木曜日になりました。

ゴールデンウィークも近づいてきました。

家族の楽しい計画もあると思いますが、新しい生活が始まったみなさんには、ほっと一息ついてリラックスできる期間にもなります。

家族で落ちついて過ごす時間も大切ではないでしょうか。

次回のメルマガで、「平成25年の灘中の国語1日目の過去問」を紹介する予定ですので、落ちついて過ごす時間の一助になれば幸いです。

また、前回のメルマガでも紹介しましたが、5月2日(木)、3日(金、祝)には、『灘校文化祭』が開催されます。

今年の開催時間は午前9時~午後3時半と、終了時刻が従来より30分延びているようです。

延長されたとはいっても、毎年大盛況で、最初から最後まで「トンデモナイ混雑」です。

以下は、私が知っている「灘校文化祭の様子」からのアドバイスです。

午前9時には入場を待つ人たちで長蛇の列ができているでしょうし、楽しくて楽しくてあっという間に終了時刻になってしまうでしょう。

途中で帰ることができる子どもはいないと思いますので、一緒に出かけるお父さん、お母さんはへとへとになってしまうかもしれません。

校内の何か所かで販売する「灘校グッズ」も大人気です。

「灘校グッズ」を購入するためにも、長い列に並ばなければならず、人気のグッズは、午前9時の開場後すぐに売り切れとなります。

どうしても欲しいグッズがある人は、入場したらすぐに購入者の列に並ぶしかありません。

「親がグッズ購入の列に並び、子どもは校内の楽しいイベントを回る」

などと、二手に分かれる可能性も高いと思います。

連絡を取り合うために、携帯電話(充電も!)は絶対に忘れないでください。

また、平日の5月2日に、親が前もってグッズを買いにいくというご家庭もあります。

グッズは、1日あたりの販売数が決まっているようですので、買いそびれた場合を考えると、翌3日に再チャレンジするという「両日作戦」が賢明かもしれません。

進学塾に通っているお子さんは、塾でまとめてグッズの注文を受け付けてくれる場合もあります。

校内の各種イベントには、予約制のものがあります。

その場合、入場したらすぐに希望のイベントを予約しないと、すぐに満席になって参加できないことになってしまいます。

体育館には、休憩場所(たくさんのテーブルと椅子)が用意されていて、無料のお茶のサービスもあります。

体育館ではお弁当やお菓子、飲み物も販売していますが、人気のお弁当(灘校弁当、合格弁当など)はお昼までに売切れてしまいます。

「灘校弁当・合格弁当」とはいっても特別なものではないので、おにぎりなど、お弁当を持参することも考えてください。

繰り返しますが、上記は、あくまでも「私が知っている過去の文化祭」からのアドバイスですので、最新の情報は、X(旧ツイッター)のアカウント

第78回灘校文化祭「ODYSSEY」
@Nada_festival

などを参照してくださいね。

さて、授業説明の際に少しお話しましたが、おススメの算数のYouTube動画(配信元)を2つ紹介します。

①『難関私学進学指導APEX』
②『こばちゃん塾』

①は、灘中を中心に難関中学の算数を解説しています。語り口はソフトで、解説内容は分かりやすいと思います。レベルは高めです。

②は、標準的な問題からレベルが高めの問題まで幅広く解説しています。中学受験の算数をある程度理解している人は、「そこまで説明しなくてもいいんだけど」と感じる部分があるかもしれません。

よって、②→①の順に活用するのがいいかもしれません。

どちらも、ゴールデンウィークに親子で勉強するのにおススメです。

次のような勉強になる記事(『リコー オフィスで役立つコラム集』、かなり編集しています、すみません)もありました。

『伝えたつもりが通じてない? 曖昧な日本語の慣用表現にご用心
https://common.myricoh.jp/content/?content_kind=9&content_no=341&site_no=1
【ケース1】
 「今回のやりとりで明るみになったのは○○についてです」
◎「明るみ」は表立ったところ、公の場所という意味です。ですから、「明るみになる」は間違いで、「明るみに出る」が正しい表現。

【ケース2】
 「先方の担当者は口を濁していました」
◎間違いやすいパターンで、濁すのは口ではなく言葉。「言葉を濁す」が正解。

【ケース3】
 「部長はその事案については間髪(かんぱつ)を入れず反応しました」
◎間に髪の毛1本も入れないという意味なので、このままでも通じますが、問題は言い回し。「かんぱつを」ではなく「かん、はつを入れず」となります。

