クーリエジャポンという雑誌でマルコム・グラッドウェルが、最近のネットブーム(要するに、私もこのブログなどで再三言ってきた、ヒエラルキーからネットワークへっていう流れ)に対して冷や水浴びせるようなこといってます。グリーンズボロのランチカウンターがどうしたとか。


彼は、ティッピングポイントなんて書いてるくらいだから、草の根重視派、つまり「ネットワーク派」かと思ってたのですが。


もちろん、ネットワークを否定してるわけじゃないが、強大な敵にたいして戦うのならヒエラルキーじゃなきゃ駄目だと。


しかし、黒人解放運動でも、フェミニズム運動でも、労働者運動でも、白人、男、資本家という可視の敵に向かって団結したはいいが、その団体自体がヒエラルキー化して、敵と似たものになってきたことに対しての反省があり、ヒエラルキーこそが本当の敵だ、というのが、その後の社会運動の抽象化、そしてそれを超えるものとしてネットワークという抽象が見出され、インターネットの普及がその具体化だったのだと思いますが。


グラッドウェルが言ってるのは、時計の針を逆戻りしろってことか?それとも、ネット普及してない後進地域の事情を忘れるなってことか?

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あまり正月という感じでもないけど

糸糸山秋子の小説「ばかもの」を読んだ。今上映してる映画も観にいこうと思う。


現代の純文学小説というのを読んだのは久しぶりです。


ところで、この小説には二箇所ほど疑問点があるのですが、それが「狂言回し」と「デウス・エクス・マキナ」というキーワードで語られる何かなのです。(続く)

今年は、レーゼシナリオ関連では、跳躍の年と言ってもよいのでは?例是道も世界進出か?っちゅうくらいの進展があったしね。いままで読めなかった作品も入手できたり、知らなかった重要作品の情報も得た。


それ以外でも、21世紀日本政治の胎動とも後に評価されるかも知れない現場に、第三者の立場ながら立ち会えた気がする。


映画に関しては、やっと「人情紙風船」を観ることができた。しかし、去年よりも観た映画の本数が少ない・・・


あと、今年は「もしドラ」がミリオンセラー、いままでに無かったような(大衆的な)ドラッカー・ブームが起こったけど、本ブログでは2006年当初からドラッカーに言及していたことをお忘れなく。私自身は90年代初頭からドラッカーに関心を寄せていた。勝間和代ブームで、マルコム・グラッドウェルも注目されたけど、「ティッピング・ポイント」については、テキスポなどでも書いてたことをお忘れなく。


では、皆さんよいお年を!

ようやく、読みました


1895年が舞台で、自動車普及の初期に「飛行」と言ったら、飛行機の発明を予期してるようで、映画の発明を暗喩してるんだろうな、と。


作中人物である作家に、「戯曲を書くなら一幕じゃなくて何幕も・・・・」なんて言わせてるのも、意味ありげだし

「逆風」とか「迷い風」と訳される、チャート・コープチッティの作品でした。ほんとうにレーゼシナリオなのか分からんけど、映画脚本であることは確かなようだ。英語版や日本語版のWikipediaに拠ると。
『淑女は何を忘れたか』を観た。