木曜日になりました。

1月1日の「令和6年能登半島地震」から、40日ほどが過ぎました。

しかしながら、相変わらず支援も復旧も遅々として進んでいない印象のままです。

私たち一人ひとりに何ができるのかを思うと、ほんとうに申し訳なく思います。

ボランティアの人たちの善意さえ受け入れるのが難しい状況の被災地、私たちには、まだまだ想像力が足らないのかもしれません。

今回の被災自治体も含めて、日本中で、どんな準備をすればいいのでしょうか。

前回のメルマガで、

「自然災害は、地域ごとに異なる被害を引き起こすわけで、その対策も地域ごとにきめ細かく講じなければなりません。」と書きましたが、次のようなお返事もいただきました。

『あちこちで地震が頻発する日本ですが、原発頼りのままでいいのでしょうか。私は、福島原発で起こったことと同じような被害の可能性を考えたら、原発が怖くてたまりません。』

ありがとうございます。

原発に関わる諸問題を考えるとき、原発に近接する地域に住む人々の安全・安心が最優先されているようにはみえません。

次のような記事(『中日新聞』)もありました。

『もし志賀原発が稼働中だったら… 元京都大助教・小出裕章さんの警告
https://www.chunichi.co.jp/article/845486
 最大震度7を観測した能登半島地震の発生から間もなく1カ月を迎える。北陸電力志賀原発(石川県志賀町、停止中)は、外部電源や非常用電源が一部使えなくなり、放射線監視装置(モニタリングポスト)の一部も測定不能になるなどのトラブルが次々に明らかになった。北電側は「安全上の問題はない」と繰り返しているが、原子力安全が専門の元京大原子炉実験所助教・小出裕章氏は「10年以上運転停止していたことが幸いした」と安全性に疑問を投げかける。稼働中だった場合、今回の地震で志賀原発にどんな危険が想定されたのかを語ってもらった。
 能登半島地震による志賀原発の一部電源喪失 1日に石川県志賀町で震度7、1号機地下で震度5強を観測。変圧器が故障して油が漏れ、外部電源5回線のうち2回線が使用不能になった。16日の余震後には1号機の非常用発電機3台のうち1台が試運転中に自動停止した。

Q1:能登半島地震の発生時、志賀原発が稼働中だったら、どんな被害が出た可能性があるか。
A1:志賀原発が10年にもわたり停止していたことが何より幸いだった。原発の使用済み燃料は発熱しているが、10年たつと発熱量は運転停止直後に比べ、千分の1以下に低下する。今回の地震で志賀原発は外部電源の一部系統が使えなくなり、非常用発電機も一部停止した。稼働していたら、福島第1原発と同様の経過をたどったかもしれない。
(中略)
Q4:今回、変圧器が破損した。北陸電力の耐震設計は甘かったのか。
A4:もちろん甘かったと指摘できる。運転中の原発で変圧器がだめでした、ということになれば、それこそ事故に直結してしまう。

Q5:昨年3月、原子力規制委は北電の「敷地内に活断層はない」という主張を妥当と判断し、志賀原発2号機再稼働への道を開いた。だが、そもそも原発周辺のすべての断層を正確に把握し、耐震設計をすることはできるのか。
A5:どこに活断層があり、活動度がどれだけだ、ということが完璧に分かれば、地震が予知できる。しかし地震を予知できた試しはかつて一度もない。今回、活断層が150キロにわたって連動した可能性が指摘されている。こういうことが起きて「想定外」だったと言う。だが、重大な結果を招く原発に関して想定外なんて言い方はしてはいけない。
 日本は国土面積が世界の0.25%しかない小さな国だが、世界の地震の1割から2割が起きている。そんな場所に57基もの原発を建ててしまったことこそ誤りだったと知るべきだ。
 今回一番学ばなければいけないことは、志賀原発が止まっていてよかったということ。100万キロワットの原発が1年間稼働すれば、広島原爆がつくった死の灰の千発分の核分裂生成物ができる。運転中に地震に襲われるのとは全然違うことを皆さんに分かってほしい。
(以下省略)』

