現在は退職済みですが、大手ホワイト企業で10年弱働いていた時のエピソードをいくつか紹介します。

 

ものすごく厳しい残業規制

基本的には残業禁止で、上長の許可が無いと残業できませんでした。

その時々の景気や予算状況によりますが、一番緩い時だと上長の残業許可は必要なかったですが、年間の残業予算をとっていたようで、年末近くになると残業の予算がないから残業できないといった状況になっていました^^;

1番残業した年で年間70時間程度だった記憶があり、転職するまでは20時以降まで残業したことすらありませんでした。

1番厳しい時期は3つ上の上長、所長級に残業する必要性を説明する必要があり、その資料作りに1時間かけたこともあり、今思えば狂気の沙汰だったと思います。。。

当時付き合いのあったママ友と話していた時に、毎日18時に帰っていると話したのですが、18時は退社時間ではなく家に着く時間で、退社時間は17:00と1分違わず退社していました。メリットとしては、その当時は子どもが小さく、毎日赤ちゃんのお風呂を入れてあげたり、一緒にお風呂に入ったり、夕食を作ったり、家にいるパートナーの家事育児の手伝いをずいぶんとすることができました。

10年弱でいくつかの事業所で働きましたが、最後に働いていたところは最寄り駅がなく、事業所からのバスが17:10、17:20、17:30、・・・といった具合で発車する感じでした。そして第1便にみんな乗りたくて、しかも15分以上駅まで走るので立っているのは少し辛く、15席ぐらいしかない座席を奪い合うために、みんな文字通り17時ダッシュするといった有様でした。。そのため、全員ではないですが早く帰る人には16:50以降は話しかけてはいけない暗黙のルール?があり、16:55以降はパソコンを切る準備に入る感じでした(笑)

居室が4Fにあるのでエレベータで1Fまで下りればよいのですが、それでは遅いのでバスに早く乗りたい人はみんな階段を急いで駆け下ります。その様子は避難訓練や災害時を彷彿とさせ、ドドドドドドドドドドという音がいつも聞こえてました^^

ただし、不利な点があり、私たち技術者はロッカーに向かって1度作業着から私服に着替えなければならず、デスクワークの方はそのままバスに乗り込めます。

そして、みんな一刻も早く帰りたいのか、バスの第1便はギューギューに詰まって発車し、最寄り駅までの途中で1度小学生に指をさして笑われたことは覚えています。きっと、おじさん、おばさん、おじいさんたちが目一杯詰まったバスが滑稽だったのだと思います。しかも、夏場はサマータイム制度みたいなものを導入しており、帰る時間が早く、小学生たちが公園でまだ遊んでいる15時16時台に会社を追い出されるので、帰り道はとても暑かったです。

この会社では、フレックスタイムを導入していないことも、このような惨状を生み出していたと思います。過去にフレックスは導入済みだったのですが、コアタイムを昼休み前後の2時間程度にすると、午後からテニスをやりだす者などがいて会議が組めず、仕事にならなかったのでやめたと聞いてました。

 

補足ですが、私がいた部署は閑職というか、コーポレート部門の技術職で技術者は30代40代も多くいましたが、近くの事務職の方は毎年おじいちゃんがどこからともなく異動してきて数年で定年退職され、またおじいちゃんが補充されるという有様で、やりがいなど皆無でした。。。

ただ、全社平均でも残業時間は月20時間程度で少なく、ネットの口コミを見ると、残業代がもらえないため給料が安く困っている、やりがいがない、といったコメントがほとんどでした。そして、同じ業界内の狭い範囲ではありますが、私が辞めた年にホワイト企業ランキング1位になっていました。

 

最後に、その当時の部署の方の迷言を。

当社では、ワークライフバランスではなく、ライフワークバランスという。

今思えば、辞めてよかった会社だと思います^^