てんたいぶつぶつ | 手仕事人まるひげのブログ

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脈絡ないですが、きんせいぶつぶつの続きです。


現在、日本でメジャーな占星術って、奇妙なことに、おおよそ2000年前(もっと前か)の星の配置で、星座を決めてるのですよね。

天文学に詳しい方なら、占星術でも重要視される、春分点が位置する星座は、少しずつ、移動するのを知っていると思います。

おおよそ2000年前は、これが、おひつじ座にあったそうです。

現在は、うお座にあります。

本来、星座占いでの星座というのは、”生まれた日の太陽がどの星座にあるのか”ということによります。

そうすると、実際の星座と 現代の占星術での星座は、たとえば水瓶座の人が実はやぎ座など、だいたいひとつぶん、ずれています。

(さそり座の人の場合、二つずれて実は乙女座だったという事も、ありえます)


なんでこう言うことが起こったかというと、日本でメジャーな占星術(トロピカル方式と言います)では、春分点を始まりと決めて、円周を等分に12分割し、おひつじ座からうお座までを、割り振ったからです。

(ですので現代の占星術では厳密には”星座”といわず、”サイン”と呼びますし、うお座を双魚宮というように、星座の事を”~宮”という言い方をします)

実際の星空の天体は、春分点にはうお座がありますし、それぞれの星座の占める円周上の角度は一様ではなく、まちまちです。

(「へびつかい座も入るんじゃないか」という話もありますが、そもそも天体観測の祖であり、現在よりも天体観測が遥に重要であったはずの古代人が、へびつかい座のことを知らない訳はなかったでしょうし、「現代のわれわれとは違った価値観からさそり座を選んだのだ」と、古代人の考えを尊重することにします。現代人はもはや星を実生活に用いないですし、現代的知性の影響で、古代人の事を自分たちよりも低く見る傾向がありますもの)

実際の天体とかかわりなくサインの始まりを決め十二等分すると、確かに便利ではあるのでしょうけれども。

(こう言うことを、”抽象化”と言います。喩えて言うなら0歳から思春期までの12人の子供たちがいて、それぞれの食欲を鑑みずピザを十二等分してあたえ、「12当分なのだから公平なのだ」というのに似た。自分の感覚ですともはやピザでさえなく、12当分にされたボール紙かプラスチックという印象ですけれども)


その根拠を認識したうえで占星術を生み出し、実際に占星術を用いたであろう当時の神秘学者たちは、星の配置の変化などに敏感だったみたいで、神を暗に喩える動物として”牡牛”を用いたり、その次は”羊”(”神の子羊”で知られてますよね)を用い、その次が”魚”(たしか、キリスト教の印にも使われてたとか)です。

(実際に春分点は、おうし座→おひつじ座→うお座と、移動しています)

宇宙と人体との照応を意識することのできていた古代人は、春分点で星座(サイン)を固定するようなことは、決してしなかったのではないかと思います。

結局のところ、古代人たちのような感性を失ってしまった結果が、実際の天体とはあまり関係のない、現代の星占いを、生み出してしまったのだと思います。

(サインを動いている惑星諸々の位置については天文学での計算に基づいているので、”実際の天体とはあまり関係がない”という言い方については反論されそうですけれども、そもそも惑星の背景にあるサインが実際の天体とは一致していないので、はたしてどういう意味があるんだろうかと、疑問になります)

古代人のことがもはや理解できなくなった現代的知性が、あたかも頭の中でだけでひねり出したかのような、現代の占星術を、生み出してしまったのだと思います。

(古代人たちからの天文学は、現代の天文学へと受け継がれています。ある意味、現代科学が古代の天文学、占星術を継承しているというのは、なんだか皮肉にも思えますけど)


なお、古代からの認識によると、太陽は心臓および血液の循環系の形成に作用するそうで、生まれた時の太陽のある星座によって、感じ方、体験や経験の受け取り方に違いがあらわれてくるそうです。

(太陽そのものというよりも、”太陽”に象徴されている生命力の人体における表現が、心臓および血液循環であるという事。大宇宙と小宇宙との照応の一つ)

自分の生まれた日の星の配置を天文ソフトなどで確認してみて、太陽の位置する星座の持つ意味を調べ直してみたら、新たな発見があるかもしれません。(わたくしのプロフィールの「ハートは山羊座」というのはそのような意味です)

その事によって、それまで作り上げてきた自己アイデンティティのいくばくかが崩れ去ったなら、申し訳ないところではありますけれども…。