ゆめをかなえること | 手仕事人まるひげのブログ

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 相撲と芝居、ときどき神秘学、その他日常…


タイトルの記事を書こうと思ったきっかけは、NHK気象予報士の井田寛子さんのブログ記事。

→その記事へのリンク。

夢を諦めないでほしい!と言う気持ちで答えたという、インタビュー記事へのリンクがあります。



自分の場合、今している仕事は20代前半に抱き、一旦は諦めてしまっていた夢です。

その後、代わりとなる夢を抱いては諦めたり、途中で投げ出してしまったり。

人生から干されているような期間が何年も続いたあと、仕事を実質クビになった30代後半、突然、原型師になろうと決めました。

フィギュアの原型師になろうと決めてからは、毎日欠かさず、手を動かすことを自分に課しました。

貯金はありませんでしたが、生活については、失業保険の給付でやりくりしました。

キャリアも経験はなく、業界とはなんの繋がりもなかったので、仕事先はハローワークで探しました。

完成させたフィギュアの反応を見てもらうために、模型雑誌に持ち込んだり(載せてもらうことが出来ました)、就活面接の際、それらを持ち込んだりしました。

幸い、面接までこぎつけた2社目で(何社かは書類の段階で落とされたのですが)、失業給付が終わる前に、仕事先を見つけることができました。

とはいえ就職できたとはいっても、あくまで「とりあえず使えそう」レベル。

それからも毎日手を動かすことを自分に課し、作業をするにも時計とにらめっこしながら、時給に見合う仕事ができるように頑張りました。

とにかく、経験の差を埋めるのに、必死でした。

結果として何年か後にはその会社(小さい会社でしたが)の役員にもなりましたが、自分の目指す品質の原型を作ろうとすると、作業工程を工夫しても採算が合わなくなると感じ、会社を辞めてフリーになって、今に至ります。


今の仕事を始める前までは、アニメを見るのも封印していましたし、フィギュアを造る業界にも全く関わりがなく生きてきた自分なので(それまでの仕事は医療福祉関係)、かなり特殊なケースだと思いますし、決して誰かにお奨めできるやり方ではありません。

自分と同じことをしようとしても、上手くいくことはなかなかないんじゃないかと思います。

仕事の質を上げるためには自分を客観的に評価できなければなりませんが、その前提で自身について言うならば、結果的に自分にはもともと、素質があっただけなのだと思います。

ただ、「原型師になろう」と決めた時、なれない気は全くしませんでした。

諦めるという選択肢はないというか、そもそも思いつきもしなかった、ということはあります。

必死と言うのでもなく、ただただ無心でした。


夢の実現ということについて、「諦めようが諦めまいが、それが自分の運命ならば、その夢は実現する」。

そんなふうに、自分は思っています。

運命と言うのは実際にあって、運命に突き動かされるようにして、(その導き方は独特であれど)人は人生の中を突き進んでゆくのだと思います。

何らかの夢や目標を描いて、それに向かって全力で取り組んだり。

その夢や目標の達成を手段として感じる人は、さらにその先に進んだり。

たとえ達成できなくても、それを通して培ったことが別の夢や目標に、結果的に繋がって行きます。

夢や目標が見つからないときでも、目の前にあって、今、自分に出来ることに全力で取り組むことが、将来の夢や目標に、繋がってゆくんじゃないかと思うのです。

たとえ今の自分が人生から、干されていると感じてしまう時期にでも。

(少なくとも自分の場合、以前の経験がなかったら、現在の仕事は出来なかったと思いますし、以前の経験のほとんどが、今の仕事のベースになっていたり、役立っています)


たぶん運命と呼ばれているものは、生まれる前に抱いた、自分自身の夢なんじゃないかと思うのです。

運命の導き方はとても独特で、けれども生まれる前に抱いた夢に導かれるように、今、自分のできることが目の前にあるんだと思うとき、それが将来の夢や目標を見出したり、実現するためのステップなのかもしれません。

だから、たとえ夢や目標が見出せなくても。

夢を見失ったり、夢を諦めていたとしても。

いつか見出す人生の夢は、思い描いていたものとは異なるかもしれませんけども。

自分の人生を諦めることさえしなければ、いつか自分自身の夢の実現へと、繋がってゆくんじゃないかと思うのです。