【ケース4】
 「彼は10年以上一緒に仕事をしてきた、気のおける戦友です」
◎「気のおける人」ではなく「気のおけない人」。緊張したり、遠慮したりする必要がなく、打ち解けられる人という意味です。気のおける人は逆に、気の許せない、油断できない人になってしまいます。

・油を売る→寄り道をする
・骨が折れる→苦労する
・足が出る→予算がオーバーする
・色を付ける→金額を上乗せするなどして相手に感謝や誠意を示す
・勉強する→値引きする、安くする

○的を射る ×的を得る
 的は弓道の標的となる「まと」で、弓で矢を放ち、的の真ん中を射抜くところを想像すれば誤用はなくなるはず。「的を得た」と間違えてしまうのは、「当を得た」という似た慣用句があるせいでしょう。「当を得た」は理にかなっている、要点を押さえているという意味です。

○取り付く島がない ×取り付く暇がない
 相手が忙しいから相手にしてもらえない、「暇がない」と言ってしまうのでしょうが、間違いです。これは、頼りにしたいけれど相手から素っ気なくされたという慣用句で、海でたった一人、漂流している様子を想像してみてください。助けを求めたいけれど周りは海で、どこにも島がない。だから「取り付く島がない」が正しい使い方です。

○照準を合わせる ×照準を当てる
 照準は「狙いを定めること」。それなら当てるでもいいのでは、と思いたくなりますが、間違い。例えば猟銃で獲物を狙う時、銃口と獲物までの距離を測り(合わせ)ます。狙いを定めて引きがねをひき、当てるのは銃弾です。定める行為は、あくまで「合わせる」であり、獲物に当たったか否かではありません。

○押しも押されもせぬ ×押しも押されぬ
 広く認められる実力があり、抜きん出ている様子を表す慣用句です。他の人にいくら押されても動かず、堂々とした様をイメージするとわかりやすいでしょう。
「押しも押されぬ」は間違いで、「押すに押されぬ」という慣用句と混同しているため、多くの人が間違ってしまうのでしょう。

○青田買い ×青田狩り
 就職活動などで、優秀な人材を早期に獲得する際に使われます。正解は「買い」。刈り取りのイメージから「青田刈り」と使う人もいますが、間違いです。

○血と汗の結晶 ×血と涙の結晶
 大変な努力によって得られた結果のことで、正解は「血と汗の結晶」です。涙には、感動の涙もあるので「血と涙の結晶」と言う人がいるのでしょう。
 これ、3つをくっつけて「血と汗と涙の結晶」になると、正しい使い方になるから不思議。涙が努力や喜ばしい結果として、正しい言葉に加わるのです。これも日本語の曖昧なところです。』

