早くも、1月最後の木曜日になりました。

1月1日の「令和6年能登半島地震」から3週間以上経ちましたが、支援は遅く、復旧はさらに遅々として進まない状況です。

そんな中、次のような気になる記事(『朝日新聞デジタル』)もありました。

『能登地震で原発周辺400人8日間孤立 避難計画機能せぬおそれ
https://digital.asahi.com/articles/ASS1Q6V3MS1QULBH00N.html
2024年1月23日 6時00分
 能登半島地震のあと、北陸電力志賀原発(石川県志賀町)の半径30キロ圏内で、最大8地区約400人が8日間孤立状態になっていたことがわかった。原発事故時には5キロ圏の住民は30キロ圏外に避難、5~30キロ圏はまず屋内退避し、放射線量が上がった場合に圏外に避難するが、この避難計画が機能しないおそれがある。
 内閣府などによると、地震を受け、志賀原発の5~30キロ圏の輪島市の7地区と穴水町の1地区が8日時点で、道路の寸断などで車での人や物資の移動ができない孤立状態だったという。9日以降順次解消されたが、最長で2週間程度かかった地区もあったとみられる。5キロ圏での孤立はなかった。
 原子力規制委員会が定める「原子力災害対策指針」では、5キロ圏は放射性物質の拡散前に避難する「予防的防護措置準備区域(PAZ)」、5~30キロ圏は屋内退避し、状況に応じて避難する「緊急時防護措置準備区域(UPZ)」としている。』

この記事は有料記事のため引用はここまでですが、いかがでしょうか。

「地震&火山大国」である日本で、このまま原発を維持・推進していいとは思えません。

もっと厳しい目を向けるべき問題ではないでしょうか。

あと、話は少しズレますが、最近の『朝日新聞デジタル』は、有料記事が多すぎるように思います。

この記事も、その内容の重要性を鑑みれば、「残り280文字」程度は公開してもいいのではないでしょうか。

一方で、政府や権力に阿るような記事が増えているようにも思います。

『朝日新聞』を購読する価値は減る一方です。

テレビ界に激震が走った(?)という松本人志氏の問題にも少し触れたいと思います。

次の『JBpress』の記事を読んでみてください。

『全国の中高生に「いじめ芸」を伝染させた松本人志の罪と罰
いじめ芸を“育てて”しまった言葉狩りと芸人の先輩・後輩関係
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78822
2024.1.10(水)
伊東 乾
(前略)
 集英社の中村信一郎さん(故人)は「週刊プレイボーイ」や「BART」など男性誌で活躍された記者、編集者であるとともに、私にとっては「さよなら、サイレント・ネイビー」で開高健賞をもらった際の担当編集者でもあり、大変にお世話になった恩人です。
 その中村さんが生前、しばしば「絶対にゆるせねぇ」と言っていたのが「ダウンタウンのいじめを売る商法」でした。
 1990年代、とある取材で中村さんはこんな光景を見たと話しておられました。
 ある地域の中学で、男の子はほぼ全員、ダウンタウンのテレビ番組を見ていたのだそうです。
 タウンタウンの「ギャグ」が毎日の話題で、それについて行けないやつは「シカト」=無視の対象になったり、いじめの対象になったりした。
 そのときの「いじめ」の方法が、ダウンタウンのテレビ番組のマネで、松本や浜田が「後輩芸人」にやるのと同じような方法でいじめる、といういじめの再生産が起きていたのだそうです。
 「なんだ、見てねえのかよ、じゃ教えてやるよ。こんなふうにさ・・・」といった具合に、番組内のいじめネタを被害生徒に仕掛けたりするケースがあったそうです。
 具体的な番組名は、うかがいませんでしたが、中学高校の教室に新たな「いじめ」の手法を導入して「ファン」を作り、それを「笑いのつぼ」としてティーンに教え込む「商法」だと中村さんは心底怒っていました。
 また、このような「いじめ芸」が繁茂した背景として「言葉狩り」と、芸能界の「先輩絶対」風習の2点を指摘されました。
 第1の「ことば狩り」は1993年から96年にかけての、作家・筒井康隆氏の「断筆宣言」がきっかけになったように思います。
 一部の表現が差別的だと指摘された筒井氏が切れて「執筆しない!」と「断筆」を宣言。
 筒井氏は社会に波紋を及ぼす様々なアクションを起こし、並行して雑誌や新聞、またNHKを筆頭に民放各社のテレビもラジオも、「放送に不適切と考えられる表現」(いわゆる放送禁止用語)を増やしていきました。
 この結果、「この言葉は使わないでください」「あの言葉は避けてください」といった「放禁語彙」が増えていき、並行して、「言葉を言わなきゃいいんだろ」式に「アクションが過激」になった時期があった。
 1990年代のテレビ放送はいまだアナログで、各家庭にホームビデオは普及していましたがVHSのテープが私蔵されるだけで、録音録画後の番組がネットワーク的に流通する、といったことはなかった。
 当時のテレビは「撮って出し」などといって、川にゴミを流すのと同じで一瞬オンエアして数字が取れればそれでOK的な「やり逃げ感」満載の粗悪な現場があったのも事実と思います。
 「言葉狩り」との影響を懸念するのは、前回稿でも触れた上方落語の鬼才、桂枝雀師(1939-99)の最期です。1997年から「うつ病」が再発、99年に自ら帰らぬ人となってしまいました。
 その一つの背景に伝統的な「上方落語」に含まれる「差別表現」があった可能性があるかもしれません。(後略)』

