6月最後の木曜日になりました。

早いもので、2024年も半分が過ぎようとしているわけですね。

また、沖縄・奄美地方が「梅雨明け」となる一方で、日本の各地が「梅雨入り」となりました。

今年の夏は、どんな夏になるのでしょうか。

一足早く梅雨明けとなった沖縄県糸満市の県平和祈念公園で、6月23日に、沖縄全戦没者追悼式が開かれました。

今年の「平和の詩」は、県立宮古高校3年、仲間友佑さん(18)の作品「これから」でした。

『朝日新聞デジタル』の記事から紹介させていただきます。

『「平和が欠けることの怖さを 僕たちは知っている」 平和の詩全文
https://digital.asahi.com/articles/ASS6Q4V6KS6QUTIL009M.html
「これから」

短い命を知ってか知らずか
蝉(せみ)が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った

大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失(な)くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微(かす)かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋(つな)ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを?ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて

今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛(か)みしめながら』

かなり長い引用になりましたが、いかがでしょうか。

過去の「平和の詩」も含めて、ぜひ親子で読み合わせて、お話してみてください。

次は、『AERA dot.』の記事(かなり編集しています、すみません)です。

『西村康稔前経産相、地元飲み会で怪気炎 「珠洲は原発に反対した」と被災地を逆なでする発言も【録音データ入手】
https://dot.asahi.com/articles/-/223487?page=1
 5月の上旬、平日の夕刻、兵庫県の淡路島の料理店に、10人ほどの男性が集まっていた。
 午後7時ごろ、店に現れたのは、前経済産業相の西村康稔衆院議員。自民党の政治資金パーティー収入の裏金事件では、旧安倍派の事務総長経験者として東京地検特捜部の事情聴取を受け、4月に党員資格停止1年の処分を受けている。この日は地元、兵庫9区の支援者を集めた「飲み会」だった。
 AERA dot.編集部は、この飲み会の様子がわかる約3時間分の録音データを入手した。そこには、処分を受けた後ながら、上機嫌で話す西村氏の様子が残されていた。
■総裁選は「河野太郎、小泉進次郎ってわけにいかん」
■「もともと私は減税反対やった」
■小池百合子知事の学歴疑惑に「首席はないわ」
■泉房穂氏が出たら「明石は血みどろの争い」
■「珠洲は原発に反対したんや」
 参加者の雰囲気が少し変わったのは、今年1月1日の能登半島地震について触れたときだった。被災地を気遣った支援者が、「大変な被害だった」と水を向けると、12月中旬まで原子力発電所を所管する経産相だった西村氏は、能登半島の被災者をないがしろにするようなことを口にした。
「原発反対したんや、珠洲は原発に。反対したんや。(被災地に行くのに)金沢市から2時間半くらいかかる」
 能登半島の先端にあり地震と津波で甚大な被害を受けた石川県珠洲市には原発の建設計画があったが、住民の反対運動などにより、2003年に電力会社が計画を凍結した。西村氏の発言は、原発に反対したから交通アクセスが悪いままになっている、さらには、原発に反対したから復興が進まないという趣旨にも受け止められる。
 支援者から、「(原発を建設していれば地震で)ヤバかった?」と疑問の声が出たが、
「能登半島の地震は1000年に1回や。なんべんもくるもんやない、1000年に1回や。原発作ったらええ」と、原発計画凍結を悔しがる様子だった。
 前出の支援者は、こう話す。
「珠洲原発を建設していれば、地域も発展して金沢市から2時間半もかかる過疎の町にはならなかったという趣旨の話を自慢げにうそぶいていた。つい数カ月前まで原発の担当、経産大臣やっていた人だが、いくらなんでも、そら暴言やと思う」
 西村氏が「珠洲は原発に反対した」からと、震災と結びつけて発言したことについて、珠洲市で原発誘致に反対していた被災者は憤る。
「1000年に1回だから、原発を作っておけばよかったなんて、実にひどい話だ。珠洲市も能登半島も、日本全体も、私たちがここで原発に反対して、建てさせなかったから、地震だけの被害ですみました。もし原発を誘致して事故があれば、とんでもない事態だったかもしれません。市民も『原発がなくて本当に助かった』という人ばかりです。つい去年まで経済産業相をやっていた人は、今も被災地に原発を建てたいのか。珠洲市は地震後、多くの集落で電気もない、水もない、携帯電話も通じないという日々。よくもそんなことが言えますね」
 西村事務所に質問書を送り、発言の趣旨を聞いた。
 被災地の珠洲市が「珠洲は原発に反対した。金沢から2時間半かかる」などと発言したことについては、次のような回答だった。
「『金沢から2時間半かかる』『今回の地震は1000年に一度と報道されている』という趣旨を述べた記憶はありますが、『原発計画に反対したため、金沢からのアクセスが悪い、復興が進まない』という趣旨の発言はしておりません」』

