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なおきちのブログ

昭和のことを徒然なるままに書き記します。忘れないよ昭和、ヨロシク令和!

20人のチアたちの中からスーッと彼女が先頭に立つ。センターである。これは一体どういうことだ!?と私は驚きを禁じ得なかった。センターに立つということには必ず意味がある。集団・チーム・グループの中枢なのだ。筆頭格である。例えばアイドルグループのメンバーがこの位置を目指すために日々努力し、自己アピールするのと同じだ。誰でも簡単に真ん中に立てるわけではない。ましてや恵子はソフトボール部ではない。帰宅部の一般生徒にすぎない。彼女より一回り大きいソフトチアとは明らかに違う匂いがしている。にもかかわらずムキムキなソフト女子を後ろに従える恵子が大きく見えるのだった。まるで映画のスクリーンの如く彼女が私の眼前に迫ってきたのである。

チアたちの振り付けは記憶が薄い。おそらくサウスポーの振り付けに準じた動きをしていたのだろう。頭の中が?マークになっている私は最前列で恵子のいきいきとした顔だけを見ていたのだ。センターの彼女と私との距離は三メートルほどしかない。そして驚きの瞬間が来たのである。

 

魔球は魔球はハーリーケーーン♪という二番のエンディングで恵子は思い切りジャンプしたのである。彼女はポンポンを持った両腕が両耳に付くほど真上に振り上げると、空中で一気に両脚を開いたのだ。一直線である。180度なのだ。恵子はそのまま地面に着地した。時間にすれば一秒弱であろう。私の体の時計が静止した瞬間でもあった。うおおーっという歓声が聞こえる。だが私は声を上げることもなく呆気に取られていた。誇らしげな恵子の表情、そして満面の笑み。このとき彼女は全校生徒の注目を浴びていたはずである。間違いなくセンターの役目を果たしたのだ。恵子は小刻みに頭上で振っていたポンポンをおろすや否や両脚をスッと閉じ、他のメンバーと一目散に退場していった。

 

私はこのときの衝撃を今もはっきり覚えている。そしてなぜ私が呆気にとられていたのか?声すら上げることができなかったのか?

私は恵子に特別な感情を持っていたわけではない。むしろ存在を忘れていたぐらいの印象だった。何しろ彼女は中高と帰宅部であった。話したこともほとんどないぐらいである。野球部の私とは接点がなかったのだ。それが体育祭のチアダンスで印象が一変したわけだ。一体彼女はこの技をいつどこでどのようにしてマスターしたのだろうかとまず思った。彼女がバレエ教室や体操教室に行っていたという事実はない。おそらく白組のチアガールに志願した日から自主トレを開始したのだろう。彼女は自宅で血の滲むような特訓を積んだはずである。もともと柔軟性を持っていたのかもしれないが、短期間で180度ジャンプ開脚&着地をマスターした。その技をソフト部員たちの前で披露したら、「あなたがセンターやりなさいよ」となったのだろう。

 だが私は日が経つにつれ別の感情が湧き上がってきたのである。ほとんどスポーツをやってこなかったであろう恵子があれほどの技をやってのけたのだ。インターハイを狙う女子ソフト部を(たぶん)うならせるほどの開脚技である。どこの部にも所属していない恵子が大役を任せられるということは、ソフト部員たちが彼女の実力を認めたことに他ならない。彼女の柔軟性を認めたということである。では野球を中学三年間(+四ヶ月)やってきた私に同じことができるか?もちろん否である。できるぐらいならきっと退部していないだろう。野球は柔軟性が必要だ。私は体が硬いために体を伸ばして球をとることができず何度も打球を後ろにそらした。公立中学の軟式野球ではそれでも何とか通用した。しかし硬式は甘くはなかったのだ。そして自信を失っていた私の前に恵子が突然現れたわけである。

 何であいつが!?と私は驚き、日が経つにつれ驚きは悔しさに変わった。女に出来て男の俺が!と思わずにはいられなかった。そしてついに私は自主トレを開始したのである。昭和56年9月下旬のことであった。

(つづく)