かなり編集していますが、いかがでしょうか。

この記事自体は社会人対象ですが、灘中の国語の1日目で出題された表現もいくつか含まれています。

こちらも、親子で楽しんで欲しい記事です。

それぞれの慣用表現を使って例文作りに取り組んでくださいね。

最後に、『プレジデントオンライン』の興味深い記事(こちらも編集しています、すみません)を紹介します。

『「ノートを作るのをやめたら成績が伸びた」異色のキャリアを持つ東大教授が学生時代"実際にやっていた勉強法"
https://president.jp/articles/-/79279
柳川 範之 東京大学経済学部教授
※本稿は、柳川範之『東大教授がゆるっと教える独学リスキリング入門』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■最初は一生懸命ノートを作っていた
 私は、ずいぶん長い間、独学で勉強してきました。せん。
 いくつかポイントがあるのですが、まず、日頃の勉強パターンとして、ノートは作らないで勉強するという学習法をずいぶん長いことやってきました。普通は、勉強した内容をノートにまとめたり、ノートに書いて覚えるというパターンが多いと思いますが、私はそれとはまったく逆のやり方をしてきました。ノートを作らないでいろんなことを覚えていくというスタイルをとってきたのです。
■中身を覚えたり考えたりすることがおろそかになっていた
 話は、中学の最初の期末試験にさかのぼります。シンガポールの日本人学校にいたときですが、彼の地でもちゃんと期末試験がありました。
 最初の試験だったこともあって、やる気を出して、きちっとノートを作って、しっかり覚えようと思い、それぞれ主要科目について1冊ずつノートを買ってきました。一生懸命きれいなノートを作り、授業でとったノートをまとめたり、参考書と教科書とノートを照らし合わせていろいろまとめたりしたんですね。そして、きれいなノートはできるにはできたんです。あとから見ても、非常によくわかるノートだったと自分でも思うぐらいの出来映えでした。けれども、実はそのときの試験の結果というのは、あまりはかばかしくなかったのです。
 ふり返って反省してみると、ノートを作ることに一生懸命になっていて、ノートの中身をきちっと覚えるとか、中身をきちっと考えるということがおろそかになっていたように思いました。そこできれいなノート作りは、勉強時間が限られている中で、どうも無駄なんじゃないかと思って、それから大きな方向転換をしたというのが、私の経験なんです。
■ノートは自分さえ読めればいい
 ノートというのは、本当は、自分さえ読めればいいわけです。自分の勉強のためのノートだったらきれいに作る必要はまったくなくて、ぐちゃぐちゃっと書いた字でも自分が読めればいいのです。
 だから、きれいなノートを作らない、という方向に意識的に変えました。自分が試験の間際に見て、ある程度思い出せればそれでいいというふうに意識的に変えて、きれいに書くということをいっさい捨てて、最低限のところだけをやってみようと考えました。
 次の試験のときにそうしてみたところ、これが、たまたまかもしれないけれども調子がよくて、このやり方のほうがいいじゃないかと思いました。
■ノートがない方がしっかり覚える気構えができる
 その後、ノート作りよりも自分の頭の中で考えたり、整理をしたり、一生懸命覚えようとしたり、という作業に時間を使ったほうがずっといいということに気がつきました。そうするとさらに、汚いノートもいらないんじゃないかと思い始めて、メモ程度のものでいいのでは、と考えました。試験勉強の最後の最後に、本当に覚えなければならない重要単語とか重要年号を書いたものだけは作る。それは試験の間際に見られるメモ程度のものでよくて、あとはノートはいらないんじゃないかと。必要があったら参考書だとか教科書の横っちょに矢印を引いたりすればいいんじゃないかと思い、できるだけ不精ができるように、もっと節約をしてみました。
 そうすると、意外にこれが調子がいい。節約ができるだけではなくて、ノートというのは書いてしまうと安心してしまうところがあるんです。それを逆手にとって、ノートがないとなれば、しっかり覚えなければいけないという気になるんです。なので、しっかり覚えるためにはノートがないほうがむしろ気構えとしてもいいということになります。
■数学の証明の図などはきちっと書いてみる
 ただ書くことによって頭に入ったり、整理をしたりということはありますので、たとえば数学の証明だったら、その証明の図をきちっと書いてみるとか、そういうことはやるのですが、ノートというかたちで残す必要はぜんぜんない、ということになりました。あと暗記的なものは、メモで一番最後にぱっと見られるようなものを作るくらいにしました。そうしたほうが効果があったので、その後はそのやり方を続けました。
 皆さんノートをとらないほうがいいですよということではなくて、やはり人それぞれいろいろなやり方があるということだろうと思います。私の場合は、ノートをとらずに自分なりの暗記の仕方とか、頭の使い方をしたほうがずっと勉強の能率が上がったということです。でも、やはり普通はノートに書いて、きちっとまとめて覚える、ということが一般には言われていますし、それで能率が上がる人は当然いると思います。ただ、そういう既存の概念ややり方にあまりこだわらずに、少し自分なりのやり方を工夫してみるのもいいんじゃないか、という気がするんですね。
■勉強や研究のやり方を自分なりに工夫するのが大切
 勉強や研究のマスターの仕方を、自分なりに工夫することが実はとても大事です。そこをうまくやれると、ずっと早いスピードでステップアップをしていきますし、そこを間違うと結局回り道をしてしまうということなんじゃないかなと思います。
 自分に合った勉強の仕方、時間の使い方をうまくつかめると、ぐっとステップアップできるのだろうと思います。』

かなり編集したのですが、それでも引用が長くなりました。

興味のあるか方は、ぜひ引用元のサイトを訪れて全文を読んでくださいね。

「ノートを作るのをやめたら成績が伸びた」というタイトルには驚かされましたが、よく読んでみると、「誰もが一般的なノートを作る必要はない」「自分なりのノートを作ろう」ということなんですね。

小見出しを並べてみると、

■最初は一生懸命ノートを作っていた
■中身を覚えたり考えたりすることがおろそかになっていた
■ノートは自分さえ読めればいい
■ノートがない方がしっかり覚える気構えができる
■数学の証明の図などはきちっと書いてみる
■勉強や研究のやり方を自分なりに工夫するのが大切

と、かなり常識的な内容です。

タイトルは刺激的ですが、「自分なりの勉強方法、ノートの作り方を考えてみよう」、というまっとうな提案でした。

ネット上の記事は、このようなタイトルの付け方が少なくないように思います。

タイトルだけで判断せずに、内容をしっかり読む必要があります。