木曜日になりました。

今週末からは少し暖かくなるようで、桜の開花も話題になってきました。

4月からの「新たなスタート」を楽しみにしている人も多いことでしょう。

自分の未来に向けて、貴重な日々を無駄にしないように頑張ってくださいね。

さて、自民党の「裏金問題」の解明はまったく進まないままですが、今度は参議院で政治倫理審査会が開かれるとのこと、たった3人の出席で、はたして少しでも解明が進むのでしょうか。

また、下村博文元文部科学大臣に関しても、衆議院で政治倫理審査会が開かれるのか開かれないのか、グダグダな状況が続いていましたが、ここにきて開かれることが正式に決まったようです。

しかしながら、自民党には、「裏金問題」以外に、「脱法的な荒稼ぎ問題」もあるようです。

次の記事は、『女性自身編集部』のものです。

『自民党「脱法」“荒稼ぎ”議員ランキング 3位・甘利明、2位・茂木敏充を超えた1位は?
https://jisin.jp/domestic/2301079/
 “パー券裏金問題”に大揺れの自民党。党のアンケート調査で明らかになった“裏金議員”(派閥の政治資金パーティー券の収入のキックバック分を収支報告書に不記載)は、90人超えに。
 2月29日の衆議院の「政治倫理審査会」で岸田文雄首相(66)は「私的利用は確認できず……」と“しらばっくれる”始末。
 ところが、これ以外にも脱法的な方法で、多額の資金を得ている議員たちがいる。
 そこで本誌は、“脱法荒稼ぎ議員ランキング”を作成。そこでは、「派閥パーティー禁止」を声高に訴えている小泉進次郎元環境大臣(42)も4位にランクインしていた。
 小泉氏に関しては、『週刊ポスト』により一連の報道がなされている。
 小泉氏は、コロナ禍の2021年、自身の資金管理団体主催による「小泉進次郎オンライン研修会」を4回開催。計1528万円もの“荒稼ぎ”をしたという。
■オンライン会合では政治資金規正法が適用されず透明性が低くなって
 総務省は、オンライン会合による収益を禁じてはいないが、「新たな“抜け道”になる」と懸念するのは、裏金問題を告発している神戸学院大学教授の上脇博之さん。
「政治資金パーティーの代金は、会場費や飲食代などの“対価”として支払うという建前です。しかしオンラインの場合、会場費も飲食代も発生しない。よって、政治資金パーティーの扱いにならず、小泉氏は“その他の事業”として、政治資金収支報告書に記載しています。そうなると、〈20万円を超える購入者は、氏名等を記載しなければならない〉〈1回のパーティーにつき、同一の者からの支払いは150万円以下に限られる〉といった政治資金規正法も適用されません。極めて透明性が低くなるのです」
 小泉氏のオンライン研修会は、利益率が8割と非常に高いという。
「利益率があまりに高いと、実質、献金です。献金なら、同一の者から年間5万円を超える寄付を受けた場合、政治資金収支報告書に寄付者の氏名など明細を記載しなければならないのです。このような抜け道につながりかねない事業は禁止すべきです」(上脇さん)
 また、小泉氏は、2022年にもセミナーや政治文化パーティー等を計12回開催。稼いだ額は、総額8578万円にものぼるとのこと。
 これについて小泉進次郎事務所に見解を求めたところ、〈法令及び総務省の見解などに従い適正に実施し、その収支は当該年分の収支報告書に記載している通り〉と回答があったのみだった。
(以下省略)』

上記記事をまとめると、

“脱法荒稼ぎ議員ランキング”
1位:二階俊博元幹事長
2位:茂木敏充幹事長
3位:甘利明元幹事長
4位:小泉進次郎元環境大臣
5位:松野博一元官房長官
6位:西村康稔前経済再生担当大臣
7位:岸田文雄首相

ということのようですが、どの議員も、「お金集めのために知恵を絞る」ことにはほんとうに熱心なようです。

現時点では、森元総理が「ラスボス」ともいわれていますが、自民党という「伏魔殿」に正義の手が入る日はくるのでしょうか。

期待薄ですね。

前回のメルマガへのお返事を紹介します。

認知症に関する、

『認知症になりやすい人の口癖ワースト5』
https://diamond.jp/articles/-/338992

『認知症になりやすい人のワースト習慣』
https://diamond.jp/articles/-/338668

に関してお返事をいただきました。

ありがとうございます。

『「自分が認知症になるのはまだまだ先のことかもしれないが、自分の親はかなり心配」と思っていましたが、今回の「口癖ワースト5」や「ワースト習慣」を読むと、びっくりするくらい自分にも当てはまることばかりでした。「自分も気をつけなければ、あっという間だ」と感じています。』

