すっかり失念していたテロの事 | 手仕事人まるひげのブログ

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相撲仲間の記事を読んで、パリでテロがあったことを思い出しました。

昨日観に行った映画の半分はパリが舞台だったうえ、フランス人の方も観に来られているようでしたし、しかも内容の半分は戦争関連だったというのに。

寝起きに見たニュースだったので、ほんとにぼんやりしてたみたいです。


仕事柄、自宅引きこもり状態なので、いつもニュースを見ているのですが、まれに一日中外出するなどして、ニュースをほとんど見ない日があって、後で「え?そんなことがあったの?」と、びっくりすることがあります。

たった一日ニュースを見ないだけで、浦島太郎な気分になってしまう昨今。

スマホとか普及が始まって、より世間の動きが目まぐるしくなってしまっているようにも感じます。

(もっとも、事件があったのが日本時間で土曜日の始まりという、土日にかけて、ニュース報道そのものも、手薄になってしまうタイミングだった、というのもあるかもですが)

とくに土日って、ほんとに気を付けないと、ニュースを見落としてしまうと感じます。

平日でもニュース報道に触れる機会の少ない方たちにとって、政治や社会情勢や環境もろもろの事柄に、関心が薄くなるのも仕方がないことなのかも?とも、思ったりしました。


とはいえ毎日ニュースに接していると、だんだんと自分の、ニュースを受け取る心の限界を超えてしまうのですよね。

災害報道もその数の多さに、特に今年なんて、身近な事柄にしか関心が湧かなくなりつつあります。

テロに関する報道も同様で、今回起きたテロについても、最近よくあることの一つ的に感じてしまっている自分がいます。

(実際つい最近、エジプトでロシアの民間航空機の墜落事件があったばかりですし…)

「それはむしろ、異常な感覚なのでは?」と思われる方がいらしたら、それが本来なのだと思います。

自分でも、そうなのだろうと思います。


とりあえず、昨今のテロに関する事柄について。

これまで自分の聞いたニュースの解説を聞く限りでは、ある国は最近になって空爆を開始したことによって、一方では国際社会その他に自らの貢献をアピールし、他方で反政府軍も標的とすることで、いわばこの国はテロ事件を利用しようとしているところもあるみたいです。(←あ、ロシアのことです)

ところが実際には、自国の民間機がテロにあったらしいのですが、それをテロだと認めると自国民から非難を受けてしまうという、テロを非難するのが難しい状況に。(←むしろたぶん、思惑を利用されてます)

難民問題もそうですが、各国及び各国間における身びいきな思惑が、結果的にテロを実行する相手に対して、有利に働いているようです。

(もちろん自国民のいのちを守るという正当な身びいきもありますが、それさえ利用するというのが、奴らなのです)

政治家自身の身びいきな思惑を乗り越えて、関係国が一致団結することを、テロという存在は結果的に、求めているのだと思います。