鈴木貞美の「日本文学の成立」という本の中で、近世劇の台本が、すでに一般人(といっても町人の知識層だろうけど)に流布して読み物として読まれてたというような記述があった。
この著者って、荒井晴彦の監督作の原作者だよね。
鈴木貞美の「日本文学の成立」という本の中で、近世劇の台本が、すでに一般人(といっても町人の知識層だろうけど)に流布して読み物として読まれてたというような記述があった。
この著者って、荒井晴彦の監督作の原作者だよね。
バロウズのほうの「ブレードランナー」を図書館で借りてきた。
(両者の、何がレーゼシナリオかの、当否の線引きに微妙な差異はあるものの)山形さんやメルトンさんも言ってるように、これはレーゼシナリオに近い。そのことは前から知ってた。だけど、レーゼシナリオを入手できる限り読むことにやぶさかじゃない私が、これは読んでなかった。
出だしのところだけ見て、わりと話体的な語りから始まって、ある架空の映画について語るというようなスタイルだったので、ずっと最後まであんな感じなのかな、と思ってたのね。たしかに多くの地の文が現在形だから、シナリオっぽいけど、限りなくレーゼシナリオに近い普通の小説という感じかな、と思ってたのです。「蜘蛛女のキス」(プイグ)の「語り手が一人しかいないバージョン」って感じかなと。前半は地の文にもちらほら過去形で終わってるものも混じってるし。
今回、ざっと見渡してみたら、最後のほうはもうほとんどシナリオ、星新一のレーゼドラマ「にぎやかな部屋」みたいな、役名を台詞の前から外した脚本形式になってるじゃない。
芥川の「影」「或る阿呆~」がレーゼシナリオと呼んでいいのならば、これもそう呼んでよいかもしれないな。
キャシー・アッカーの「バース・オブ・ザ・ポエット」とかいうのの訳は、どの本に収録されてるのか?「アホダラ帝国」のなかに入ってるの?
映像劇脚本は「文芸における最後のフロンティア」だと、サブタイトルで謳っている雑誌です。
クインビー・メルトン氏によるレーゼシナリオ論が創刊号に、『ダッチ・シュルツ 最期のことば』などを翻訳なさった山形浩生氏へのインタビューが今号に掲載されています。
http://scriptjournal.studiohyperset.com/issues/1.2/index.php