今日であれから1年。
いつも、昨日のことも忘れるようなボケボケの私ですが、
去年の今頃のことはよく覚えています。
ブログを見ても、
なにもできないのに、
ただ、わさわさしていた自分の動揺、
不安定な気持ちがわかるし。
そんな中でも、
やっぱり、手を動かして料理すること、
そしてそれを家族と食べることに、
自分自身がいちばんいやされていたな、と思います。
だしを引いて、ふつうのお味噌汁をつくるとか、
野菜を、少し丁寧に切るとか
そういう料理をする時間にずいぶん救われました。
そんな日常がままならなくなっている被災地のことを思うと、
なんと贅沢な癒しかと思いつつ、
台所に向かっていました。
火を使わないお料理をあれこれ考えたりすることも、
何かの役に立つとかいう以前に、
なによりも、自分の救い で。
作るということ、
食べられるということ、
温かいものを作って食べられるってこと、
ものすごくありがたく、幸せなことだなーと、しみじみ。
昨日の日経で、
栗原はるみさんが、
料理は楽しいから続けられる・・とおしゃっていました。
ええこと言わはる!
私もいつもそう思うんですわ。 ⇒ 急に関西弁。膝を打つ感じ?
私は、教室やったり、本にレシピを載せたりしていますが、
いつも、根底には、
本人が、『わ!作りたいっ!』
『これを○○に食べさせてあげたいっ!』と思ってつくれば、
すべてよし!という思いがあります。
正解とか、間違いとか、ない世界。
上手いも下手も、ないない、気にしない。
※もちろん、こうしたらこうなりまっせ~的なコツはあるわけですが・・。
おいしいっていうのも、人それぞれだし、
おいしいは、
つまりは、うれしいだったり、楽しい、だったりしますから、
もう、究極の十人十色でしょう?
前に吉兆の徳岡さんも書かれていましたが、
料理は愛する人のために作るのものだと。(原文とは違う、不正確だと思います。)
これ食べさせたい!って思う相手がいるのは本当に幸せなこと。
被災地にも、食の支援に行かれている料理人の方々がたくさんいらっしゃいます。
それも、世界中から。
おいしいものを食べて、少しでも元気になってほしいっ!!と思うからでしょう。
くちはばったいですが、手から手への料理で、
愛を届けたいのだと思うし、
食べる側だけでなく、
作る側も、
救われ、癒されるのだとおもいます。
やっぱり、食べるは、うれしいだし、
おいしいは、楽しい、だし。
言葉もなしで、ひとを楽しくできたら、
こんな嬉しいことはないですよね。
以前にもまして、
生きること、食べること、つくる幸せ、
そんなことを考えるようになりました。
私は、私らしく、
機嫌よく、気分よく、作って、食べて、喜ぶ顔が見られたらうれしい。
ありがたい。
そして、料理するのが楽しみ♪と思っていただけるような、
レシピを伝えたり、
クラスができたらいいな~と、あらためて思っています。
もちろん、忘れないで、私にできることを続けていこうと、ひそかに誓ったりもして。
今日はなにかの節目というより、
私には、
誓う日、祈る日、家族や大切な人を思う日。
感謝をこめて。
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