁栄しか考えておりませんので、
「資本」を「国家」と心中させるつもりは毛頭ありません。
申し訳ないですが、
ウコクケイの皆様方は「権力の走狗」というか「権力の走鶏」としての役割だけに徹していただいて、
朝日新聞を初めとしたマスゴミ攻撃にやかましく騒ぎ立てていただきたいと思います。
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