いかがでしょうか。

興味ある方は、『JBpress』の伊東乾氏の他の記事もぜひ読んでみてください。

私は、中学生のころには「吉本にいって漫才師になろう」とまで思っていたほどのお笑い好きなのですが、ダウンタウンの「いじり&いじめ芸」を面白いと思ったことはありません。

かなり前に、「ダウンタウンの年末特番が面白いから絶対観て!」と複数の生徒さんからいわれて、わざわざ録画して視聴したことがあります。

しかし、始まって直ぐ「もらった豪華そうな花束を、その場でゴミ箱に捨てる」場面を観て、そこで視聴をやめました。

その場面に、偽りの笑い声(音響効果?)が流れていたように思います(これは、私の思い込みかもしれませんが)。

その漫才やコントが好きだった「千鳥」や「かまいたち」も、最近「いじる側」にスタンスを移してきている(番組の演出上でもあるでしょうが)のを観て、どんどんツマラナクなってきました。

私にとっては、「現在のお笑い」とはお別れすべきときなのでしょう。

前回のメルマガで紹介した『プレジデントオンライン』の記事

『「頭が痛い」という表現にはいくつ意味があるか…中学入試で「慣用表現」の問題がよく出る本当の理由 「言外の意味」をとらえられないと答えられない』
https://president.jp/articles/-/75495

に関しても、いくつかお返事をいただきました。

ありがとうございます。

『「株があがる」という表現の意味について、うんうんと肯きながら読みました。辞書的な意味は、授業で教えられれば多分理解し覚えてくれると思います。しかしながら、「この文脈での意味を答えなさい」と問われると、ハードルはぐんと高くなりますよね。選択問題ならまだしも、記述型の問題、しかも「具体的に説明する」となると、解答の中身にかなりのバラツキが出ると思います。この場合なら、「先生」「熱心」「保護者会」などのキーワードから、「授業研究や受験指導に熱心で、その熱心さが成績向上や受験結果につながっていて、保護者の間で評価が上がっている」ということになるのでしょうか。このような読解力や表現力を、うちの子どもが中学受験までに身につけてくれるのかなあと、かなり不安を感じます。どのような勉強方法が有効なのでしょうか?』

そうですね。

少々脱線しますが、私の経験則から、

「特に低学年の子どもには、親が思っている以上に幼い部分が多い。『こんなことも知らないの?』『もう忘れちゃった?』と驚く場面もしばしばである。高学年になっても、ポッカリ穴が開いているところがあって驚くこともある。」

