1月23日 1.10後楽園ホールタカタイチマニア3 タイチ vs DOUKI | 岩丸の携帯日記

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CinemaSoundWorksという会社で
遅延気味な日々を追いかけ記録…(かなり…)

「男なら、危険をかえりみず、死ぬとわかっていても、戦わなければならない時がある…。

負けるとわかっていても、戦わなければならない時がある…。鉄郎は、それを知っていた…。」

1979年、映画「銀河鉄道999」より

 

鉄郎じゃなかったです。

タツヤ…でした。

でも、本当は…DOUKIでした。

 

 

タカタイチマニア3、後楽園ホールのメイン。

タイチ vs DOUKI、PPVにて観戦。

ヘビー級のタイチとジュニアのDOUKI、結果だけを重要視するのであれば、力の差は歴然としている。

 

でも、この試合を見る為に、PPV購入可能しました。

DOUKIの生い立ちを知っていたら、これは外せない試合。

 

DOUKI、いつもの鉄パイプは持たずに入場。

メキシコつながりの美馬姉、セコンドとして姿を現します。

 

3年前の「タカタイチマニア2」で、メキシコから参戦してきた日本人の若者が、DOUKI。当時、日本では全然無名。

そしてその大会であごを骨折して、直後の「スーパージュニア」を欠場しなければならなくなったのが、デスペ。

そのデスペ欠場の代打として、「タカタイチマニア2」での試合を終えメキシコへ帰ろうと空港へ向かっていたDOUKIを呼び止め、新日に推薦し「スーパージュニア」へ出場させたのが、タイチ。

 

 

そのきっかけを自分のものにし、以降新日への継続参戦をつかみ取ったのは、なんの後ろ盾もなくメキシコで一人日本人悪役レスラーとして戦っていたDOUKI。自身の活躍。

 

 

とはいえ、力の差、ヘビー級のパワー…経験値…、どれをとってもタイチの方が、一枚も二枚も上手なのは、周知の事実。

見ているお客さんだって、そんな事はわかってる。

 

 

でも、皆…何かが見たくて、ここに集まってる。

 

 

すばやい身のこなしで、ジュニアらしく試合を組み立てても、一発一発の重さでタイチにかわされてしまう、DOUKI。

 

 

DOUKIが、最近多用している「イタリアンストレッチNo.32」は、解説でおなじみのミラノさんが現役時代に使ってた技。

 

最初に使ったのは、タイチ・ザックと組んで、新日での初めてのタイトルマッチに挑んだ時。後楽園ホールでのメインで、NEVER6人タッグに挑んだ時。その時も解説はミラノさん。

今では、いつものDOUKIの技。

 

技の応酬になれば、ヘビー級のタイチの方が一枚も二枚も上手。

打撃戦になれば、余計に…。

 

エルボー合戦…、「力こめろ!もっとだ!もっとだ!」と解説のはずのミラノさん、完全にDOUKI寄り…。「DOUKI、いけ!いけって!」とゲストのノブさん、声の出せない後楽園ホールの客席に聞こえる女性の声はセコンドにつく美馬姉さん、どっちの応援してるんだかわかんなくなってるタイチのディーバーあべみほちゃん。

タイチも、「DOUKI、こい!立ってこいよ」と完全に場は出来上がってる。

 

DOUKIが前日にツイッターでつぶやいた、ある技。

出すなら、明日しかないと、つぶやいた技。

このまま終わるなら、出せずに終わる技。

 

返し技のような延髄蹴りにも、雄たけびをあげて踏ん張るタイチに、渾身のラリアット…、ヘビー級のタイチヘジュニアのDOKIのラリアット。

 

一瞬できた、その隙間に…、いつもと違うDOUKIのムーヴ…

 

間をためてからの、ミラノ式スーパーキック…

 

「ミラノぉぉぉー」と指さし叫ぶ、その先で…

解説席で泣き出すミラノ

で…、ミラノさんがスーパージュニアでテッペンを取った時に、フィニッシュホールドで使ってたヴィクトリア・ミラネーゼ…解禁。

 

これは、もう…一瞬、夢を見ました。

タイチに勝つのか?

 

現実は返され、タイチのドラゴンスープレックで、おしまいか…と思うが、返すDOUKI。

自身の技へもっていこうとするも、再びタイチの急角度のバックドロップ。…やっぱり、終わるか。

 

あわただしい解説席の様子が、音として聞こえてきます。

なにやら、冷静なノブさんが慌ててます。

 

次の瞬間、リングサイドに…ミラノさん

「いけっ、いけって!」

「DOUKIっ、DOUKIっ!」

解説席を離れ、我慢できずにDOUKIを叱咤激励しに、リングサイドへ

 

DOUKIがプロレスラーになるきっかけ…

18歳の若者がメキシコへ渡るきっかけを作ったのは、ミラノさん。目の負傷で急遽の引退、その引退した直後に訪ねてきた18歳の若者にメキシコへの橋渡しをして、当時メキシコで修行中のタイチへ18歳の若者を託したんです。

