和歌山県和歌山市在住。脳梗塞からの完全復活を期す、“ウォーキング&筋トレ大好き人間”のまるちゃんこと丸山賢治です。
日本に10人しか居ない世界最高の真珠専門鑑別鑑定機関【真珠科学研究所】認定『真珠グランドマスター』所持。
威風堂々たる偉容‼️
紀州徳川家五十五万石の本拠地:和歌山城です。

本日は、昨日のブログの続きと云うことで、紀州徳川家に関係した六つの城を紹介させていただきます(^ω^)。




紀州徳川家五十五万石の“六城”を御紹介。

(昨日の続きです)

昨日のブログは、“日本史マニア・まるちゃん”が炸裂してしまいましたf^_^;(笑)。長々とすみませんでした(^人^)。

…でもね…
正直に言っちゃうと、あれでも抑えてる方なんです。日本史…、取り分け戦国史がムチャクチャ大好きなので、本気で語り始めたらもはや止まりません!ですので随分と抑えた内容にしました。

島津家しかり、未だ触れていない毛利家しかり…
喋りたいことが未だ未だ山ほど有るんです♫

あっ、当然ですが紀州徳川家もね(^ω^)。


…そんな訳で、此れからはブログに歴史物(戦国史。たまに幕末期)も織り交ぜて行きますので、宜しくお願い申し上げます(^人^)♫


其れでは、ここで紀州徳川家の全容を今一度…
本当に偉容です❗️さすがに五十五万石。


【紀州徳川家の本藩と支藩】

本藩:紀州徳川家(本拠地:和歌山城)
支藩:田辺藩(本拠地:田辺城。藩主:安藤氏)
支藩:新宮藩(本拠地:新宮城。藩主:水野氏)
支藩:伊予西条藩(本拠地:西条陣屋。藩主:伊予西条松平氏)


「あれ?松坂城とか田丸城は支藩じゃ無いの?」

松坂城と田丸城地域は、本藩の直轄地でした。ですので藩は置かれず、替わりに城代として家臣が詰めておりました。
※追記:便宜上、藩と言う言葉を使用していますが、藩という言葉が使われ始めたのは江戸後期であり、当初は使われておりませんでした。当初は単純に「◯◯家◯◯領」でした。


其れでは紀州徳川家配下の“六城”を紹介します。

先ずは和歌山城。紀州徳川家五十五万石の本拠地であり、象徴です(^ω^)。
素晴らしい❗️幼少期は何とも思わんかったけど、こうしてみると、エクセレントな建造物です。


続きましては和歌山県田辺市の田辺城(絵図)。
田辺湾と会津川の合流地点に在りました。
今はもう僅かな石垣が残るのみで、ここに城が有ったのか?っていうくらいです。
ちなみに藩祖の安藤直次(なおつぐ)公は「徳川二十八将」に数えられた名将で、元々は徳川家康公の直臣でした。直次さんは家康公直々の懇願により、家康公の息子・頼宣(よりのぶ。紀州徳川家初代藩主)の家来となったのです。家康さんの信望が厚かったのですね〜。
そして…、安藤直次さんは田辺領に於いては“神様”でした。※↓詳細は下記のブログにてd(^_^o)!



和歌山県新宮市に在った、新宮城(絵図)。

建造物は残っていませんが、石垣はシッカリと現存していて…。桜の季節には御覧の通りの優美さです♫



三重県は松坂市の松坂城(絵図)。


城代しか置かれなかった割には、勇壮な石垣を誇っています。
紀州徳川家の預かり地になるまでは、外様大名や譜代大名が交互に藩主として統治しましたが、いずれも上手く行かず…。結果として「紀州徳川家お預かり」となった、“曰くつきの城”です。
良え城やのに何でやろ?



三重県 度会(わたらい)郡の田丸城。

石垣はシッカリと現存しております。



愛媛伊予西条市の西条陣屋。

こちらは城では無く、城よりも小規模な「陣屋」が置かれていました。伊予西条藩は三万石の小大名だったので、城は持てなかったのですね。



最後に、和歌山県和歌山市和歌浦の夕景。
きれいですね〜(^ω^)♫

温暖な気候と風土に恵まれた和歌山県。私の誇れる郷土ですd(^_^o)。







【昨日のウォーキング&ジョギング歩数】
※消費カロリー:745




【昨日の筋トレ】
※昨日は、一昨日の疲れ(1日で50,000歩超え!)からなのか終日😴💤(笑)。筋トレは休みました。



【昨日のカロリー計算】
・基礎代謝カロリー:2,000
・運動代謝カロリー:  745

・食事摂取カロリー:2,500


◎代謝貯金カロリー:       245カロリー。




【昨日の血圧】


さぁ、今日から2日間は大阪です♫
歩くで〜d(^_^o)‼️



毎日毎日コツコツと(^ω^)♫





最後までお読みくださいまして、ありがとうございました(^人^)