かなり長い記事ですので、ぜひ引用元を訪れて全文を読んでみてください。

日本中の原発が同じような危険性を抱えながら稼動しているわけです。

しかも、近接する地域の人々に及ぶ直接的な危険性だけでなく、チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故や福島原発事故のように、広範囲に大きな被害を引き起こす可能性を持ったまま稼動しています。

私たち日本人は、いつ起こるか分からない「地震、津波、火山噴火」に囲まれた上に、原発も抱えて暮らしています。

廃炉処理が進まない福島原発を、子どもたちにどう説明すればいいのでしょうか。

みなさんは、ご自身や家族をどう守る覚悟ですか。

そんな状況の中で、次のような記事(『朝日新聞デジタル』)を読むと、「政府を信頼することなどできない」と、つくづく感じます。

『2問だけの自民調査、「裏金」の使い道も聞かず 党内から「逆効果」
https://digital.asahi.com/articles/ASS256K1WS25UTFK00Y.html?iref=comtop_7_04
 自民党派閥をめぐる裏金問題で、同党は5日、政治資金収支報告書を訂正した議員をリスト化し、野党に示した。しかし、このリストは2020~22年の3年分のみで、対象も安倍派91人、二階派7人の計98人分だけだった。野党側は、公表済みの分を並べただけで不誠実だと批判した。自民が同日開始した全議員アンケートの設問が、わずか2問であることもわかった。
 立憲民主、日本維新の会、共産、国民民主の野党4党は、自民所属の全議員に裏金への関与を自己申告させ、金額や使途などとともに過去5年分をリスト化するよう求めていた。野党側は今後示される調査結果の内容も不十分であれば、審議拒否も含めた国会対応を取ることで一致。自民が始めた聞き取り調査や全議員対象のアンケートの結果を、来週初めまでに提出するよう求めた。立憲の安住淳国対委員長は記者団に「全容解明しようという誠実さが全く感じられない」と語った。
 これに対し、岸田文雄首相はこの日の衆院予算委員会で、今週中にいずれの調査も終え、アンケートは来週早々に取りまとめると表明。「党としても必要な説明責任を果たしていきたい」と話した。
 自民はこの日、8日が締め切りのアンケートを全議員に配布。だが、5年間の収支報告書の「記載漏れ」の有無と、記載漏れがあった場合の金額を尋ねる2問のみだったため、野党側は「危機感はあるのか」(維新国対幹部)とさらに反発を強めている。』

