印象派の誕生~マネとモネと草彅さん。。。
- 婦人公論 2016年 6/14 号 [雑誌]/中央公論新社
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ボクの小保方さんが 『あの日』 以来の沈黙を更に破り、メディアに登場!! しかも雑誌!! 確実に登場頻度が狭まり、登場メディアがカジュアルに近づき、ボクの待望するテレビ出演(もちろんバラエティの人としての)がそう遠くない未来に実現しそうな予感、、、笑点のチョーサスライズ新レギュラーだったらうける、ヒルナンデスとか出てほしい(食レポ希望)。ありま~す。って。
- 村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝/岩波書店
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昨日、本屋でみかけた本のタイトルがグッときた。これ 伊藤野枝 さんの評伝なんですけど、瀬戸内さん(小保方さんの対談相手)の書いた野枝伝 『美は乱調にあり』 っつー本を正月に読んで、ブログ記事にまとめたのが長くなりすぎてまとまりきらずに放置中。もうじきがんばって上げる。
- 印象派の誕生―マネとモネ (中公新書)/中央公論新社
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ちょっとこれ読んだ。
伊藤野枝ってまずは大杉栄の妻の顔(関東大震災のどさくさに甘粕大尉により惨殺)、もうひとつは平塚らいてうさんの秘蔵っ子として 『青鞜』 の二代目編集者としての顔もあり、、、だから伊藤野枝の周りには文学者と革命家(当時の社会主義者)がウロウロしていて、群像劇としてすっごい面白いのが 『華の乱』。
- 華の乱 [DVD]/TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
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映画はなぜか深作欣二監督なのだが、、、面白いのはこれの原作本で。永畑道子さんって人が書いてるのを、読んだのを、ブログに途中まで長々と書いたのが、ほったらかしになりっぱなし。
●20世紀ってゆー時代が素敵だなぁって思うのは、同じ時代に同じ場所に同じ志を持った人間がなぜか集まってしまい、まったく新しいムーブメントを巻き起こしてしまう、、、そんな奇跡が繰り返されてきたことだと思うの。
映画におけるヌーベルバーグ、マンガにおけるトキワ荘、ポップミュージックにおけるマージービート、、、
そういう人が集まってグループを作るって現象にすっごい興味が出てきて、それはどこから始まったのか、、、そんな20世紀を用意したのは19世紀ですから、、、やはり人が集まるには鉄道の発達とかいろいろそれなりの要因があったと目され、、、なんとなく印象派にまで辿り着いた次第。
で、本の感想ですが、これは印象派の誕生つーか、マネの本だった。7割くらいマネのこと書いてある。で、マネとモネってカタカナで書くと一文字しか違わないけど、フランス語で書いても一字しか違わなくて、年も八つしか違わなくて、モネが入選した際まちがって、落選したマネ(八つ上)が喝采を浴びて不愉快になる愉快な事件も発生。晩年は近所に引っ越して仲良くしてたらしい。
ボクも最近よく展覧会にいったりして見て来たんですけど、ぜんぜん見方が浅かった。マネがいかに革新者だったか、つぶさに解説してくれてるのこの本。
まず、『草上の昼食』。ピクニックでお昼ごはん食べてる紳士の横にヌーディストの裸婦がいるこの絵画が、当時いかにスキャンダルを巻き起こしたか、、、筆者はその衝撃をこんな風に書いている。
>二一世紀の今日でも男性タレントが独り真夜中に公園でヌードになれば逮捕されるのだから、一九世紀中葉、こんな状況を描けばスキャンダルになって当たり前だ。(P67)
この一文に一切の注釈は振ってないので、不肖ボクが注釈しておきますと、この男性タレントは言うまでもなくご存じ 草彅さん です。この本の発行当時(2010年)はまだまだホットな話題だった模様。記憶は風化していきますから、語り継いでいかなければなりません。印象派の本にあの日の 草彅さん の姿が印象派の作品の絵筆のようにボンヤリと、描かれていたという事実をお知らせして、今夜のブログはおしまいです。