どの口癖や習慣をみても、確かに、若いころから気をつけて損のないことでしょう。

これからお子さんの受験に向かうみなさんなら、もちろん、「面倒」なんていっていられません。

「すぐに立ってさっと動く」のは当たり前、「今はどんなことを勉強しているのかな」と興味を持って刺激を受けることも日常茶飯事でしょう。

「活動的な生活」で刺激を受け続けていくことが大切なんですね。

『「テレビに関しては、どんな番組でも(ニュースでも)基本的に録画して早送りして視聴しています」とありました。以前のメルマガでも、同様のことを推奨されていましたね。最近のテレビ番組は、じっくり観たいと思う番組がグッと減ってきましたが、それでも気になる番組があります。観てみたいなと思う番組を録画しておけば、隙間時間にコマーシャルをとばして観られますし、時間の無駄なく視聴できます。思ったよりつまらなければ、サッサと消去してしまえばいいわけですし。私も、テレビの録画視聴に大満足です。』

賛成していただき、ほんとうにありがとうございます。

時に、娯楽番組でゆっくりするのも有用でしょうが、受動的になりがちなテレビ視聴に対して、少しでも能動的になりたいものです。

ニュース番組でさえ、一貫して弱者の側に立った「積極的な取材・検証報道」はほとんどありません。

今のテレビなら、「録画→早送り」で十分でしょう。

『2024年の灘中の国語の問題で、「風物詩」「走馬灯」「心技体」は、自分でピンときてほしいとありましたが、自分で何とかなりそうなのが「心技体」だけでした。「短兵急」となると、過去に聞いたことがあったかなあといったところです。メルマガで国語の語彙力の話になると、自信をなくす一方です。』

そうですね、放っておけば、「記憶」は薄れる一方だと思います。

インプットとアウトプットを意識して繰り返さないと、記憶の奥底に消えていってしまうのも仕方ないことでしょう。

親にとって、日々のいろいろな仕事をこなしながら自身の「学力や語彙力」を保ち伸ばす努力は、かなりの負担であることも確かです。

しかしながら、たとえば中学受験を目指す子どもたちは、日々「記憶の安定」に邁進しているのです。

そんな子どもたちと共に進む覚悟を持った親が、同じ努力をできないはずはありません。

『灘中の国語のパズル問題で、正解の熟語をみてみると、ほんとうにレベルが高いなあと思いました。
漢詩、詩作、作風、景物、物議
法外、外注、注視、視角
灯明、力走、走破
母体、体得、得心、情実
などの熟語を、子どもに上手に説明できません。たとえば「漢詩」を「中国の文章」なんて説明しても、子どもの頭の中に明確なイメージは湧かないですよね、また、親が作ってみた例文も、はたして適切なものなのか自信がありません。「子どもと一緒に学ぶ」という山は、高くて険しいです。』

