もし私がコテコテの体育会系ならば「どりゃああああーーーっ」と根性で両脚を裂き、白目をむき泡吹き上げ成功させるであろう。そして外科病棟のベッドでハッと目を覚ますに違いない。だが私は自分にそこまでの根性はないことに気がついていた。180度開脚が自分の根性ではどうにもならないと予期していたのである。まず私がしたことは脳内の記憶再生装置をONにすることであった。それもスロー再生だ。それは体育祭における白組応援合戦の光景だ。すなわち恵子の開脚シーンである。
私が試みた作戦はイメージトレーニングである。まずサウスボーの二番が後半に入ると、最後尾で踊っていた恵子がセンターへ上がってくる。そしてエンディングに入ったところで恵子の両足先が地面を離れる。跳躍だ。その瞬間私には彼女が1メートルぐらい飛んだように見えた。陸上競技をやっていない彼女が果たしてそんなに飛んでいただろうかとも思うが、両脚と地面に大きな空間があったことは確かである。女子の垂直とびは普通30センチぐらいだろうが、それを超えていたのは間違いない。そしてあろうことか空中で恵子は180度開脚になるのだ。飛んで開くまで一秒あるかないかだ。この技が如何に高度なものであるか想像できるだろうか。一般的に床の上で開脚するには前に手を付く。次に体重をかけながら下半身を下ろしつつ両脚を開いていく。これが慣れてくると途中まで脚力で開脚し、そのあと体重をかけ角度を広げていく。驚くべきことに恵子はこれらの過程を飛び越えているのだ。おそらく飛ぶ瞬間に膝を心持ち曲げて反動をつけてはいるだろう。しかしそれだけで水平開脚ができるわけではない。空中開脚が可能なだけの柔軟性と脚力とバネが必要だ。極めて高度な技である。
さらに驚きは続く。開いた両脚を閉じることなく、その開脚姿勢のまま地面へドーンと着地したのだ。数十センチの高さから落ちて下半身をしたたかに打ちつけたのである。痛くないはずはない。それでも恵子は満面の笑みで万歳ポーズを取っていた。高難度である。なぜなら地面に落ちた瞬間に自分の体重以上の重みが衝撃となって両脚に伝わるのである。高ければ高いほど衝撃は大きい。この技を恵子は笑顔で披露した。飛んで着地するまでおそらく一秒ちょっとであろう。このまばたき一回ぐらいの間にサプライズな技をやってのけたのだ。しかもよろめくことなく一秒で閉じてしまったのだ。これが驚かずにおれようか。
ここまで脳内再生した後、私はトレーニングを開始した。まず自室の部屋に太い柱がある。そこへ右足先をかける。そして上体と柱が平行になるような姿勢をとる。その位置を固定させつつ左脚を開いていくのだ。その時点で私の稼動領域は120度だった。そこまでは自然に開く。だがあと60度足りないわけだ。私は左脚に力を込め広げようとする。当然痛い。当たり前である。自分の限界点を超えるためのトレーニングなのだ。空中180度左右開脚落下地面着地をマスターした恵子の地獄の苦しみを思えばなんてことはないのだ。しかしハムストリングがきつい。厳しい。産みの苦しみもとい開きの苦しみだ。これは大人の男でも泣く。恵子はこの苦しみを乗り越えたというのか。きっとそうなのだろう。あの目立たない大人しかった子が。余裕の笑顔で開脚しているあの日の彼女が頭の中を駆け巡る。「ちきしょう!俺だって!」メリメリと私は左脚を広げていく。そのときの私の顔はきっと阿修羅像であったはずだ。いや赤鬼かもしれない。どちらにしても小さい子が目撃したら泣き出す形相であったことは間違いあるまい。全身が発火し、脂汗が吹き出る。ぐっしょりとなる。なんと苦しい厳しい汗であろう。汗とも涙ともつかない汁が顔面から滴り落ちる。しょっぱい。これが青春の味なのだろうか。そんなことを考えていた瞬間、私の身体がぐらつき後方へ倒れた。私は後頭部をベッドの端にぶつけハァハァと息を吐くしかなかった。
開脚の道は厳しく遠い。それは修羅の道である。日に日に恵子の姿は遠くなっていく。いっそのこと「俺の見ている前であのときと同じ技を見せてください」(棒)と彼女に頼んでみようかとも思ったが、そんなことを言える訳がない。イメトレしながら頑張るしかないのだ。血と汗と涙の日々はアッという間に過ぎていった。恵子は私の苦行を察してか(いや、たぶんちがう)翌年もその翌年もチアとしてひのき舞台に立つことはなかった。彼女は三年間のすべてをあのサウスポーのラストシーンに賭けていたのだろうか。一瞬だけ鮮やかに咲いた花の姿であった。
そして昭和58年の冬。日曜日のことだった。私は当時、夕方六時半から日本テレビの「独占!!スポーツ情報」を見ていた。司会は松永二三男アナウンサー、解説はロイ・ジェームス氏である。その番組で松永アナが大学や社会人の運動部に飛び込み取材するコーナーがあった。ちょうどその回はW大応援部チアリーダーの紹介であった。このときの放送が私に大きな影響を与えたのである。何と松永アナが体育館へ入るや否や気合の入った掛け声が響き、女子大生チアが開脚スタンツを披露したのだ。センターのチアが180度左右開脚をしたまま舞い上がっていく。両脚をそれぞれ左右に立つチアが支え、手前に仁王立ちするチアの肩に右手を置き左手を意気揚々と上げ、開脚姿勢を維持している。もちろん阿修羅の容貌ではない。スマイルである。楽しくてしかたがないという空気が漂っている。私がこれまで体験してきた修羅の世界とは匂いが違う。私はハッとした。あのときの恵子である。開脚しているチアは恵子と同じ表情をしているのだ。この女子大生のお姉さんもあのときの恵子と同じ気持ちなのだろう。とにかく楽しもう、楽しんじゃおうという意識である。「そこの君、何そんな力入れてるの?もっと楽しくやろうよ」とチアたちは私に言っているかのようだった。修羅道を進んでいた私の力が抜けていく瞬間だった。そして両脚へ無理に入れていた力も抜けていったのだ。それと同時に私は息を吐くことを覚えた。まだネットがない時代故、試行錯誤しながら進むしかなかった開脚の道。私の開脚度は少しずつ増していった。そして私の両脚がついに一直線となったのは浪人が決定した春のことであった。
(終わり)