見えない世界と自然災害 | 手仕事人まるひげのブログ

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最近、自然災害が多発してるので、目には見えない世界の関連において、書いてみようと思いました。

だいぶオカルトっぽい感じの内容なので、興味ない方は読まないほうがいいかな。

 

 

シュタイナーの言う、超感覚的世界を認識する訓練を実践してると、そこそこながら、超感覚的世界を、認識できるようになります。

そうすると、目に見えない世界と目に見える世界との関連が、見えてくるようにもなってきます。

通常、わたしたちが認識している、いわゆる目に見える世界を、感覚界と呼ぶことが出来ます。

これに対して目に見えない世界の事を、超感覚界と呼ぶことが出来ます。
この感覚界のすぐ裏側というか、一番近くの超感覚界に、魂界あるいはアストラル界と呼ぶことのできる世界があります。
(この世界の事は、まだ学問的に研究されてませんが、きちんと研究さえすれば、容易に見出せる領域じゃないかと思います)
この世界は、現在の日本の一般的な概念で霊的世界と呼ばれている世界のようで、シュタイナーの神秘学(あるいは人智学)における精神界と、感覚世界の間にある世界であり、精神界と比較すると、まだ、地上的なもの、”この世”に属しています。
(欲界とも呼ばれてます)

精神界
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魂界(アストラル界、欲界、一般的な意味での霊界)
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感覚界(物質世界、この世)

実際、この魂界には、魂を持ってこの世に生きる様々な想念が、様々な色彩や形状と質感を持って、渦巻いています。
魂界は目に見えない世界ではありますが、この世でわたしたちが、様々な感情の状態を色や形状や質感で言い表す(例えば怒りを赤、悲しみを青と譬えたり、気持ちの状態をツンツンしているとかトゲトゲしてるとか表現したり)ときの、そういう世界の事です。
(この領域にはより密度の高い、一定の形態のようなものを持つ存在もいるようで、いわゆる幽霊とか妖怪とか言われているもののようであり、西洋では元素霊と呼ばれる存在たちのようで、日本ですと、八百万の神とも呼ばれるものにも相当するようです)

精神界というのは、例えば死者が、この世の未練などから解放された後にたどり着く世界で、仏教とかで彼岸とか、西洋とかで天国と呼ばれる世界のようです。
(ちなみに、死んでからこの世の未練が解放されるまでの期間が、いわゆる地獄として知られている状態だそうです。肉体的に死を迎えた後で、地上的な欲求が解消されるまで魂界に留まるそうなのですが、精神界、あるいは彼岸、天国に至る前に、この地獄の状態を、誰もが通過するそうです)
精神界の中にはヒエラルキーというか段階、層があるようですが、感覚世界に近い(あるいは感覚世界に向いている)領域は、地上で植物や生命として表現されており、生命の源、源像となっています。
(生命に溢れる地上の状態は、この精神界の表現です)
天国、あるいは彼岸に至った死者の霊(不特定多数)は、この領域では、地上に生命を生み出し、秩序立った自然現象を整えるために、地上に働きかけているようです。 
地上の自然環境、生態系を整えているのも、この領域の人間の働きのようで、地球が一つの生命に見えるのも、その表現のようです。
(様々な災害などの後の自然の回復の中にも、この領域からの死者の働きかけを、見て取ることが出来ようです)

さて、精神界は、地上に対する意味で天上に属し、この意味で地上に属する魂界とは別の領域なのですが、魂界の状態は、精神界にまで、反映するようです。
(魂界の状態が、精神界の気象に反映するイメージ)
魂界からの良い影響は、精神界にもよい影響を与えますが、悪い影響が精神界に作用するとき、地上の世界に、破壊的な影響を及ぼすことが、あるようです。
さまざまな地上での災害は、精神界における魂界(つまりこの世)からの、悪い影響の結果でもあるようで、地上での様々な環境破壊は、この悪影響を、反映しやすくさせているようです。

(ちなみに、地上の人間に環境破壊を引き起こさせるように働きかけている目に見えない存在の事を、神秘学ではアーリマンと呼ばれており、目に見えない世界を否定させているのも、この存在の働きかけによるものだそうです)

 

精神界に悪影響を与えるのは、地上的な欲望に生き、自分だけの狭い価値観を周りに押し付けるような利己的な生き方をする、人間の魂の活動です。

(アーリマンはこのような生き方を、人間に対して助長するそうです)
このような生き方は、感覚界においては自然環境を破壊し、のみならず精神界へも、破壊的な影響をもたらしているようです。
近代における様々な自然災害は、地上から精神界に及ぼされる、悪影響の表現ように、思えます。

近代になって、神々や霊の世界を迷信として退けるようになってから、よりこのような生き方が、地上で支配的になったようです。

時代の流れあるいは人類の進歩にとっては、単なる迷信から抜け出すことは必要なことで、迷信から抜け出すことによって、理知的な生活を、営むことが出来るようになりました。

(キリスト教福音派は、再び迷信の時代を生きようとしていますが)

しかし、神々や霊を学問から排除することが科学的とされるような、そんなドグマが支配的になって、精神界と人間との繋がりも、断ち切られてしまったところがあるようです。

(人間と精神界を断ち切るのも、アーリマンの働きかけだそうですが)
天上的な観点から見ると現代人は、再びこの世と精神界との関連を見出し、人間の尊厳や地上で生きるための精神的な指針を、見出すことが求められているように思えます。

(人類が、というよりも、”個々人が”ということにあるそうですが)

各々において精神界を見出せるなら、地上をいかに生きるべきかにとどまらず、精神界で働く人間たちと協同する生き方も、見出せるんじゃないかと思います。

(シュタイナーによると現代人は、誰もが思考を中心とした魂の活動を通して、自分自身で精神界を見出せるまで、進化しているそうです)

 

精神界を見出さずとも、地球の現在の状況を真っ直ぐに見つめるだけでも、わたしが今何をすべきか(例えば自分だけの利益を少し諦めて、少しでも搾取することを止める等)を、見出すことはできるんじゃないかと思うんですけど、小さくても今なすべきことを見出せる人の絶対数が、増えることを願うばかりです。