今や「百科事典で調べる」時代ではないでしょうが、紙の辞書を使うことに加えて、インターネットで検索してみるなど、「調べる手段」は格段に進化しました。

検索の結果、関連する画像や動画も見つかることでしょう。

少しでも子どもの理解が進むように、「親子で一緒に学ぶ」ことが大切でしょう。

「親だから、子ども以上に知っていなければならない」ではなくて、「親だから、純粋に、探究心のお手本になる」という感覚ですね。

では、子どもたちの「知らないこと」を把握したら、どう対処しましょうか。

たとえば、算数で「売買損益算」の単元になると、子どもたちの頭は、

「世の中の商売ってどんな仕組み?」

という「?マーク」で一杯になります。

原価(仕入れ値)、儲け(利益)、定価、値引き、売価、売り上げ、などなどの言葉に対する知識を有している子どもは少なく、一から話を始めます。

「魚市場で、一尾3千円で買ってきたマグロを売るとき、いくらで売ればいいと思う?」

「たとえば、大根を売るとするよね。自分の家で作った大根を売るときと、青果市場から買ってきて売るときと、商売の仕方はどう違うかなあ?」

「季節はずれのTシャツを売る場合は、君たちだったらどうする?」

などを一緒に考えます。

そのような仕組みを少しずつ知った上で、やっと、

「3割の利益を見込んで定価をつける」
「売れなかったので、25%引きで売る」

などの「割合」が視野に入ってきます。

だから、上記灘中の問題に出てくる「外注」も、言葉として知るより、世の中の仕組みの一つとして理解すべきでしょう。

もちろん、高学年になると、ゆっくりじっくり学んでいく余裕はどんどん減っていきます。

だから低学年のうちから、親は、子どもの知識に関して敏感になる必要があります。

やはり、お父さん、お母さんが、子どもたちと一緒に成長していくわけですね。

最後に、次の『現代ビジネス』の記事(かなり編集しています、すみません)を紹介します。

みなさんも、次のような「。」の圧について聞いたことがあるかもしれません。

『若者が「。」に「圧を感じる」というのは本当か…「句点が怖い」と言いだす人たち
「話し言葉」と「書き言葉」のあいだ
https://gendai.media/articles/-/125310
■「。」について検証してみた
 若い人は、ラインの文章が句点「。」で終わっていると「圧」を感じてしまう。
 そういう噂を聞いた。
 インターネットやSNSで見かける言説は、落ち着いて考えると、みな「噂」に過ぎない。噂を強く意識する時代になっているということだろう。
■堅苦しさの象徴としての「。」
 あらためておもうのは、若者は「スマホで打つ文章は書き言葉ではないと考えている」ということだ。
 話し言葉そのものではないにしても、そちらに近づけようとしている。
 できる限り、話し言葉のように感じられるよう、工夫している。
 そこでは句点「。」は、堅苦しさの象徴でもある。
 いっぽう、ある年齢層以上にとって、ラインなどのSNSはまだ書き言葉という意識なのだろう。
 これは日本語の(人類の言語の)基本的な問題「書き言葉と話し言葉の違い」の話なのだ。
 大人より、若い世代はが表記を細かく区分している、ということだ。
■句点が排除された「改行の時代」
 大人が、話し言葉と書き言葉とざっくり分けているなかで、若者は、話し言葉と書き言葉のあいだに「きわめて話し言葉に近いSNS用書き言葉」を持っているのだ。
 若者のライン文章をコピペしてエクセルに並べてると、表記の工夫にあらためて気づく。
 原則は、句点「。」はなるべく使わず、一文ずつ改行する、というだけである。
 それだけのことだ。
 改行なんて面倒だとおもうのはそれは慣れていないだけだ。
 句点を打つのと改行する手間はスマホではほぼ同じだ。
 ないしは句点の代わりに、記号か絵文字を入れる。
 そういう違いだ。
 若者にとって句点「。」の使用は、堅苦しさの象徴なのだろう。
 そうおもって見ると、なんで大人は文章終わりが句点「。」一択なんだろう、もうちょっと工夫していいんじゃないか、という若者の声が聞こえてきそうである。
 いくらでも句点は排除できる。
 改行の時代なのだ。
■「話し言葉」と「書き言葉」のあいだ
 定着するかどうかは、もう少し見極めないとわからない。
 でも、変わり始めている。
 句点を使う書き言葉は、それは紙の表記だということだろう。
 スクロールすれば進めるデジタル表示だったら、句点はなく改行されたほうが見やすい。
 デジタル世界では改行が多い。スマホで読める小説は改行が多く、しかも一行空きが多い。
 デジタル世界と紙世界で、表記が分離しはじめているばかりだ。
 その先端がラインにあらわれている。世代によって感覚が違う。
 若者は、話し言葉と書き言葉のあいだに新しい表記をうみだしている。
 自分らで新しい表記を作り出していった世代は、上のそういう対応には慣れているだろうが、すでに定着してからスマホを手にした世代は、大人の表現の意味がわからないので深読みしてしまうのだ。
 句点が怖いと言いだす人がいるのは、その表記が定着している、ということだろう。
 ここから日本語の表記は、紙とデジタルで変わっていくのだとおもわれる。それぞれがそれぞれの世界で交信しているのは問題がない。
 ただ、上下の交流のときに、少し問題が起こることがある、ということのようだ。
 心配するほどのことではない。』

いかがでしょうか。

私自身、ラインを使ったことがないのですが、句点「。」のないメールをいただくことがあります。

そのことをあまり気にしていなかったのですが、今や「一つのデジタル文化」なのかもしれませんね。

みなさんのお返事を楽しみにしています。