現代の自然科学のやり方で生命を探求すると、あたかもそれは、人間にとっては生命があるように見えるだけの、全てが物質的な経過であるように思えてきます。
それはちょうど、アニメーションで描かれた生き物に、生命があるように思えるようなものです。
人間によって生き生きと描かれたアニメーションが生命を表現するように、自然はその営みを通して、生き生きと生命を表現します。
あたかも生命の本質はどこか別のところにあって、画家が様々な素材を使って描くように、物質を素材に使って、生命を描いているかのようです。
生命の本質は目に見えない種類のもので、けれども目に見えるものとして、自然を通して表現されています。
(現代の自然科学は自然を物質としてしかとらえないので、生命あるものを、単に物質的な経過としてしか認識できないのです)
生命の本質は目に見えるものではないこと、目に見えるものとして表現されていると、考えることができます。
そうすると生命は生きものだけではなく、自然界の四季にも、表現されていると気づけるようになります。
四季の中に生命が表現されていることに気づけると、地球が生き物であるように思えてきます。
地球は秋に目覚めを迎え、春に眠りにつきます。
冬に意識が明瞭になり、夏に夢を見ます。
地球の夢の中に、元素霊はあふれかえり、活動します。
地球の夢から、元素霊は生まれているかのようです。
春、元素霊は目覚め、秋に眠りにつきます。
夏の中でその生命を謳歌した元素霊は、紅葉の中に燃え尽き、落ち葉と共に大地に戻ってゆきます。
地球の夢は終わり、地球は目覚めます。
(シュタイナーによると、目覚めた秋の大地は痛みさえ感じるそうです)
地球の目覚めるこの時期に、ハロゥイーンは行われます。
ハロゥイーンはもともと、ケルトの人たちの新年であり、死者を迎える日でもあるとか。
(日本で言うところの盆と正月を、ケルトの人たちは一度に祝うのですね…)
古代の人たちの感性が、この時期を、ハロウィーンに選んだのかもですね。