『砕けて後は、もとの土くれ』中村豊郎 | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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本日7月11日、三浦一族が滅亡して499年目です。


三浦一族終焉の地は三浦市油壺。

『砕けて後は、もとの土くれ~三浦一族鎮魂譜』は、
三浦市出身の著者 中村豊郎氏に頂いた本です。

来年2016年は、三浦一族が滅亡して500年の節目を迎えます。
改めて三浦一族の興亡を偲ぶことで、
三浦の歴史文化に目を向ける大きな機会となるのではないでしょうか?

源頼朝、足利尊氏に忠節を尽くすも、 北条早雲に滅ぼされた三浦一族…。
源氏の郎党として鎌倉幕府樹立に貢献し、
源頼朝の信頼厚く、幕府の要職に就いて絶頂期を迎えました。
一方で北条氏による粛清の対象とされ、
執権北条義時のときに和田義盛が、時頼時代に三浦泰村が討たれました。
分家が生き残り、三浦氏を脈々と継承します。
足利尊氏、関東管領上杉氏の郎党として復活してからは、
三浦時高の時代に「永享の乱」で功績をあげ、三浦氏を再興したのです。


「義同(三浦道寸)はまた、神仏への信仰心が篤く、
城内から毎日「海南神社」に参内し、祈願を欠かさなかった」

「(三浦荒次郎は)仏教への信仰が厚く、
曹洞宗で鎌倉円覚寺の末寺の本瑞寺を開基した」


「討つものも討たるゝものもかはらけよ 砕けて後はもとの土くれ」三浦道寸辞世の句

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