その若者が、12年後、自分のフィニッシュホールドを後楽園ホールのメインで…、使う。

 

ちなみに、メキシコで託した相手は…

自分の急遽の引退でタッグを解消し迷惑をかけたと思っている男…、タッグパートナーを無くし、新たなレスラー像を探している最中の…タイチ

 

叫びます…リングサイドから…

 

タイチの技、バグソーキック、のど輪落とし、タイチ式ラストライド

受けても受けても返すDOUKI

終わらない…

DOUKIが、終わらせない…


30分一本勝負、残り2分のアナウンス…

 

タイチの、本当のフィニッシュホールド、ブラックメフィストを叩き込まれて、…試合終了。


でも、納得の終了…。

 

こんな試合…

 

見せられたら…

 

 

声出して、泣きます…

 

皆が見たかったもの…

勝敗を…越えたもの。

 

「悔しいか、DOUKI?…いや、タツヤ、タツヤ…悔しいか?

俺からしたら、いつまでもお前はタツヤだ。お前、立派だよ。よく、ここまで来たよ…お前。12年前か…12年前…、ちょっと長くなるけど、いいのか?。明日の朝までしゃべるかもしれねえけどいいのか?」

 


「12年前、オメーはプロレスラーになりたくてよ、どうしていいか、もがいて、なんのツテか知らねえが、ミラノに頼んでよ。『メキシコでプロレスラーになりたいんです』って頭下げて。その時ちょうど、俺がメキシコにいて、ミラノがお前を俺に託したんだよ。


あの時、高校卒業して間もなく、お前はプロレスラーを目指すことだけを考えて、高校生のうちにバイトで貯めた金だけ握り締めて…俺んとこ来たな。言葉も何もしゃべれない…スポーツも何もやったことのない…バイトで貯めた金だけ…夢と金だけ握り締めて、俺んとこ来たな。


まあ、それからいろいろあったよな。お前の事…イチからトレーニング全部教えた。プロレスラーとしてどうしていいか…全部教えてやったな。お前といろんなとこ行ったな。メシ食って…いろんなとこ遊びに行ったな。キツい練習してな、二人でな…楽しかったな。

そしてよ、俺が一番、嬉しかった…いや、よく覚えてんのはよ、俺は6月、アレナ・メヒコ、ビッグマッチ、マキシモとカベジェラ戦やって、俺は負けてハゲになった。その時、お前は客席、見にきてた。客席、16,000人の中で、一番大号泣してるのがお前だったな。
 

会場ただ一人、俺が負けたの見て大号泣してたよ。そのまま帰りの宿舎まで、一人で泣いて歩いて帰ったらしいじゃねえかよ。周りのヤツに「ボク、どうしたの?」って声をかけられて(笑)。それからオレが宿舎に戻ってからも、オマエは大号泣してたな…。悔しいです、悔しいですって、泣いてくれたな、お前。
そしてオレが帰る時も、玄関先で泣き崩れたな。俺がいなくなるの、寂しいって(笑)。」

 


「そんな可愛くて、真面目だったお前が、俺の入れ替わりで来たYOSHI-HASHIと、ライガーと生活してから、お前は、すっかり変わった!(場内笑)。
こんなんなっちまったのは、全てYOSHI-HASHIとライガーのせいだ!。むしろライガーだ!アイツが悪い!ライガーによ、毎日毎日いろいろやられたんだろ、お前?だから、こんなひねくれものになっちまってよ。


でも、お前、こうやって美馬姐もよ、皆助けてくれたじゃねえかよ。


でも、悔しかったもんな。新日本の看板があるからって…憧れのアレナ・メヒコに次から次へと出てな…、オメーは名も知らない会場で、名も知らない相手とデビューして、誰も知らねえまま、10年過ごして。


そして今…どうだ?堂々と新日本の『SUPER Jr.』出て、いまこうやって後楽園のメインイベント立ってるじゃねえかよ、お前。


他の誰よりも、俺からしたら立派だよ、タツヤ。俺には出来ねえ…。

18で一人でメキシコ渡って…それから10年間、独りぼっちでやり続けることなんて…。お前は立派だよ…尊敬してるよ、タツヤ。


ミラノ、お前も泣いてんじゃねえよ…お前…何、感極まってんだ、テメー、コノヤロー。


タツヤ、泣きたくば泣けばよい、止めはせぬ」

 

 

 

強くなるぞ…DOUKIは…。

 

 

 

 

ほかにも、いっぱいあったんです、タカタイチ3

 

 

 

 

 

 

でも、なにがあっても

メインがしめないと

興行としてはダメですが…

 

立派に…務めてくれました。

 

 

最後の最後はサプライズのボス

 

みほちゃんの誕生日サプライズ

 

こんなん見せられたら…

プロレス、やめられませんって

 

DOUKI…、楽しみ。