この記事は有料記事ですので引用はここまでですが、いかがでしょうか。

政治資金収支報告書に不記載の裏金が見つかっても、「記載漏れ」だったとして政治資金収支報告書を訂正すればそれで終わりのようです。

少々子どもじみた反論ですが、、、。

私も長年超零細自営業を続けていますが、確定申告で、

「あっ、すんまへん。すぐに修正申告させてもらいます」

で、無罪放免となるのでしょうか。

また、テレビ番組で、「万引きGメン」を見かけることがありますが、

「あっ、すんまへん。すぐに支払わせてもらいます」

で、無罪放免となるのでしょうか。

自分に甘い、仲間に甘い政治家ばかりです。

彼らは、「有権者はすぐに忘れてしまうから」と、明らかに有権者を見下しています。

実際に、日本人が忘れっぽいのかどうか知りませんが、私は、腰砕けのマスメディアの責任も大きいと思います。

次回の選挙の際に、今回の「裏金議員リスト」を投票所に張り出すくらいしてもいいのではないでしょうか。

選挙制度が抜本的に改革されて、誠実な政治家だけが選ばれるような未来は、はたしてこの国にやってくるのでしょうか。

最低限、「どんな不祥事・犯罪であれ、上に立つものは問答無用で責任を取る」、そんな当たり前の日本になってほしいものです。

前回のメルマガで紹介した『businessinsider』の記事

『メンタルの強い子どもに育てたいなら、今すぐ止めるべき7つの子育て習慣』
https://www.businessinsider.jp/post-208877

にもお返事をいただきました。

ありがとうございます。

『「責任ある大人になるために必要な社会性と情動のスキルを備えた人間に育てる」とありましたが、今の世の中、周りを見渡してみても、そんな「大人」は本当に少ないです。マンションのゴミ捨て場にルール通りゴミを出せない、駐輪場をキレイに使えない、共用廊下で大声で喋る、そんな大人がたくさんいます。情けなくなりますね。そんな大人が周りにいたら、子どもが賢くなるはずがありません。日本は、今や絶望の国です。』

「もしかして、私の住んでいるマンションの住人の方でしょうか」、そう訊ねたくなりました。

一部の人とはいえ、うちのマンションでも同じようなことが起こっています。

そんな親の子どもがどう育つのか、想像つきますよね。

ここにも、負のスパイラル、非常識の拡大再生産があります。

「子育て」するには、まず、親自身が「きちんとした大人になる」必要があります。

親の自制・自省が不可欠といことです。

せめて、良きにつけ悪しきにつけ、巡り巡って必ず自分のところに戻ってくると自覚してほしいものです。

「今すぐ止めるべき7つの子育て習慣」について、少し考えてみます。

『1. 子どもの感情を抑えようとする』

自分の子どもの感情を抑えようとするだけでなく、周りの人たちの感情を理解しようと努めることない、無神経な人がいます。

今どきの言葉でいえば「パワハラ人間」となるのかもしれませんが、なんとも迷惑な人です。

「親から子へ」という力関係に安住しているのでしょうが、親子が互いに正しく理解し合う必要性は、感情面だけの問題ではないと思います。

互いに率直に意見を述べ合うことにも、積極的になりたいものです。

自制・自省できない親が、エラソウニものをいってはいけませんね。

『2. 子どもの誤った振る舞いに屈する』

これも、上記と同じです。

子どもが間違っているとき、それを正して良い方向に導くのは、もちろん親の責務です。

ただし、その際、親は常に自分の足元を見つめる必要があります。

自分が正しい道を歩んでいなければ、子どもを正しく導くことはできませんし、その資格もありません。

子どもの言動が気になったら、まず親自身の言動を振り返ってみましょう。

『3. 子どもを甘やかし過ぎない』

みなさんもお感じと思いますが、親は、案外自分に甘いところがありますよね。

「スマホばかり触ってないで、勉強しなさい」などといつも注意している親自身が、子どもの前で何度もスマホを触っていたりするものです。

たとえ短い時間であっても、子どもの目には「親も同じじゃないか」と映ってしまうでしょう。

そうなると、子どもに対する「厳しくもありがたい注意」が、どんどん薄っぺらなものになっていきます。

そもそも、子どもに対する親や、国民に対する政治家のように、「上に立つ者」は、より厳しく身を律する必要があります。

「上に立つ」のは、自分が「親」だからではありません。

子どもより親の方が、自分に厳しくしているからですよね。

そのような姿をみせた後なら、子どもに対する「厳しい言葉」も生きるでしょう。

『4. 子どもに完璧を求める』

みなさんは、ご自身に「完璧か?」と問いかけて「完璧だ!」と答えられますか。

おそらく、「完璧だ!」と胸を張れる人はいないでしょう。

もちろん、私は答えられません。

となれば、一方的に子どもに完璧を求める資格などありません。

親にできることは、「親子で、少しずつ向上していこう!」ですね。

『5. 子どもに親と同じ意思決定の力を与える』
『6. 自然の成り行きを邪魔する』
『7. 子どものネガティブなひとりごとに反論する』

については、次回のメルマガで考えてみます。