といえます。

また、以前のメルマガで紹介した「受験脳」にも通じることですが、

「親が『大切』だと考えていることと、子どもが『大切』だと感じていることには、しばしば乖離がみられる。だから、子ども自身が『大切なものだ』と納得しないまま無理やり頭の中に詰め込んでみても、ほとんど何も残らない。残ったとしても、『活用できる形』では残らないことが多い。」

ともいえます。

親は、子育て全般において、まず上記2点のような認識を持たなければなりません。

その上で、国語の勉強について考えてみます。

国語で学ぶ内容は、一般的な印象として、

①語彙力
②読解力
③表現力

あたりに分けられると思います。

①の「知識分野」には、漢字、語句、文法、文学史などが含まれ、きちんと学習して覚えていけば、一定の得点が望める分野ともいえます。

低学年のうちは、①の分野に絞った学習もありますが、学年が上がってそれなりのレベルの読解問題に接するようになると、各分野に分割して学習できるものではなくなってきます。

3つの分野が混じり合い、徐々に学習内容が複雑になっていきます。

上記の「株があがる」を文脈に即して説明する問題を想像していただければ、その種の問題の難度が実感できると思います。

過去のメルマガで紹介してきた、灘中の俳句や短歌の問題は、「鑑賞力」を問うという性質が強く、単純に「この俳句の作者は?」のような知識を問う問題ではありませんよね。

明らかに、①と②が混じり合っています。

となれば、低学年のうちに①をしっかり学習した上で、その知識をアウトプットできるように、②と③の基礎を築くことが必須です。

将来の「①~③の融合」を意識した学習ですね。

低学年の国語の問題は、その「融合の度合い」がまだ薄いものが多く、表面的な意味での問題文の理解が得られれば、ある程度の得点を見込めます。

この、対応のし易さから、子どもたちは低学年の国語で一定の成功体験を得ることができますが、その分だけ、「この程度考えれば、8割~9割取れるんだ。うまくいけば100点だ!」と安心してしまう部分も出てきます。

ここが怖いところです。

学年が上がるにつれて、国語に悩むようになる原因でもあります。

学年が上がっていくのに合わせて、「問題文を、細かいところまで気を配りながら読む」ことを意識しながら「深く読む練習」を積んでほしいものです。

たとえば、子どもが国語のテストで90点を取ったとき、みなさん親子で、「×になった10点分」を復習すると思いますが、「○だった90点分の読み方・解き方」を見直すことも重要です。

「深く考えることなく、何となくで○になった問題はないか」
「それが正解となった根拠を自分で意識できているのか」
「直接設問になっていないところも含めて、問題文は全部読み取れているのか」

などなど、確認して損のないことがたくさんあります。

もちろん「多くの問題文を読み、多くの設問を解く」ことは有用でしょうが、子ども本人の学習進度によっては、それがあまり有効ではない場合もあります。

子どもの成長の度合いに合わせて、上記の「正解の根拠の確認」のような、丁寧な勉強方法も取り入れるべきです。

また、「親子で細部を確認しながら問題文を深く読む」という読み合わせも有効です。

今回も、『新小学問題集 ステージⅠ 国語』から、例文を少し紹介します。

①『始業式の前の日のこと。』

→「始業式」は、幼稚園・小学校・中学校・高等学校の各学期の最初の日のことですが、たとえばこの文を読んだとき、「主人公は小学生かな? 中学生かな?」「季節はいつかな?」などを親子で話してみるのはどうでしょうか。

②『おじいちゃんが縁(えん)がわから入ってきた。』

→「縁側」の具体的なイメージがわくといいですね。

③『商店会の事務局で、パソコンにくわしい人をさがしている』

→「商店会って何かな?」「事務局ってどんなことをしているところかな?」「どうしてパソコンに詳しい人が必要なんだろう?」などを話してみてください。

④『失業し、黒川家に居候(いそうろう)しながら仕事を探(さが)している。』

→これは、「英二くん」という登場人物を説明する脚注です。「失業」「居候」などの意味が分からないと、脚注がまったく役に立ちません。このように、脚注は簡潔な文が多いために、あまり役に立たない場合も多いですね。

いかがでしょうか。

設問に直接関係ないところもありますが、「細部を確認しながら問題文を深く読む」訓練の参考になれば幸いです。