カシオのポストワードというワープロ専用機を使ってたんだけど、起動させる前に読み込ませなければいけないディスクの名前を度忘れしてた。アプリケーション・ディスクだったんだね。
コインランドリーで、非売品の本『ヤマダ電機の礎』(山田昇・著)を発見。面白くて読み耽ってしまい、洗濯が楽しみの日課になりそうだったが、何回目かの洗濯のときに本は消えていた。残念!
あれは、もし一般書店で販売したら、バカ売れするんじゃないか?インタビュー嫌い(たしか、ダイヤモンド誌や村上龍司会のTV番組『カンブリアの宮殿』などくらいしか、出てない)の山田会長の言葉が読める貴重なチャンスだからね。
夏が終わり、衆院選挙が終わりました。同期の同窓生が約一名、国会議員になりました。同じクラスだったことはないけど、たしか体育か芸術などの選択教科で机を並べたことがあったはず。しゃべった記憶はない。「世界征服をたくらんでいる」などという噂だったけど、まさか本当に政界入りするとは(笑)。しかし、こんなことになるのなら、ちょっとでもコネを作っておけばよかった(笑)。支持政党じゃないし、一番きらいな政党なのだけど。
「政治の季節」という言葉をよく聞くけど、誰が最初に言い始めて、どういう意味なのでしょうか?「1960年代は政治の季節だった」とか、「僕らの世代が大学に入ったころには『政治の季節』は終わってた」などという風に使いますよね。後者は、大学に行ったら学生運動に参加して派手に暴れようと思ってたような人が、いざ入ってみたらもう学生たちは、ファッションや恋愛やクルマやテニスや音楽などにうつつを抜かしてて肩透かしを食らったようだった、という感じの言でしょう。田中康夫が「自分が大学生だった70年代の総括として『なんとなく、クリスタル』を書いたつもりだったけど、80年代のキャンパスライフの象徴のように扱われてしまって心外」と言ってたような気がする。
政治の季節というからには、政治的じゃない季節(時期)があるってことで、政治の対句には「経済」とか「文学」なんていうのがありえそう。「政治経済」とか「政治と文学」という感じで。しかし、70年代後半以降から最近までは、どう考えたって「文学の季節」じゃないな。だから「政治の季節が終わって経済の季節が始まった」という感じなのだろう。バブルもあったし。
なんとなく、最近になって「経済の季節」が終わった、という感じがする。湯浅誠さんや雨宮処凛さんでお馴染みの「過度の自己責任論への批判」ブームなんていうのも、そんな「季節の終わり」だから起こってるのだろう。また政治の季節が来るのだろうか?それとも「文学の季節」?
マル季の季の字は季節の季。
テキスポに日本文学史の紀元に岸田国士の没年を、なんて書いたけど、菊池寛のほうがいいよな。なぜ今まで気づかなかったのか。この人って、実業家というイメージが強いので。
巨人の元監督の藤田さんのように、選手時代は目立たなくって、監督として活躍、みたいなそういう感じの人かと思ってた。
http://d.hatena.ne.jp/knockeye/20090629
『朝まで生テレビ』「貧困問題」の回で、勝間和代さんが「発展のラダー」という言葉を使って、第三次産業振興の必要性を説いた。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%9D%E3%83%A1%E3%83%A9+&lr=lang_ja
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/13/news046.html
値段がそれほど安くない。プリンタに直接つなげないらしい。しかし、この路線(テキスト専用機) が繁栄してほしい。
キングジムという文房具会社から発売。とくに宣伝もしてないのに意外に売れ、加えてほしい新機能の要望もあるようだが、テキスト中心という基本路線は崩さないようだ。
数日後に控えたアメリカの記念日のことではない。
英語版ウィキペディアの「レーゼシナリオ(=closet screenplay)」の記事が、「レーゼドラマ(=closet drama)」の記事から独立したのだ。先月15日のことであった。昨日、初めて知りました。ヒャッホー!祝。
http://en.wikipedia.org/wiki/Closet_screenplay
私も前から、やらなくては、と思ってたけど、記事の分割はけっこう面倒な手続きがあって、それを英語でやるとなると・・・・う~~ん・・・・・ということで、放置していた。
独立させてくれた方、ご苦労様でした。
日本語版の(レーゼドラマからの)独立は何月何日だっけな。