Anlyという沖縄出身のシンガーソングライターを知った。『Moonlight』という歌が、MVもライブ版も良い。ライブの手法が変わっていて、ループ録音機(一つの音を録音したらそれが繰り返し再生される)を活用して、ギターをドラム代わりに叩くとそれが反復再生され伴奏になり、それをバックに歌う。かつて同名異字の杏里という歌手が『思いきりアメリカン』という歌を歌っていたが、Anlyはアメリカ系のクォーターだという。『よんぶんのいちアメリカン』という感じか(笑)。

なんか・・・笑えるジャケット・・・

 

ループと言えば、前にもふれた群馬出身のRIRIという歌手の『That's my baby』という実にキャッチーな佳曲に「ループするミュージック」という歌詞が出てきた。さて、だいぶ昔に「りりィ」という名の歌手がいた。私はこの歌手の歌を知らないが、坂本龍一や吉田建(イカ天審査員)は確かこの歌手のバックバンドからキャリアをスタートさせたと思う。彼女はその後女優に転身し『リンダリンダリンダ』や『リップヴァンウィンクルの花嫁』でその洒落た芸名とは程遠い老婆を演じていた。クォーターの香椎由宇や混血かどうか知らぬが沖縄出身だからエキゾチックなCoccoの母を演じるくらいだから彼女も混血なのだろうか。若い頃の作品と言えば・・・、途中までしか観ていないが大島渚監督の『夏の妹』に出てたかな。群馬のRIRIのほうは、英語が上手いが独学らしく、帰国子女でもないし(白人や黒人との)混血児でもないようだ。

 

女性歌手の名前もループする。

 

←こっちじゃないほうのSEIKOの歌も素晴らしい。

 

(追記 11月5日)

最近、日本のアラウンド1980頃のシティポップが国際的に流行してるらしい。竹内まりやのプラスティックラブが最も人気らしいが、これは好きではない。他には、松原みき『真夜中のドア』、大貫妙子LP『サンシャワー』(「都会」が収録されている)などが人気で、今回貼ったYouTube動画は削除後の再アップ版だからそれほどでもないが、外国語のコメントがやたらとついているのがあった。

まだこんなに国際的人気になる前からYouTubeで両曲を聴いていたし、実はレーゼシナリオのエンディング曲としても考えていた。前者は青春もの、後者は警察もの。 もちろん、レーゼだから、文字で「ここで××が流れる」と書くだけw。

 

前者の発売日は40年前の今日ではなかったかな。

 

 

 ニューシネマの名作で見残していたものを見てみたのだが、本作は分かりにくいが面白い。『ときめきに死す』と『(北野武監督版)座頭市』に影響を与えていると思った。

 

 前者については、「敵と味方」、「追手と逃亡者」が何故に敵対し追いつ追われつあるのかは不明で、二項対立の「構造」だけがあるという作りであるところがそうだと思った。

 

 後者については、盲目設定に。座頭市がクライマックスで目を開いて見えていると告白するが、ラストシーンでは石につまづいて、『目ん玉ひん剥いても見えねえものは見えねえよな』と呟くのだが、このセリフは両義的である。どんなに目が見えても足もとの石は見落とすこともあるという意味と、目を開くことはできるけど自分はやっぱり盲人だという意味がありうる。

 盲人DJが、なぜ主人公に共感するかについて、「同じ盲目だからだ」と答えるくだりがある。これは通常「辛い目に遭いすぎて心が何も感じなくなってしまった」ことを表す比喩表現だと受け取れる。盲目なのにあんなに上手に運転できるわけないし、ゲイの強盗たちとのアクション・シーンもあるからだ。しかし、それらの運動は、まさに座頭市のように「心の目」で見て行っているのかもしれない。つまり文字通りの盲人である可能性もあるのだ。前者の場合ラストは自殺、後者の場合は事故死になる。

 

 四回くらい女が裸で出てくるのだが、同一人物なのか違う人物なのか分かりにくい。クライマックス直前のシーンで黒人の友人と主人公が電話で話しているときに黒人の後方のベッドで寝ている「四番目の女」が三番目(主人公が警察に罠にかけられているかどうかを調べるシーンの女)と同じか違うかはよく分からない。同じなら、仲間に裏切られたことになる。

 

本作のような、敵vs味方「構造」先行的なフィクションというのは70年代的な感じがする。松本零士の漫画『大純情くん』とか、アラン・J・パクラ監督、ウォーレン・ビーティ主演の『パララックス・ビュー』とか。バニシングポイント(消失点)とかパララックスビュー(視差)とかタイトルの語感も似てるな。

 

新潮文庫版を、今年の2月くらいから読み始めて、平成と令和という二時代を股にかけて読んで、やっと読了した。

 

アマゾンレビューの自己紹介のところに「レーゼシナリオを梃子に世界を持ち上げる」という宣言をしたが、この作家も鯨を梃子に世界を持ち上げようとしたのだろうという見込みのもとに読み始めた。その見込みは別に間違っていなかったのだが、海洋冒険ロマン風に始まってだんだん論文調に脱線してゆきまた海洋冒険ロマンに戻ってくる、というような書き方は、当初は新鮮だったが半分を超えたあたりから飽きてきて、最後は飛ばし読みするようになっていた。

 

柴田元幸ブームの頃(20世紀末)に、彼が訳したリチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』を読んだが、あれも、白黒写真の中の世界を描いた歴史小説的なパートと作家本人をモデルとしたらしき現代の私小説的なパートと写真論をはじめとする論稿風のパートという三部構成が新鮮だったが、後半になると論稿風の部分は斜め読みになっていった。今回、あの時の感じを思い出した。でも、ちょっと、『舞踏会・・・』を再読したくなったかもしれない。

 

 

 

 

http://www.hideo.club/article/448514582.html

キリンジの『エイリアンズ』をラジオで耳にして、ネットでチェックしたら、オリジナルラブとか秦基博とか「杏」とか「のん」とか色々な人がリスペクト&カバーしていた。2000年のリリースだそうで、こんな凄い歌を最近まで知らなかったことを恥じたが、同じようなことを書いてる人が他にも沢山いた。

 

この曲をカラオケで歌った星野源の『肌』も良い。https://www.youtube.com/watch?v=Sowqtzqq14E

 

「パックス・ブリタニカ」は「イギリスの覇権の下における平和」、「パックス・アメリカーナ」は「アメリカの覇権の下における平和」。

 

令科(れいしな=レーゼシナリオ)の覇権下における平和・・・という意味になればいいな~w。