●書きたいことは書いたのでここでブログを終わってよいのだが、もうちょっと書く。
マネって人の革新性、ボーっと絵を見てるだけでは見過ごしていたそこんとこを、解説してくれてて目から鱗落っこちまくり。例えば 『鉄道』 って絵なんか、鉄道も駅すらも描かれていなくて、駅の柵のこっちでお母さんが読書をしてて、そのお子さんが背中を向けて、柵をつかんで汽車を見てる、そんなごくありふれたなんでもない日常生活のヒトコマなのですが、、、
当時の人々の感覚だと、これはとんでもなく冷たい風景だと受け止められたんだそうな。母子がモチーフとして描かれる場合、抱き合ったり寄り添いあったり、スキンシップあふれる振る舞いを描くのが常識的で、こんな背中合わせの親子関係を描くとは、、、って、これもこれでスキャンダラスこの上なかったんですって。ふーん。
狙ってマネはあえて描いたんだそうな。なぜか、、、だって、そうなんだもん。これが来たるべき20世紀、、、人びとが離れ離れのバンラバラに生きざるをえない、孤独の世紀のやってくるのを先取りしたんだと。
マネの人物画はまるで静物画のよう。ですって。
そんなマネの最後の作品が 『フォリー=ヴェリジェールの酒場』 なんですけど、これもきれいな絵とか、そんな感想しか抱かなかった自分が恥ずかしいのだが、、、そういわれれば、底知れない孤独の表情してますよ。つまんねー仏頂面。そりゃそーだよ、つまんねー仕事なんだもん。酒場の給仕なんて。
ボクがアメリカ映画でいちばん好きなのは、ダイナー。
あのウェイトレスさんがすっげーどーでもいー感じで注文聞きにくる、、、だってそーじゃん、提供してるのがどーでもいいジャンクフードなんだから。それ相応のどうでもいい程度の代金を払って、どうでもいい食事をして、ただ、それだけじゃん。その仏頂面に文句ある?
ブックオフの108円コーナ-で見つけたマンガ、、、
プレわたみ時代の つぼ八 バイトで、おしぼりをひざをついて差し上げる渡邉美樹氏。このシーンが武勇伝として大ゴマで描かれていた、、、
>居酒屋でありながら高級クラブさながらのサービスを提供する
>現在では当然のように思われるこのサービスだが
>美樹はこうしたサービスを業界でいちはやく取り入れた
これが日本をダメにしたんじゃないか。とは言いませんけど。ボク、あの膝ついてオーダー聞きにくるシステム、大キライ。高々居酒屋の安メニュー注文するだけなのに、、、一流レストランだったらなおさら、膝ついて注文聞く給仕さんなどいないか。
マネが描いたように 『フォリー=ヴェルジェールの酒場』 のような店では 『フォリー=ヴェルジェールの酒場』 の子のあの顔しかできないですよ。それを無理に笑顔を作って、、、膝ついて、、、精神に変調をきたしちゃいますよ。
●ついでに ヴィスコンティの 『ルードヴィッヒ 神々の黄昏』 もやっと見たんですけど、この ルードヴィッヒ王の晩年のお食事風景 を見てほしいんですけど、、、
お食事中に人が来るのがヤだからって、テーブルを改造してせり上がる方式にしちゃったんですって。わがままな王様が。
ウィーンって、音がしたかどうかはしらんが(ウィーンだけに)、下でお食事をセッティングして、自動でせり上がってきてそれを食べる。王でさえ、狂っていたとはいえ、王でさえ膝ついて給仕など求めていなかったっというのに。
しかもその先も読んでほしいんですけど、誰もいない部屋で食事がしたいのに、いつも食事は3~4人前用意させたとゆー。なぜ? 大食漢なの? ブー。答えは、、、
A。架空のルイ14世やマリー・アントワネットといっしょに食事をしていたから。
どう? 時おり会話してたんだって、架空の偉人と。誰もいないのに。これ、何プレイ?
これはワタミでも提供してないサービスだと思うんですけど、、、そしてこれはさすがに行き過ぎ、イキすぎ、まあ 狂王 の名に恥じない晩年の名エピソード。
ここで思い出すのは 寺山修司 がいっつも原稿書くとき行きつけの喫茶店の同じテーブルで書くんだけど、4人掛けだから相席されないよう、店にも悪いからって、あらかじめ四つ分コーヒーを頼んでたっていう、チョーカッコイーエピソード。
どう? そういうのが大人のダンディズムだと思わん? あるいは架空のマリーアントワネットと食事するとか。ワタミくんだりで店員に傅かれ王様気分になってるやついちばんバカ。