元日の能登半島地震からもう6か月が経つのに、被災家屋の解体工事さえ遅々として進んでいない状況をみて、西村氏は、今何を思っているのでしょうか。

上記記事中の発言を読むと、「灘校→東大」という学歴の西村氏も、単なる「ポンコツ政治屋」にしかみえません。

政界に居座る資格はありませんね。

前回のメルマガで紹介した『週刊現代』の記事、

『「塾代だけで年300万」高すぎる教育費に絶句…地方から東大を目指す親子が明かす、「首都圏名門一貫校」の「驚愕の実態」』
https://gendai.media/articles/-/130423

にもお返事をいただきました。

ありがとうございます。

『自分の子どもが突然「東大に行きたい」などと言い出したら、どうしたらいいのかと考えてみました。「そんなん無理!」と決め付けるのもかわいそうだし、かといって、正しい「東大進学の方法」なんて親にも想像できませんし。東大などの一流大学や医学部に合格する方法はあるのでしょうか。ぜひ、教えてください。』

たいへん難しい質問です。

まず、抽象的なお返事からしてみます。

確率論からすれば、大学受験の一つ前の、私立中高一貫校受験または公立高校受験で、「大学受験で実績を上げている」学校に合格することが、その1つの方法かもしれません。

難関私立中高一貫校に合格するためには、遅くとも小学3年生の2月から、進学塾に軸足を置いて学習を進める必要があるでしょう。

その進学塾の学習を順調に進めるためには、小学校低学年のうちに、「学習に対する正しい姿勢や価値観」を培うことが必須です。

一方、難関公立高校に合格するためには、中学3年間で学力を伸ばすわけですが、「良い成績=内申点」という結果を出す必要があります。

そのためには、やはり小学校の段階で、「学習に対する正しい姿勢や価値観」を身につけておかなければなりません。

しかも、この「正しい姿勢や価値観」は、子どもだけで自然に身につく可能性は低いでしょう。

子どもが幼い頃から、つねに親がお手本をみせて、家族全員で培っていくものです。

私はもともと、主に中学生~浪人生を対象に授業をしていたのですが、時に、

「どうしたらもっと素直に勉強に取り組めるのだろうか」

と感じることがありました。

そんなとき、結局のところ、

「もっと早くから、勉強が大切だという感覚を身につける必要があったのではないか」

という結論に至ることがしばしばでした。

そんな忸怩たる思いから、最終的には、小学校低学年で「正しい学習習慣や学習姿勢」を身につけてほしいと、「ジーニアス」の開講に結びつきました。

では、「どうすることが有効か」を、わが家の経験も含めて、もう少し具体的にいくつか挙げてみます。

いずれも、子どもが幼い頃からがおススメです。

もちろん、いつ始めても遅すぎるということはありませんが、早ければ早いほど効果が上がりやすいのは確かでしょう。

①家庭内に「勉強は大切だ」という環境を作る。
②家族の会話を増やす。
③家族全員が本に親しむ。
④落ちついて過ごす休日を増やす。
⑤何事も「やりっぱなし」にしない。

ひとまず、この5点を挙げておきますので、ぜひ「家族の現状はどうなのか」を振り返ってみてくださいね。

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガでさらに考えてみたいと思います。